010706 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ゆんたく物語

2021年09月19日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
琉歌とぅ原(毛)遊び

 恩納(うんな)ナビイや、実(じゅん)に居(をぅ)いがすたら分(わ)からんでぃちん言(い)らっとおいびいん。
 うぬちむええや、ナビイぬ作(つく)たる琉歌(るうか)ぬでえじなちびらあさいびいくとぅ、学問(がくむん)ぬ無(ね)えらんたる百姓(ひゃくしょう)ぬ女(いなぐ)ん子(ぐゎ)ぬん、あん丈(たき)ぬ琉歌あ作いゆさん筈(はじ)んでぃぬ思(うみ)いぬ有(あ)いぎさいびいん。
 実にぬ事(くと)お、我(わ)んぬん分からのおあいびいしが、ただ、うるま市ぬ旧(むとぅ)石川(いしちゃあ)山城(やまぐしく)んかい残(ぬく)とおる戦前(いくさめえ)ぬ資料にゆいねえ、二才(にいせえ)達(たあ)が原遊(もうあし)びぬばすんじ、作たる琉歌ぬいちゃっさきいなあびいびいん(参:『シマくとぅばー旧石川山城』 山城正夫著)。
 著作権ぬ事(くとぅ)んあいびいくとぅ、御目掛(うみか)きゆる事おないびらんしが、特(か)わてぃ、学問そおる青年(にいせえ)やあらな、普通(ふつう)ぬ二才達が作てえる琉歌どぅやいびいる。
 うぬ資料から何(ぬう)ぬ分かやびいがやあ。
一(てぃい)ちえ、戦前までえ、学問のお無えらんてぃん、琉歌あ作いゆすたる事。
二(たあ)ちえ、原遊びえ、ただ、歌(うた)たい舞(もう)たいし、むさげえゆる所(とぅくる)おあらな、互(たげ)えに琉歌作てい来(ち)ゃあに、御目掛き勝負(すうぶ、しゅうぶ)する所んやたる事。
 やいびいくとぅ、「何が必(かんな)じ、学問ぬ無えらんでえ琉歌あ作いゆさんどぅあるばすい」んでぃ言(い)い欲(ぶ)しゃいびいん。肝美(ちむぢゅら)どぅんさあれえ、琉歌あないびいん。
 
 琉歌あ当(あ)たい前(めえ)ぬ事やいびいしが、うちなあぐち叫(あ)びゆさんでえ、作い難(がた)なさいびいん。「勉強琉歌(びんちょうるうか)」んでぃんあしえあいびいしが…。
 うりえ済(し)まびいしが、今(なま)、流行(ふぇえ)えとおる表記法(かちいよう)や琉歌、作いねえ、見映(みいば)あ如何(ちゃあ)ぬ風儀(ふうじ)がないびいらあ…。
 


琉歌
昔人(んかしふぃとぅ)ややから(一字余り)
何時(いち)ん何処(まあ)んじん
琉歌作ゆすい
肝(ちむ)や豊(ゆた)か

琉歌と原遊び

 恩納ナビは実在していたか疑わしいとの説もあります。
 その訳の一つに、ナビの作った琉歌があまりにも素晴らしい事から、学のない平民の娘があれだけの琉歌を作れるわけはないとの考えもあるようです。
 本当の事は私には分かりませんが、ただ、うるま市旧石川山城に残された戦前の資料によれば、青年達原遊びをするときに作った歌が数多く残されています(参:『シマくとぅばー旧石川山城』 山城正夫著)。
 著作権の事もありますので、紹介する事はできませんが、とりたてて、学を積んだ青年が作ったのではなく、ごく普通の若者らが作った琉歌なのです。
 その資料から何が分かるのでしょうか。
一つに、戦前までは、学問がなくても琉歌は作れた事。
二つに、原遊びは、ただ、歌ったり踊ったりして、どんちゃん騒ぎをする場所ではなく、互いに作った琉歌を持ち寄って、披露する場所でもあった事。
 ですから、「強いて迄、教養学問が無ければ琉歌は作れないのですか」と言いたいのです。心が豊かであれば琉歌は自然になるのです。
 
 琉歌は当前ながら、うちなあぐちの話者でなければ、作るのは難かしいです。「勉強琉歌=非話者が賢明に勉強して作る琉歌」もあることはありますが…。
 それはそうと、今、「普通」になされている表記法で琉歌を作れば、見映えはどうなるのでしょうか…。

琉歌
昔人は大したもの
何時でも何処でも
琉歌を作れるし
心が豊か






Last updated  2021年09月29日 16時23分56秒
コメント(0) | コメントを書く


PR

X

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Free Space

うちなあぐの書きことばの普及に役立てればと思ってはじめました。
よろしくお願いいたします。

Headline News


© Rakuten Group, Inc.