沖縄語ぬ特徴とぅ復興7
うちなあぬ言語(くとぅば)が、前(さち)、述(い)ちゃる通(とぅう)い)、やまとぐちんかい入(い)り替(か)わたる後(くさあ)んかいや、他(ふか)ぬ「少数言語」とお変(か)わとおる経緯(いちない)ぬあいびいん。
戦後(いくさあとぅ)、敗戦(まきいくさ)ぬ慣(なり)とぅしち、米軍(びいぐん)なかい掛(か)きらったる事(くとぅ)やいびいん。占領(うふぃぬ)米軍んかいぬ反発(げえ)んあてぃ、うちなあんちゅお日本(やまとぅ)ゆ「祖国(すくく)」んでぃち扱(あちけ)えやあなかい、戦前(いくさめえ)ぬ本土政府(やまとぅしいふ)ぬ「皇民化政策」とぅ同(い)ぬ如(ぐとぅ)、自(どぅう)なあたくるし、本土化(やまとぅない)、進(しし)みてぃちゃるむぬやいびいん。うりんまた占領軍(びいぐん)かいぬ抵抗(げえ)んやいびいたしが、けえてえ、抵抗ぬ「象徴(しるし)」がやたらんわかやびらん。
あんさあに、日本語(やまとぅふち)ゆ本土人並(やまとぅんちゅなみ)に使(ちけ)えくなあち、勝負(すうぶ)する如し、「日本的(やまとぅふうじい)エリート」ゆっ志(っくるざし)しちゃるむぬやいびいん。
うぬ陰(すば)んじえ、うちなあぐちえ、いいくる、粗(す)そうん軽(かろ)うんさってぃ、来(ち)ゃあに、なあだ、うちなあんちゅぬ100%がそううちなあぐちさあやたる戦、終(うわ)てぃ直(ちゃあき)どぅやいびいしが、「哲学書ぬ一頁やてぃん、琉球方言なかい翻訳(とぅんじい)なゆみ」(でならんさに←筆者加筆)んでぃち、大概(てえげえ)、うっちゃんなぎらってぃちゃるばすやいびいん。
うんな事がどぅ、うちなあぐちに哀(あわり)やいびいる。他ぬ少数的危機言語とぅぬ違(ちげ)えみんやいびいん。目(みい)ぬ覚(さみ)てぃにいねえ、そううちなあぐちさあや、うすまさ、けえ減(ふぃ)なてぃ、2009年(にん)ねえ、「消滅危機言語」とぅしち、定(さだ)みらたるばすやいびいん。
筆:比嘉清
沖縄語ぬ特徴とぅ復興7
沖縄の言語が前述のように、日本語への入れ替わりが進んだ背景には、他の少数言語と異なる歴史的事情がありました。
戦後、米軍に占領されたという歴史を背負わされたことです。占領米軍への反発もあって、沖縄県民は日本を「祖国」と位置づけ、戦前の本土政府の皇民化政策と踏襲する形で、自ら本土化を推進してきたのです。それも占領軍への抵抗の一つであり、むしろ、抵抗の「象徴」であったのかも知れません。
そして、日本語を本土人並に使いこなし、競って、「日本的エリート」を目指した側面もありました。その陰で沖縄語は、まだ、県民の100%が話者で終戦後間もない頃に既に「哲学書の一頁、琉球方言で翻訳できるか」(できるわけないだろう←筆者加筆)と、無視に近い扱いをされていたのです。
こうした考えが、復帰の頃まで支配的だったのが沖縄語の悲劇です。他の少数的危機言語との背景の違いです。気付いた帰途には話者は激減し、2009年にはユネスコは沖縄語を消滅危機言語に指定しました。