ユダヤが解ると真実が見えてくる

2010/06/19(土)05:03

戦慄が走るユダヤ悪魔教の教典タルムード【パート1】

ユダヤの基礎(40)

ゴイム・ゴイ・アクムはいずれも非ユダヤ人のこと      神の選民 ●世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、 他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼等はことごとく空皮 に過ぎざればなり。<イェシャヤ法師> ●神言い給う、我は我が予言者を畜獣に過ぎざる偶像崇拜の徒の為に遣わしたるにあ らず。人間なるイスラエル人の爲に遣わしたるなり。(ミトラシュ・コヘレート) ●人間の獣に優れる如く、ユダヤ人は他の諸民族に優れるものなり。<アブラハム・ ゼバ法師> ●もしイスラエル人無かりせば、この世に幸福なかりしならん。これ申命記二八の八 に記されたる如し。またイスラエル人無かりせば、天の諸星も昇らざるべし。これエ レミヤ記三三の三五に記されたる如し。また地の上に雨の降る事なかるべし。これ申 命記二八の一二に記されたる如し。<シメオン・ハダルサン法師> ●選ばれたる民のみ永遠の生命を受くるにふさわしく、他の国人はロバに等し。<ア バルバネル法師> ●「汝は主なる汝の神が汝に与え給いしすべての民を喰い尽くさん」との文句(申命 記七ノ十六)は、今は亡き吾等の教法師達により次の如く解せられたり。すなわち、 すべての民を喰い尽くし、すべての民より掠奪することは、彼等すべてが吾等の權力 下に置かれる時に始まるべし、と。<ベハイ法師> ●神はユダヤ人にすべての方法を用い、詐欺、強力、高利貸、窃盗によってキリスト 教徒の財産を奪取することを命ずる。(オルディン一、トラクト一、ディスト四) ●メシヤ來る時代において各ユダヤ人は、エジプトより出で行きたるイスラエル人の 数に等しき数の子孫を持つべし。エジプトより出で行きし者六十万人なれは、各ユダ ヤ人はメシヤの時代の間に六十人の子を持つべし。<エリエゼル法師> ●レヴィ法師教えて曰く、神が世界の諸々の民を裁き給うは、彼等が罪の中に眠れる 夜の間においてなり。しかもイスラエルを裁くには、彼等が掟を学ぶ昼においてこれ をなし給う。(ヴェネツィア版ミトラシュ、一五一六年版)      ラビ(法師)とタルムード ●吾々はタルムードがモーゼの律法書に対して絶対的優越性を有することを認むるも のなり。(イスラエル文庫、一八六四年) ●律法(聖書)は多少とも重要ではあるが、長老方が聖典に記された言葉は常に重要 である。 ●掟の言葉より法師の言葉を敬え。<アシ法師> ●汝知るべし、法師の言葉は予言者の言葉より美し、と。<アシ法師> ●教法師を畏るるは神を畏るるなり。<モシェー・バル・マエモン> ●教法師の言葉は、生ける神の言葉なり。<ベハイ法師> ●教法師の日常の言辞も、誡律同様に重んずべきなり。(ヴェネツィア版ミトラシュ、 一五一六年版) ●もし法師、汝の右の手を左の手と言ひ、左の手を右の手と言ふとも、彼の言葉に違 ふべからず。<アシ法師> ●タルムードの決定は、生ける神の言葉である。エホバも天国で問題が起きたときは、 現世のラビに意見を聞き給う。(ラビ・メナヘン、第五書の注解) ●神は夜の間にタルムードを学び給う。<メナヘム・ベン・シラ法師> ●天上にも地上と同じき数の高等なる学園あり。神もそこにて熱心にタルムードの研 究に従事す。<ロイベン法師> ●天上に於て困難なる問題の生ずる時、主なる神この世の法師等にも諮問し給う。 <メナヘム・ベン・シラ法師> ●法師の言葉を嘲る者は、地獄の煮え立つ糞の中にて罰せらるべし。<アシェル法師> ●ラビの言葉に背くことはトーラーに背くことよりも、さらに悪い。(ミズナ、サン ヘドリン、十の三)。 ●ラビの言葉を変える者は死罪に処すべきである。(エルビン、二一のb) ●トーラを学ぶゴイは死罪に当る者なり。<モシェー・バル・マエモン> ●神はユダヤ人の魂六十万を創り給えり。聖書の各節は六十万の解釈を有し、各々の 解釈は一の魂と関係あればなり。<アシェル法師>      ゴイム・異邦人・偶像崇拝者 ●なんじらは人類であるが、世界の他の国民は人類にあらずして獣類である。(ババ・ メチア、一四六の六)。 ●汝等イスラエル人は人間なれど、他の民族は人間に非ず。彼等の魂穢れし霊より出 でたればなり。<メナヘム・ベン・シラ法師> ●イスラエル人は人間と呼ばる。しかれども偶像礼拝者は汚れし霊より出でしものな れば、豚と呼ばるるなり。<ロイベン法師> ●イスラエル人はアダム(人間)と呼ばれん。然れど他の諸族はアダムと呼ばるるこ となし。<アブラハム・ゼバ法師> ●悪魔と世界の諸民族とは、畜獣に数えらるべきなり。<ナフタリ法師> ●犬は異邦人より勝れたるものなり。<アシ法師> ●聖書に「隣人」と記されたる個処はいづれも非ユダヤ人を含まざるなり。(「シュ ルハン・アルフ」の注釈書より) ●神を畏るる者は悪しき人(非ユダヤ人)を憎まざるべからず。<ゲルソン法師> ●レビ記十九章十一節には、汝は汝の隣人に不法を為すべからず、と記されたり。こ の文句は、ゴイ(非ユダヤ人)がその中に含まれ居らざる事を明白に示すものなり。 <モシェー・バル・マエモン> ●ゴイが住んでいる家を見て、人はこう言った。神は傲慢の家を亡ぼすだろう。 そして家々が亡ぼされたのを見て人は言った。復讐の神が顕現されたのだ(バビ ロニアン・タルムード、ベラチョット、五八の六)。 ●汝殺すなかれ、との掟は、イスラエル人を殺すなかれ、との意なり。ゴイ、ノアの 子等、異教徒はイスラエル人にあらず。<モシェー・バル・マエモン> ●神はイスラエル人を審くには立ちてなし、尋問も簡単にして速かなり。世の諸民族 を審く時は坐して、嚴格に長々と取調べをなす。<ラバ・バル・ナハマニ法師> ●「世界はただイスラエル人のみの為に造られたり。」この文句は極めて明瞭なれど、 人々はこれをなほよく熟考しまた味うべきなり。イスラエル人に掟の与えられし時、 イスラエル人はその掟によりて種々の美点をことごとく保持せしが、他の民は掟を受 入れざりしによりこれ等の美点を全く有せざるなり。<アブラハム・ゼバ法師> ●イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者なり、他の諸族の中には賢く利 き者唯一人も居らざるに、イスラエル人にあっては全部が特に賢く利き人間なり。 <アブラハム・ゼバ法師> ●一人のイスラエル人の魂は神の前において他の民族全部の魂より価値多く、また神 によって悦ばるるところのものなり。<シェフテル・ホルヴィッツ法師> ●ゴイがゴイもしくはユダヤ人を殺した場合は責めを負わねばならぬが、ユダヤ人が ゴイを殺すも責めは負わず。(前掲書、八の五) ●悪しき者(非ユダヤ人)を憐むことは、正しき者(ユダヤ人)に相応わしからぬな り。<ゲルソン法師> ●ユダヤ人も非ユダヤ人の判断に信を置く事を、非ユダヤ人をして知らしむべからず。 (シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教) ●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。<モシェー・バル・マエモン> ●拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにし て、ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち、 「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物 は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なる故 なり。故にゴイの失える総べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物 にして、その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく、他の 民はこれに値いせざるものなればなり。これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが 如し」と。<ゲルソン法師> ●ゴイの耳は不潔である。かれらの浴槽、住居、田園は不潔である。(トセフタ・ミ クワト、vの一) ●九歳と一日以上のゴイの少年と、三歳と一日以上の少女は、不潔とみなされる。 (パーフォコヴィッツ、タルムード、t・v、一一頁) ●他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの 遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。(シュルハンアルクのシ ョッツェン・ハミッバッド三百四十八) ●ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダ ヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。(トセフタ、アブダ・ザラ 八の五) ●盗賊 という言葉の解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと、 盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だが彼(ユダヤ人)はゴイに禁じ られているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。(トセフタ、アボダ・ザ ラ、八の五)。 ●安息日には非ユダヤ人の焼きたるパンを食すべからず。非ユダヤ人に公衆浴場を貸 すべからず。(シュルハン・アルフ、第一巻生存の道) ●すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を 屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教) ●ユダヤ女を求め得る場合には、異邦女の乳を幼児に吸わしむべからず。異邦女の乳 は心眼を閉ざし、悪しき性格を形成するが故なり。(シュルハン・アルフ、第二巻智 慧の教) ●偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど 彼等が危険に面しまた死に瀕せりとて彼等を救うことは許されず。例えば彼等の一人 水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救い上ぐべからず。また彼等を瀕死の病よ りも癒すべからず・・報酬ある場合と雖も。しかれども吾等と彼等の間に敵意の生ず るを防止する為ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。しか れども偶像を拝む者、罪を犯す者、掟と預言者を否む者は、これを殺すべし。而して 公然と殺すを得ば、その如くなせ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。 例えば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、これを取去り、直ちに 再び持来るべしとの遁辞を用い、かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道 を奪うべし。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)

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