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テーマ:MY健康法(887)
カテゴリ:健康法
五木寛之さん Web東奥より 足の指に名前付け感謝/人はカラダと二人連れ 趣味は養生、と昔から言ったり、書いたりしてきた。 健康法では趣味にならない。趣味というのは面白いからやるものだ。道楽、といってもいいだろう。役に立とうが立つまいが、それが楽しいからやるのである。 養生は私の遊びの一つである。若い頃は競馬に凝ったり、麻雀(マージャン)に熱中したりした。いまは遊びといえば、せいぜい養生といったところだ。 遊びであるから苦しいことや無理なことはしない。 先日、ある人から「毎日、足の指を一本ずつ揉(も)むと健康にいいんだよ」と教えられた。 足の指を揉むくらいのことは、百年前から知っている、と言おうとしてやめた。 「それはよさそうだね。きょうから毎日やってみよう」 と、神妙な顔でうなずきながら、内心、ペロリと舌を出した。 足の指を丁寧に揉むのが体にいいことは、私が昔から言ってきたことだ。体で大事なのは中心ではなく末端である、というのが私の持論だった。三十年あまり前に出した養生本のなかで、そのことを冗談をまじえて書いているから、お読みになったかたもいらっしゃるだろう。 夜、寝る前に、足の指の一本一本を、感謝しながら指で揉む。一日ご苦労さんだったね、と、声をかけながら優しく揉みほぐすのである。それぞれの指に名前をつけて、右足の指は親指から順番に、一郎、次郎、三郎、四郎と呼ぶ。小指が五郎ちゃんだ。 左足は親指が一美(かずみ)、次が二美(ふみ)、そして三美(みみ)、四美(よつみ)と続く。小指を五美(ごみ)と命名したと書いたら、お叱りの手紙が殺到した。 いくらなんでもゴミはひどい、というのだ。たしかにその通りだと反省した。イツミと呼ぶことにして炎上せずにおさまった。 足の指にも、一本ずつ性格がある。形もちがえば動きもちがう。 チベットの山のサポーターであるシェルパは裸足(はだし)でけわしい山路を歩くという。濡(ぬ)れた岩の上で滑りそうになっても、滑らない。足の指がモミジのようにパッと開いて、バランスを保つのだそうだ。 その話を聞いて、左右の足の指を扇のように全開にひらく練習をしてみたのだが、なかなかうまくいかない。左側の五人姉妹はなんとか開くのだが、右の小指、五男坊の五郎がどうしても言うことをきかないのだ。 やたら力を入れても足の指は自由に動かすことはできない。素直な子もいれば、強情でひねくれたやつもいる。 左のほうのゴミ、いや、イツミちゃんはとても素直で、見事に横向きに開いてくれる。 体というのは本当に面白いものだ。そのうち右側の強情な五男坊も、素直に言うことをきいてくれるようになるかもしれない。 完全な孤独というのは本当はないのである。人は、「自分と体の二人連れ」なのではあるまいか。 現在では痴呆症の予防にもなると言われています。 指先に一本ずつに名前をつけて指を揉んでいるそうです。どこかでこのお話を聞いたんですがどこで聞いたかは忘れてしまいました。 先ほど思い出してふとブログにアップしたくなりました。 実際、末梢神経を刺激すると指によりつながっている臓器や身体部分に良い変化があるとされています。 私がいろいろ調べた結果、指先のツボのみかたは色々ありましたのであえてどこがどのツボとは書きません。 しかし左手の薬指は私の経験上あまり揉んだり刺激はされない方がよさそうです。 自律神経がどうも乱れる可能性があるとされているし、心臓がドキドキする状況があり、私はあがり症ですので左手の薬指を右手で握ると不思議とドキドキ感が減少することが多かったです。 笑われるかもしれませんが私は身体が弱いので寝る前と朝起きた時に腰や首、肩などをさすりながら「ありがとう」と言うようになりました。(笑) 効果があるかどうかはわかりませんが結構無理をしているので感謝をしないといけないな~と思いまして・・・ 身体は一つしかない大事なものですから・・・ 本日も最後までお読み頂きましてありがとう御座いました。
最終更新日
2020.02.14 22:32:51
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