|
カテゴリ:旅
ようこそ、お越しくださいました。 久しぶりのブログのアップです。 約、50日ぶりか。 この間、シーズンが終わり、暇になるかと思いきや、 結構忙しい日々を過ごしてまいりました。 お客様に向いていた心というか情熱を、 島の為というか、そんな役割が目白押しとなってきまして、 一つ一つこなしている毎日でした。 「あじ朗志組」というボランティア団体に 長くかかわってきましたが、 昨年にその代表の組長は亡くなって、 その穴埋めに奔走してきたこと。 地元の行政区に関わることで、 新しく開設される船の待合所とトイレの 管理と運営の在り方を決め、スタートさせたこと。 311での支援事業で行われる公民館の 解体工事と新規建築の設計やら運営やら、 バタバタです。 そんなことにいったん中断を決め込み、 今は旅先からこのブログを書いております。 11月1日に島を出発し、 今は長野県の白馬村にある道の駅にいます。 今回の旅の前半は、温泉巡り。 福島の高湯温泉、 那須塩原の元湯温泉、 群馬県の四万温泉、 そして極めつけの草津温泉でした。 それぞれに、いい湯でしたよ。 那須塩原温泉郷の一番奥にある元湯温泉。 硫黄泉の白濁した湯が、何とも良かったね。 温泉があるという事は、火山がある。 火山があるという事は、地震にもつながる。 温泉は好きだけど、地震は嫌と思う方が当たり前ですね。 これも、プラスとマイナスの「調和」なのでしょうね。 旅先でいろいろな人々や風景に出合います。 それぞれの人には、もちろんそれぞれの生き方や生活がある。 家族や仕事、収入や支出、喜びや悲しみ、夢や現実・・・ そんなことを、ふと考えてしまう。 私も若い時はその日その時を 真剣勝負で生きてきた気がします。 そして60歳を過ぎ、今は66歳になりました。 今にして思う事は、 現役を退く機会に出会う60代までが人生の半分、 それ以降の人生が、 実はもう半分に匹敵するのではないかと思ってしまう。 計算からすれば、人生80年の半分は40歳。 でも、人生は計算ではありません。 子供や家のために頑張ってきた今迄から、 それら義務感から解放された 自由な人生が待っている後半の半分の人生。 その残り半分の人生を、 どう生きるかに真価が問われるような気がします。 もちろん、どう生きようが 自由ですので個人の選択次第です。 でも、その時間を前半の半分と同じように、 ただ食べて行くためだけに大切な時間を費やしてしまうのは、 もったいない気がいたします。 私の知り合いに、定年を迎えた後、 あと何年生きるのか、 そこから逆算して今はどれだけお金を使えるのか。 結局お金は極力使えないからと、 お金を使わなくとも時間をつぶせる図書館に、 おにぎり2個をもって自転車で図書館に通い、 夕方までそこで時間をつぶすという 生き方をしている方がいます。 お金に自由を奪われた人生、 多くの義務感から解放されるべき時に、 更なる鎖を自身に纏ってしまった。 それも、自由な選択です。 「自分は、何のために生まれてきたのか」 という絶対的テーマを追い駆けてみたくはありませんか。 旅に出ていると、生活感が無くなります。 支払いの事、収入の事、 人や仕事との関わり、損や得。 それらが目の前からふっと消え、 今日どうしようか、 どこに行こうかという 子供じみたことを問いかけて、 1日がスタートする。 なんとも幼稚な珍道中ですが、 その中の有り余る時間の中で何かが見えてくる。 それは、こうして元気に旅を続けていられることへの 大いなる感謝と喜び、 隣を見れば必ずそこにいる 46年連れ添ったカミさんへの愛おしさと幸せ感。 怒りや焦り、 恐れや不安のない時間を、 心から楽しめます。 旅の間、読もうと思って島から 持参した5冊の本も読み終わり、 現地調達で数冊購入しました。 旅先で、時間がもったいないから 何も本なんか読まなくったって いいじゃあないかと思われるでしょうね。 ところが、これがまたいい。 あっ、雪が降ってきた! 今年初めて見る雪。 白馬村の紅葉と小雪の コントラストが美しい。 今日で旅も9日目。 とっても早い気がします。 あと数日間長野に滞在し、
のんびりと京都に向かいます。 長野市の善光寺の紅葉。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|