■ 怪談 「ういの奥山、今日越えて。」、 小野小町が、いろは歌の原作者? 百人一首の歌人、小野小町。
私が、夜道をあるいて帰宅していると、暗闇から気配がした。 私は、思わず、そちらを見たが、どうやら、誰かがいるなと思い、目を凝らした。 すると、坊さんの様な人が、「ちょっと、お尋ねしたいが、」 と、言った。「何でしょうか?」「私は、ういの奥山を、今日、越えて来たのだが、どうやら、道に迷った様で、お尋ねしたいのだが、」「こんな、暗い夜道を、歩いて来たんですか?」「そうじゃ、私は、ある女御を、見かけ、その面影が忘れられず、その女御に逢おうと、こうして、ういの奥山を越えて来たのじゃが、どうやら、道に迷ったらしく、こうしてさまよっておる。」「ういの奥山・・・?」「そうじゃ、あの美しい女御に、一目会いたくて。私は、あの、和歌を詠んでいる、女御の姿、形、そして、袖の匂いが、忘れられなくて、こうして、ういの奥山を越えてきたのじゃ。ところが、私が、民家を通りかかった時、盆提灯がかけてあったのじゃ。」「今日は、お盆ですが、」「それが、おかしいのじゃ、私が、山を越えようとした時は、盆より、随分、前のはずじゃった。それが、なぜか、盆になってしもうた。」「それは、変ですね?」「つい、今日の夕方に、ういの奥山を越えたと思ったのに・・・。」「・・・?」「元々、女御に恋をしたのは、そう、浅い夢に過ぎないのかも知れない。僧侶の身でありながら、恋をするとは、」「・・・。」「身分、不相応。確かに、それは、言える事なのだが、私は、女御の姿に陶酔した。煩悩である事は、分っていながら、」「美しい女性にひかれるのは、世の常じゃないですか。」「しかし、なぜ、今夜、盆提灯が、かかっているのだろうか? それが、分からないのじゃ、」 私が、何か、言おうとしたら、坊さんは、別な方角を見た。「おお、あそこにも、民家があるので、行ってみる事にしょう。」 坊さんは、そう言うと、暗闇の中へ消えて行った。 暗闇の中に消える様に見えたのは、坊さんの服が黒かったから、かもしれない。 しかし、私は、ぞっとするものを感じ、その場を去って行った。 ------------------------------■ 秋田008【小町堂】湯沢市《小野小町伝説》(1)いろは歌の作者は、諸説あるが、小野小町や、紀友則も、作者の可能性がある。 最近、私は、いろは歌の事を思いだすと、小野小町の事を思い浮かべてしまう。 いろは歌は、小野小町の作ではないか? あるいは、紀友則。 二人とも、百人一首の歌人だ。 ここで、その百人一首の、二人の歌を紹介しょう。(2)百人一首の、小野小町と、紀友則の歌。 「百人一首、小野小町の歌」花の色は 移りにけりな いたづらにわがみ よにふる ながめせしまに「百人一首、紀友則の歌」ひさかたの 光のどけき 春の日に静心(しづごころ)なく 花の散るらむ 次に、「いろは歌」を見てみよう。 この文字列が、歌であると言う認識が無い人も、いるとは思うが、ぜひ、歌として読んでみて欲しい。(3)「いろは歌」との比較。 いろはにほへと ちりぬるをわかよたれそ つねならむうゐのおくやま けふこえてあさきゆめみし ゑひもせす この歌の文体と言おうか、コンセプトと言おうか、あるいは、歌人の性格と言おうか、二人に、何か似かよったものを感じるのである。 当時の仏教思想が、平安貴族の共通の考え、共通の世界観だったので、同じ様な感覚で、歌を詠んだ事が、似通ったものになったのかもしれない。 いろは歌の作者は、色々な説があるが、今の所、不明である。 (4) 世界三大美女の、小野小町。 彼女が作者ならば、こんな解釈も出来るのでは?色は匂へと、散りぬるを和歌よ 誰そ 常ならむ宇井の奥山 今日越えて朝来、夢みし 詠もせず 私は、まだ女性としての価値を出したいと思っても、すでに盛りはすぎてしまいました。 昔は、夜、和歌などを読みに来る殿方も、沢山いて、それが日常であったのですが、もう誰も、寄り付きもしない状況です。 しかし、今日は、久しぶりに、誰かが、宇井の奥山を、越えて来て、私に会いに来たと思ったのですが、その人影は、何故か、和歌を詠もうとはしないのです。 朝が来て、それが、夢である事が分かり、男が、和歌を詠もうとしなかった理由も、明らかになりました。 もはや、夢の中でさえも、殿方と、恋歌を交わす事すら無い様です。(あの頃に、戻りたい。そう思っても無理な話しでしょう・・・。)