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2006.09.02
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カテゴリ:内山の歴史
       赤いコスモスとつぼみ2

ユっぴー・コスモスです。

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『月刊こすもす』
(内山地区にプリントショップ・コスモスさんが配布している地域新聞)
の、9月号に掲載された、
内山在住、羽毛田(はけた)卓也さんの、
地元の歴史・自然エッセイを、転載いたします。

(Web上で読みやすいように、ユっぴーが改行・行空けしています。)

 ★見てね♪
   → ★羽毛田さんの、自然・歴史エッセイコーナー★


今回のエッセイは、昨年内山で発掘された、
扇田(おうぎだ)遺跡の住居址についてです。

さて、古代の内山の住居は、
どんなお宅だったのでしょうか♪





   --- 超人気住宅地「癒しの里!扇田」住宅実態調査!
                 ──扇田遺跡その3──
 ---


前回は「扇田遺跡」の概要を紹介しましたが、
今回からはさらにくわしく、何が出てきたのか
より具体的に説明します。

左の図は、(※ユっぴー注:下の図↓)
今回調査された集落のほぼ中央あたりで検出された
古墳時代後期(7世紀代)の住居の平面図です。


扇田住居ハーフ9割


実際の1/160の縮尺で、東西が5.9m・南北が5.6mを測る
古墳時代としては中規模のごく一般的な住居です。

平屋ですので単純に計算すると床面積は、約33平方メートル、約10坪となります。

北側の中央にあるのがカマドと呼ばれる施設で、
佐久地方には5世紀の後半に導入された煮炊きをする施設です。

この住居のものは天井部が崩壊し、全体が半壊していますので、
ちょっと完全な姿を想像するのは難しいかもしれません。

他の遺跡でほぼ完全な形で発見されているものがあるので
後日あらためて紹介します。

戦後しばらく使用されていた鍋や釜が並んで固定されていて、
薪を入れる焚口のあるかまどを覚えている方もいるかと思います。
その原型がこれになります。

そのかまどの左右から壁ぎわを一周している溝は、
壁板(かべ)を据えた際に掘られたものです。

入口は通常南側中央に設けられますが、
この住居は、壁溝が途切れている南西隅が入口かもしれません。

北東コーナーには直径1.1m・深さ0.35mの円形の穴(図中のD1)が
床面に掘られています。
この穴は貯蔵穴と呼ばれており、食物を貯蔵した施設と考えられています。
現在のキッチンの床下収納施設みたいなものです。
使用時には板の蓋がかけられていました。

床面に小さな穴が方形に並んでいます。
P1からP4と記号が付いている実線で描かれた4基の穴です。
これは屋根を支える主柱を据えた柱穴の跡です。

壁からの距離や住居の軸との関係、柱と柱との距離など整っていて、
きちんと設計されていることがわかると思います。

この図ではわかりませんが、
主柱を据える際に掘られた穴も深さがほぼ揃っています。
また床面も水平になるように土をいれています。

いい加減な造りの住居も他に存在しますので、
この住居は今で言う1級建築士さんの仕事かもしれません。

今回調査されたこの住居は、深さが25センチメートル前後しかありません。
使用されていた当時は140~160センチメートルの深さがあったろうと考えられます。

佐久は寒冷地ですのでもう少し深かったかもしれません。
今は地上に建てられた家に住んでいますが、
当時の地方ではみなこのような半地下式の家に住んでいました。

地面に対して垂直に掘られているため竪穴式住居と呼ばれます。
また地面の上に建てられた家を平地式住居と呼んで区別しています。

佐久の古墳時代の家は竪穴住居がほとんどで、
平地式住居はまだ発見されていません。

この竪穴住居の利点は、地上より1m以上掘られて造られるため、
冬は暖かく、夏は涼しいことです。
一種のエコ住宅と言えます。

(参考:「佐久市埋蔵文化財報告書第135集」)








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最終更新日  2006.09.02 08:13:03
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