|
カテゴリ:この本を読んでます。
なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 小野雅彦さんの本を読みました。
台風の影響ので関東地方もかなり影響があり雨が降ったり雷が多くなっておりました。 9月3日の木曜日の畑からの空 私が一番嫌いな事務仕事をしたり郵便の準備をしていました。数字を見るのが一番苦手な私ですが・・・ さて先日、本を購入しましたので御紹介いたします。 楽天にはこの本を取り扱いがありませんでしたのでAmazonへのリンクを張っておきます。 なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか Amazonへのリンク この本を購入した動機は太原雪斎禅師と竹千代(徳川家康公)のとの関わりや人物像を知りたかったためです。 この本の評価はAmazonなどではあまりよくありませんでした。 私は歴史関係は全くの初心者ですので非常にわかり易く書かれていたので良い本だと思います。 家康公の人間性や出来事を読むには良いのかな~と思いますよ。 さて家康公がなぜ天下をとれたかが見れた内容です。 このような事が書かれていました。 織田信長公は武田信玄の子で武田家当主になった武田勝頼公の首を足で蹴り飛ばし信玄公が目指した京でさらし首にしたそうです。 敵味方がその行為を見てどのように思うのでしょうか? その武田勝頼公の首に対して「若気のいたりで家や国を奪われ、気の毒なことでした」と労いのことばをかけたという。 家康公は元々、武田信玄公を尊敬していたようですしそのような想いもあったに違いありません。 信長公と家康公の人間性の違いを見ることが出来ました。 実は武田家家臣を家康公は自分の家臣に加えることが出来たことも天下をとる足がかりになったと私は思っております。 家臣と家康公の主従をこえた関係。 竹千代と呼ばれて頃は織田家の人質そして今川家に人質になった幼少期から青年期の間は松平家の家臣は苦渋の苦しみだった。 年貢は今川家に取られてしまい家臣が田畑にでて鍬をもって耕さなければならない時期が長く続いた。 そのような時に領内を巡視した時に畑仕事をしている家臣を見つけると家康公は「わしに甲斐性がないばかりに、苦労をかけるな。でも、もう少し辛抱してくれ。いつか必ず、おまえたちといっしょに仕事がができるようにするから」と声をかけたそうです。 そして領内の家臣は今川家にわからないように蓄財をして松平家再興を願って準備をしていた家臣の願いは相当の物だったと考えられます。 家康公は家臣に対して自分が間違っていたら素直に詫びる。 家臣も人間です、家康公が自分の間違いをすぐに詫びることが出来たことも家臣を惹きつける要因だとおもいます。 この辺が絶対的な家臣との信頼関係が構築されていたのではないでしょうか。 私は家康公のすべてをするわけではありませんが260年にわたる太平の世の中を作りだしたの徳川家康公と家臣団の物語をこれからも本を見つけては読んで行きたいと思います。 明日も台風の影響であまり良い空模様ではないようです。 明日も頑張って行きましょう。 本日も最後までお読み頂きましてありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.09.06 21:58:22
コメント(0) | コメントを書く
[この本を読んでます。] カテゴリの最新記事
|