■ 日本神話、「天児屋命(あめのこやねのみこと)」。 中臣大祓詞・祓詞(はらへことば)。 歴史書「ホツマツタヱ」における、天児屋命(アメノコヤネのミコト)に対する記述。 アルファベット「E」の語源。 富士山の、「葦原の中津国」への、天孫降臨と、縄文文明。 三韓征伐。(16)
カテゴリ:■ ご先祖様の、日本史探訪。
(1)藤原氏の、神代の先祖、「天児屋命(あめのこやねのみこと)」と、祓詞(はらへことば)。 ■ 中臣大祓詞・祓詞(はらへことば) 中臣鎌足は、生きている時は、藤原氏ではありませんでした。 その臨終に際して、天智天皇から、大織冠とともに、藤原姓を賜ります。 実際に、藤原を名乗るのは、息子の藤原不比等からですが、藤原と名乗れるのは、不比等の子孫だけです。 この、中臣氏には、神代の祖先に、「天児屋命(あめのこやねのみこと)」と言われる、神が居りました。 (「天児屋命根」でもよい。 2022年11月2日。加筆) 天児屋命が、一人なのか、屋号なのかは、分かりませんが、神話では、彼は、太陽神である、天照大神(アマテラス・おおみかみ)が、天岩戸(あまのいわと)に隠れ、この世が、闇で覆われた時に、岩戸の前で、「祝詞」(のりと)を読みました。 「右も、左も、世に中、真っ暗闇だ。 お願いだ、帰って来てくれ! アマテラス太陽よ!」 (2)ヲシテ文字で書かれた、古代の歴史書、「ホツマツタヱの」における、「天児屋命(あめのこやねのみこと)」の語源。 ■ 祝詞と書いてノトコト【CGS いときょう 縄文ホツマツタヱの旅 第19回】 いときょう氏は、ホツマツタヱを、完訳しました。 以前、特集を組みましたが、今回は、ホツマツタヱの紹介ではありません。 ホツマツタヱに、ご先祖様の、「天児屋命(あめのこやねのみこと)」についての、記述が、ありましたので、その内容を、ご紹介しょうと思い、動画を、掲載させていただきました。 動画では、(勝手神社)と関係ある人が、歌を詠み、その歌に含まれる文字を抽出し、「天の小屋根命」と命名したらしいのです。 「天(あめ)いのる このてがしやゆ おとをする やどるおなかのみ子となる この子は ますぐ たらちねの なえの よつぎの命(みこと)なりけり」 と言う歌を歌ったので、その歌の中にある文字をとって、「天の児屋根命」、と言う名前が出来た、と述べられています。 この説に対し、私は、逆に、「あめのこやね」と言う文字を、用いて、和歌を、詠んだのではないか、と思うのですが、どうでしょうか? 和歌を、詠むときも、何か、テーマが、有る場合が、有りますよね。 私は、それだと、思います。 (2022年9月21日、加筆。) これは、非常に、参考になる学説だと思います。 私も、この学説を支持したい、と思いますが、私の説は、それとは、若干、違います。 それは、次の項目(3)での、テーマとなりますが、その前に、一言。 いつの時代にも、「常識」と言うものが、あると思いますが、正史を書く上で、科学の技術や、超常現象を、無かったことにして、真面目に、歴史を語る人々が居ると言う事です。 と言うよりも、そうしなければ、おかしいと思われるので、それは、それで、正史を書く上で、仕方が無い事だと思います。 超常現象や、高度な科学を、どの様に証明して良いか、分からないと言うのが本当であり、歴史を書く際に、いちいち、それを証明してからですと、一生かかっても、歴史書などは、書けません。 そこで、そう思いつつ、歴史書を描いた人々も、「しかし、本当は、そればかりじゃないんだぞ、」と言う、本音を含めた、文言を入れていたり、別の歴史書で、それを、表したりすることがあるのだと思います。 それが、「日本書記」に対する「古事記」であったりするのだと思うのですが、この「ホツマツタヱの」も、前者と同様に、その、真面目過ぎる、歴史書ではないか、と思います。 ■ 古事記 日本の原風景を求めて (とんぼの本) 梅原 猛 (3)「天の児屋根(アメノコヤネ)」は、富士山頂の、雪をかぶった部分、の事である。 「天の児屋根」 この単語に、直面した瞬間、これは、地名か、建造物の名前ではないか、と感じます。 この直感が、大事だと思います。 私は、「天の児屋根」が、先に存在していて、勝手神社の人が、それに、ちなんだ歌を、歌ったのではないか。 つまり、「あ・め・の・こ・や・ね」と言う各文字を含めた歌を、歌ったと言う事では無いだろうか、と言う事なのです。 そして、その歌の内容が、その地名の内容に、見事に、合致していたので、感動して、その歌人が、「天の児屋根命(みこと)」と呼ばれる様になったのではないか。 では、「天児小屋根」とは、何か? 実は、私のブログ記事の、「富士文明文字発生論」で、「天の児屋根」は、富士山頂の、雪をかぶった部分、と言う仮説を立てております。 日本アルプスの事を、日本の屋根、と言いますが、それと同じです。 この部分は、その形が、独楽(こま)に似ている所から、コマ(高麗)、高句麗(たか、く、うるわし)とも、呼ばれたのだと思います。 武蔵野に、この地名が、在りますが、富士の噴火などで、「ニニギ命」が、九州に降臨した時、それに従った、この地の、豪族がいたものと思われますが、 彼らの、一部が、朝鮮半島に、移住したものと、思われます。 それ故、「唐」の侵略で、「高句麗」が、滅亡した時、高句麗の人達が、日本の、元、居た場所に、帰化(帰って来る事)して、来たのでしょう。 「帰化」とは、現在使われている、誤解された意味(国籍を変える移住)とは、違います。 戦後、GHQが、「帰化」の意味を、歪曲したか、「帰化」の意味を知らない、歴史家が、誤った解釈をしたかの、どちらか、だと思いますが、「帰化」とは、外国へ移住した人が、元の国籍の地へ、国籍を取得して、帰って来る事を、意味するものだと思います。 (「高句麗」の、「句(く)」は、万葉仮名で、国名が、日本語である事の証明。 2022年11月2日。 さらに、2022年2月11日、加筆。) 日本の神社の屋根は、この「天の児屋根」を象ったものではないか、と思うのですが、鳥居にある、狛犬(こまいぬ)なんかも、その毛並みは、渦を巻き、雲の様な、感じですよね。 また、「麗」(うるわしい)と言う文字には、「鹿」(しか)と言う文字が入ってますので、太占(ふとまに)とも、関係あると思います。 後年、朝鮮半島に、高句麗、新羅、百済などの、日本の、地方自治体が出来ますが、彼らは、プヨ(鹿)族と呼ばれておりました。 「鹿」と、関係あるので、彼らは、関東縄文文明から、やって来たのです。 そして、それらの国々が滅びた時、以前、彼らが居た地域に「帰化」しましたが、つまりは、帰って来たのでしょう。 また、帰って来れなかった者達は、神道を信じていた為に「白丁」と呼ばれ、現地で、差別されたのでしょう。 差別したのは、高麗王朝だと思いますが、差別した側も、された側も、モンゴル人に侵され、遊牧民と、混血に、なったのだと思います。 ちなみに、私が「帰化」に対し、この様な解釈を与えると、マスコミなどでは、いきなり、「渡来人」と言う言葉を使う様になりました。 よほど、マズかったんでしょうね。 【 「E」と言う、アルファベットの文字 】 ここで、「アルファベット」の解説をすると、「雪」と言う文字は、「E」の語源である。 エナジーの状態、それを、意味するが、「雪」や、「雨」は、「雲」から降り注ぐ。 雪は、「雨」と、「ヨ」とに、分解できるが、 「ヨ」と言う文字は、エネルギーが、固まっている状態。 アルファベットの、「E」は、その逆で、エネルギーを、発散している状態。 この、二つの、相反する、文字は、「日」と言う、太陽エネルギーを表す「文字」を、真ん中から、二つに、切ったものである。 光速にも、マイナス光速、と言うものがあるが、それと、似た様なものである。 太陽が、東から、富士の上空に、達するのが、「E」、西へ、沈んで行くのが「ヨ」とも、解釈できる。 そして、「日」の縦線が、両方とも無くなったのが、「三」と言う事になる。 「三」は、「さん」であり、「Sun」であるが、 それは、つまり、太陽である。 例) End、energy、eat、Everybody、Ever ( 2022年2月6日、加筆 ) (4)天孫降臨の伝説と、富士山。 およそ、2800年前、遠い、宇宙の彼方から、富士山頂をめざし、一筋の光が、到達した。 それは、地球から、179万2470光年、の距離にある、バーナード銀河からの、ものであったが、その光は、やがて、人影に変わった。。 それらの、人影こそ、太陽神の孫である、「ニニギ命(みこと)」の一団が、地球に降臨して来た、姿だったのである。 さて、その、富士山頂の、雪がかぶった領域が、「天の小屋根」と呼ばれる場所であり、そこにかかる雲海が、高天原(たかまがはら)と呼ばれる、雲の原野であった。 (「日本書記」の原文では、「昔」から来た、となっているので、過去から来た、とも言える。2022年11月2日 修正加筆。) 一行は、猿田彦の案内で、「葦原の中津国」へ、向かう事になる。 「葦原の中津国」は、何処か、と言えば、ずばり、現在の、「御殿場市」と、「富士吉田市」である。 御殿場には、「大国主の御殿」が在ったので、そう呼ばれ、 この、御殿場市と、富士吉田市は、「富士の三足」と言われる、三つの山の、間に、ピッタリと、存在する。 それ故、「富士の三足」は、「葦原の中津国」の存在を示す、暗号ではないかと、私は、考えているが、 その、三つの山とは、足和田山、愛鷹山(足髙山)、足柄山の事である。 大国主は、ニニギ命(みこと)に、「葦原の中津国」を、譲り渡し、自らは、出雲へ、宮殿を建ててもらい、そこへ、移り住む事になるのである。 さて、話を、「天の児屋根」へ、戻すが、 「天の児屋根」は、雲海の上から、見た場合、島に見える。 その為、「八十島」(やそしま)とも言われたが、そこは、神々が降臨した場所なので、世界に伝わり、耶蘇教(やそきょう)と言う形で、中国にも伝わった。 耶蘇教(やそきょう)は、中国でのキリスト教の名前。 発音すると、イエスとなるらしいが、家巣(イエス)で、「天の児屋根」と、同じ様な意味。 モーゼや、キリストは、この「天孫降臨」の奇跡を伝える為に、日本から、ヨーロッパ、中東へ、宣教の旅へ出かけたのである。 そして、キリストは、たまたま、磔になり、復活して有名になり、自分の教団が出来たが、「アンビリーバボー」を観ていたら、他にも、復活したのは、居るし、復活そのものは、さして、珍しい事でも無いのである。 また、「八十島」は、「八百万(やおよろず)の神々」の語源でもあると思う。 「八」は、富士の、八合目をあらわす数字であると共に、富士山を象った漢字であるので、富士そのものを表す。 「十」は、富士の十合目で、「天」を意味するが、「十」は、十字架の語源でもあり、英語の「Ten」(てん)の語源でもある。 (5)天孫降臨後、何が起こった? 天孫ニニギ命が、宇宙から、富士山頂への降臨した時に、隣の「大山」から、猿田彦が、道案内に訪れ、「葦原の中つ国」へ、案内する事になる。 ちなみに、大山は、オオヤマズミの神の拠点で、その孫に、「クシナダ姫」が居た。 その「クシナダ姫」が、八岐大蛇(やまたのおろち)に、食べられる所を、スサノオ命が、助け、妻とする。 そして、その後、スサノオ命は、横須賀に住むが、彼は、神代の、湘南ボーイとも言いえる。 また、スサノオの、子孫の、大国主は、伊豆から、出雲に、隠居させられたが、それが、出雲大社の始まりとなる。 話は、それたが、天孫ニニギが、「葦原の中つ国」を平定したのも、束の間、火山(孕み山)が、噴火する事になる。 噴火したのは、箱根山、もしくは富士山である。 これは、天孫が、ワープ航法で、降臨した時、マイクロ・ウエーブが発生し、それが、噴火を引き起こしたものと思われる。 近年の、地震兵器の原理と、同じだと思う。 天孫は、筑波へ疎開し、宮城の方まで行く事になるが、冬の積雪の多さから、やがて、温泉が出る、九州へ再降臨して行く。 その時、関東縄文文明も、同時に衰退し、その一派が、朝鮮半島に移り、百済、新羅、高句麗などを建国する事になるのである。 もう少し、詳しく述べると、縄文人が朝鮮半島へ渡った時は、明確に国家と言うものを形成したのかどうかは、明らかではないが、少なくとも、「高句麗」は、その時代から在った。 それから、数百年後、そこへ、漢帝国と戦って敗れた「韓族」と「匈奴」の連合軍の残党が、朝鮮半島に、流れて来て、先住民の、縄文人達の土地を奪い、「三韓」を、形成する。 その為、縄文人達は、日本に逃れて来たが、それが、「弥生時代」の始まりとなる。 後年、神功皇后(ジングウ・コウゴウ)が、三韓征伐を行なったのは、奪われた土地を奪還する為であった。 結局、仇討は、成功したものの、その戦は、「魏」の、「司馬懿仲達」と、同盟を結び、連携して、行った為に、その息子の、「司馬炎」が建国した「晋」が滅びるまで、百済、新羅、高句麗などの諸国を、明確な、地方自治体として、成立させる事は出来なかったのである。 ■ 【大祓詞のサブリミナル】罪や穢れを祓う・功徳を授かる・奇跡が起きる|祝詞・言霊・祓詞・中臣祓詞 【大祓詞(おおはらひのことば)のサブリミナル】では、最も祓いの力を持つとされている、祓詞【大祓詞】をサブリミナル化してい、ると言う事です。 サブリミナルですから、音の影に、大祓詞の言葉が入っております。 [ 今日の、ご先祖様 ] ■ 中臣鎌足、藤原不比等、天智天皇、神功皇后、天児屋根命(あめのこやねの・みこと)、天照(アマテラス)、ニニギ命(ミコト)、スサノオ命、大国主 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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