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カテゴリ:内山の歴史
        内山城址から望む内山
        ↑内山城址から望む内山(秋)

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ユっぴー・コスモスです。

『月刊こすもす』(ここ内山地区にプリントショップ・コスモスさんが配布してくださる地域新聞)に昨年掲載された、
内山在住、羽毛田さんのエッセイを、
下に転載いたしますね。

(Web上で読みやすいように、ユっぴーが改行・行空けしております。)


       ♪ ♪ ♪


 --- 文化のはじまり 縄文 その1 ---

 文化のはじまりはいつでしょうか。

そもそも文化とはどういう意味なのでしょうか。
手元に辞書のある方は調べてみてください。
たぶんよくわからない事が書いてあると思います。

似たような言葉で文明ということばがあります。

これもまたよくわからない事がもっともらしく書いてあることと思います。

歴史学では文化を精神的文化(こころの文化)と物質的文化(ものの文化)のふたつに分けて、ヒトの行為によって作り出されたものとその過程を指します。

文明は文化が成熟し、物質的な人間生活が発展した状態を指します。

歴史的には精神的文化と物質的文化のバランスが崩れると、文明は衰退すると言われ、有史以来様々な国や文明がそれを何回も繰り返して今日に至っています。

有史以来ひとつの国家であった日本でも例外ではなく、国内においてそれを何回も繰り返して現在の日本にいたっています。


 日本人ほど「自然や昆虫、小動物を愛でたり、文化や学問好きな人種」はいない。

さらに日本人は「文化好きなのに文化を大切にしない人種」であるといわれます。

では文化好きな日本人の文化の始まりはいつでしょうか。

歴史学では、縄文時代を縄文文化、弥生時代を弥生文化と呼ぶことがあります。

縄文時代の前を先土器時代と言いますが、先土器文化とはあまり言いません。

まだ解明されていないことがたくさんあるからです。約1万年間続いた縄文時代は、ものとこころの文化の発達が両方見られるので縄文文化という言葉を使うことができます。

そこで「文化の始まりは縄文時代から」ということで話を進めます。

長い縄文時代は、そうそうき草創期・早期・前期・中期・後期・ばんき晩期という6つに細区分されています。


 佐久の縄文時代の遺跡は、山間部やきゅうりょう丘陵平坦部、やち谷地、谷地原などに展開しています。

こうした場所は開発が及んでいないために、発掘調査されていない場所が多く、また調査も部分的な調査が多く、どのような生活が営まれていたのかまだ解明が進んでいません。

それでも何箇所かは開発のため調査されてきています。

てらばたけ寺畑遺跡(根々井、草創期)、よりやま寄山遺跡(志賀、早期から中期)、うしろざわ後沢遺跡(前山、前期)、うずら鶉ヲネ遺跡(香坂、中期)、瀧の下遺跡(前山、後期・晩期)などです。

中でも寄山遺跡は、リサーチパーク造成事業に先立ち、遺跡のほぼ全体が調査され、縄文時代中期の大集落が発見され、たくさんの土器や石器が出土しました。その遺物(土器・石器・土偶)の代表的なものは文化財課の資料展示室で見ることができます。

そこで佐久の縄文人のこころの文化の一端に触れることができると思います。


 食を自然の恵みに頼っていた縄文の人々は、自然の豊富な内山を見逃すはずはなく、内山地区にも縄文時代の遺跡が存在します。

その中で唯一、苦水のごしょだいら御所平遺跡が昭和58年に調査されました。

御所平遺跡は滑津川を北に臨む丘陵平地に広がる遺跡で、調査地点は遺跡の北西端部分です。

この時の調査では中世のたてあなじょう竪穴状いこう遺構と呼ばれる住居の跡と縄文時代中期(B.C3000年前後)の土器を伴うどこう土坑群が見つかりました。

開発に伴う部分的な調査でしたが、遺跡全体に縄文時代中期の集落と中世の集落が展開している可能性があり、豊かな自然の恵みによって小規模ながら充実した暮らしが想像されます。

         (文責羽毛田)
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最終更新日  2013.10.04 16:17:25
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