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ユダヤが解ると真実が見えてくる

ユダヤが解ると真実が見えてくる

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2011年10月15日
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カテゴリ:ユダヤの基礎
序・・『シオンのプロトコール』の英訳者
  ビクター・E・マースデン Victor E Marsden

 有名なプロトコールの翻訳者は、革命の犠牲者であった。彼は多年にわたってロ
シアに居住したことがあり、ロシア婦人と結婚した。ロシアにあった当時の彼は、
長らく『モーニング・ポスト』誌のロシア通信員であった。ロシア革命が失敗する
までその仕事に従事していた彼がロシアから送った生き生きとした記事は、同誌の
読者には今もって思い出となってとどまっているだろう。推察されるように、彼は
ソビエト政府に狙い打ちされた。クロミー船長がユダヤに殺されたその日、ビク
ター・マースデンは逮捕されペテル・パウル監獄に投監され、処刑執行に自分の名
を呼ばれるのを日々待つ身となった。だが、彼は脱走し、はなはだしく肉体を損傷
してイギリスに戻った。しかし、彼は妻と友人たちの献身的な看護で健康を回復し
た。仕事ができるようになると直ちに手をつけたことの一つが、プロトコールの本
翻訳だった。マースデン氏はこの仕事には抜群にうってつけの人だった。ロシアと
ロシアの生活とロシア語に造詣が深い一方で、簡潔で要を得た英文スタイルは巨匠
の域にあり、何人かがこの仕事に名乗りをあげたとしても、彼に優る適任者はいな
かった。その結果、彼の訳文により優れて読み易い訳文に接し、整理されていなか
った感のある主題に、マースデン氏の筆致により二十四のプロトコールを流れる脈
絡を読んでとることができる。彼自身が各章の最初に掲げた要約は、プロトコール
の概観を得るのにきわめて有用であろう。
 この労作はマースデン氏自身の血をあがなって実現したというのが真実である。
英訳しようという使命感にかられて無理を重ねたことが明らかに彼を病気にさせ、
彼はこの序文の筆者に、もはや大英博物館の中で一時間と続けて仕事をしていられ
ないと語った。

 マースデン氏と『モーニング・ポスト』誌との関係は、英国に帰国してからはゆ
るやかなものになったが、彼はプリンス・オブ・ウエルズ殿下海外旅行の同誌随行
特派員を快諾した。明らかに良い健康状態で殿下との旅行から帰国した彼は、上陸
して数日を出ずして突然発病し、短時日病床に就いて死亡した。彼の突然の死はい
まもって謎である。

 この労作が彼の栄誉を飾る記念碑とならんことを! この作品を通じて彼は英語
を話す世界に計り知れない貢献をはたした。本書が『シオン長老のプロトコール』
の英訳書のなかで第一級に位置づけられることは、疑う余地がない。

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ユダヤ教パリサイ派
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 ユダヤ教とは、ユダヤ人長老のモーゼス・メンデルスゾーンがこのように言って
いる・・「ユダヤ教は宗教ではなく、宗教化された法である」。この定義は、非ユ
ダヤ人の間に広まっている、ユダヤ教は宗教であるという誤った観念を是正するの
に有効である。
 ユダヤ人もキリスト教徒も同じように、ユダヤ人は最初の一神教者であるとしば
しば声高に説いているにもかかわらず、ユダヤ人のエジプト行きよりもはるか以前
に、メンフィスの僧侶の高位の秘義を受けた者は一神教徒であったことが証明され
ている。
 ユダヤ教は祭儀もしくは典礼書としては最も詳述されているものと考えてよい
が、、ユダヤ立法者モーゼが実在の人物だとするならば、モーゼは最初エジプトの
高位秘義伝授者の間で修業を積み、後に、黒人が行う魔術儀式であり祭儀の由来と
なっているブードゥー教の父と呼ばれることもある、エチオピアの黒人魔術師ジェ
トロの弟子かつ養子となったことを記憶にとどめなけれはならない。
 ユダヤ人の歴史をさらに詳しく見れば見るほど、ユダヤ人はまとまった宗教的な
統一体でも民族でもないことが見えてくる。一部のユダヤ人指導者が世界の全ユダ
ヤ人を一つの民族的統一体に結びつけようとがむしゃらな努力をしたシオニズムが
絶対に誤りであることは、その範囲がパレスチナに限られていることを見ても、さ
ような努力の無意味さを露呈しているのである。
 ユダヤ教は宗教ではなく、ユダヤ人は民族ではなく祭儀としてのユダヤ教の一宗
派である。
 ユダヤ人大衆にとっての義務と典礼は、タルムードとシュルハン・アルーフ[用
意のできた食卓の意]に含まれているが、高位秘義者の奥義伝授ならカバラに載っ
ている。
 そこには神降ろし、超自然力に働きかける呪文の使い方、数秘術、占星術その他
神秘的な諸術が入っている。
 カバリストは幾星霜にもわたってその秘術を使い、非ユダヤ人の上流社会にも大
衆にもユダヤ人の優越性を見せつけている。君主も法王も、一人かそこいらのユダ
ヤ人を占星術師か相談相手として雇うのが常だったし、内科医としてユダヤ人を抱
え入れ生命を委ねることもしばしばであった。ユダヤ人が非ユダヤ人の国々で、経
済力と平行して政治的な力もつけるようになったのは、そういう次第だった。以
来、ユダヤの宮廷銀行家たちが、政府の公債や税金を意のままに操った。
 幾星霜を重ねて、パリサイ派の影響力は広がり続けたが、秘密の破壊的な集団が
浸透し社会を破滅へと陥れて行く恐しい行状が気付かれたことはなかった。
 指導部としてブナイブリス最高会議を頭にいただき、すべての政府に蝟集するパ
リサイ派は、あらゆる国の政府を支配し、政治、経済、宗教、教育を牛耳る専政勢
力となった。『ニコライ二世とユダヤ人たち』でネチェボロドフは次のように説明
している。「バビロン捕囚時代に、ユダヤ人法師たちが入手したカレドニアの科学
によって、聖書と捕囚(紀元前六〇六年)後にユダヤ人歴史家がわずかに残した文
書にその名が見えているパリサイ派を誕生させることになった。高名な科学者のム
ンクは、パリサイ派は疑いなく捕囚時代に形成されたと書き残している」。「カバ
ラやパリサイ派の伝承教説はその時代に遡る。すこぶる長期にわたってかれらの規
範はわずかに口承によって伝えられていたが、後にタルムードを形成し、最終的に
は『セフィー・ハ・ゾハール』という書物にまとめられた」。(ネチェボロドフ
著、前掲書)
 パリサイ人たちは、あたかもユダヤ人の中の一種知的貴族といった観があった。
最初はかれらは「ハブラー」という一種の血族集団をなし、その成員は「ハブリ
ム」すなわち兄弟と呼ばれていた。かれらはサドカイ人の聖職者たちを放逐するこ
とを目的とした破壊分子であった。サドカイ人聖職者たちは血と出自の良い貴族階
級であることを誇りとしたのに対し、パリサイ派は知的貴族であることをもって対
立した。パリサイ派が挑戦した戦闘は長きにわたり、抗争は熾烈を極めた。パリサ
イ派は、重要な教義の一つが「アム・ハレツ」すなわち単純な人々をはなはだしく
軽蔑することにあるのは自ら語っていることであるが、自分たちの目的達成のため
には大衆の支持が必要であることを見過さなかった。かれらはサドカイ人が多くの
場で律法を厳しく守ろうとするのに反対し、積極的に安息日を遵守した。
 サドカイ人の勢力はティトゥス神殿の没落とともに衰退に傾いたが、それ以後、
パリサイ派がユダヤ人の間で覇権を握った。
 ユダヤ教の有名な権威フラヴィアン・ブレニエ氏の言葉を引いて、ネチェボロド
フ提督は、パリサイ派の方針をさらに詳しく次のように述べている。「ユダヤ人の
熱望が誇らしげに表明されるまでに、パリサイ派の伝承教説は深刻な難関を克服し
なければならなかった。最たるものは捕囚によってユダヤ人が正統的な信仰に戻ろ
うとした傾向だった。長期の国外生活の間に、エルサレムの神殿が没落したことを
嘆き、故国の不幸が終るようにエホバに乞うたが、単なる幻であったエホバの啓示
は、ある種の挫折感を招いただけでなく、ユダヤ人がイスラエルに対するあらゆる
権威を失うやも知れぬ決定的な破滅の淵にまで身を曝す事態となった。「その時、
パリサイ派は事態を抜け目なく判断し、宗教運動のリーダーシップをとることによ
って同胞の信頼をかちとり、好んで律法の最も些細な指示でも良心的に遵守し、こ
みいった儀典のあれこれを設け、それらと全く平行して秘密の聖域で新しい教義を
磨き上げた。それが捕囚の時期に二、三百人の識者によって結成された本格的な秘
密結社であった。最も隆盛を誇ったフラビウス・ジョセフスの時代でも、その数は
六千人かそこいらを数えただけだった。






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最終更新日  2011年10月25日 11時52分40秒
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