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アインス宗谷の雑記ノート

アインス宗谷の雑記ノート

日生球場

 JR・地下鉄森ノ宮駅から西へ、中央大通りの坂を上って行くと、左側に見えてくるのが日本生命球場。略して日生球場。
 収容人数は、当時2万5千人といわれていましたが、おそらくは2万人も入らなかったのではと思われるスタンドは、外野がとくに小さく、レフト側スタンド後方には、場外ホームラン対策のネットが張られるなど、ドーム球場全盛の現在からみれば、まさに「グランド」という感じが強い球場でした。

 近鉄バファローズは、もっともホームグランドに恵まれなかったというか、苦労したチームでした。
 そもそものホームグランド藤井寺球場は、1928年建設という球団よりもはるかに歴史のある球場でしたが、大阪市から距離があること、周りが宅地化し、長らくナイター設備が持てなかったことなどがあり、結局、大阪市内の日本生命がもつ球場を借りるという形で、なんとか主催ゲームを開催してきたのでした。

 スタンドが狭いこと、観客が少ないことで、常連ファンのヤジがよく通り、その的を得た、多少「エグイ」ヤジは、日生名物。
 私もよく親父に連れられて観戦に行きましたが、球場設備は後のドーム球場に比ぶべくもなのですが、ビールやジュースの飲み物や焼きそば、たこ焼きなどといった飲食は、売り子が結構いたこともあって、以外と手に入れやすかった印象があります。

 今のような応援スタイルもなく、寝そべったり、酔っ払ったりしながら、打球の行方に一喜一憂し、ひょっとしたら、今以上に一球一球、観客は集中して見守っていたように思います。

 このころは、応援団も内野スタンドにいて、頭上に降られる応援旗の下に、一塁側からのダイヤモンドの風景があり、今もその光景が目に焼きついています。(2006年4月22日)


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