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2004/12/28(火)16:00

クリスマスが終わった

徒然うさ(32)

やっと、クリスマスが終わりました。 これで、女性と会ってもプレゼントを渡さなくていいというものです。 やっと、繁華街にも出られます。 それにしても、どうして、クリスマスに浮かれたりするのでしょうか。 クリスマスに浮かれる人々は、七面鳥の気持を考えた事があるのか。 孤独な人が、こういう日にどんな思いをしているか、考えたことがあるのか。 何人もの女性にプレゼントを渡さなければならない私の窮状を考えたことがあるのか。 (おまけに、プレゼントを渡しても、何の見返りもないのだ) かつて、日本でもクリスマスには、家族や恋人やホステスと過ごし、街は閑散としていました。 今やクリスマスは、女性にとっては、プレゼントをもらう日です。 アクセサリーショップやブランドショップには、男たちが群がっています。 ある知人の若い女性(仮に名前を、みっちゃんとしますが、特に意味はありません。詮索しないように!)に訊くと、彼女はこう答えました。 「クリスマスは一年で最大のイベントですよ。  誕生日よりも力が入ります。  毎日がクリスマスならいいのにと思います」 「勤労感謝の日や、敬老の日よりも力が入るのか」 「あたりまえです」 「どんなプレゼントをもらうのが嬉しい?」 「身に着けるものが一番です」 「驚いたな!教養が足りないことを自覚していたのか」 「教養を身につけたいんじゃなくて、指輪とかが欲しいんです。  思い出になるものを、いつも身につけていられるでしょう」 「でも、金目のものじゃないと、思い出にならないんだろう」 「金額は問題じゃありません」 「じゃあ、仮に男が、  『たいしたものじゃないけど、気持だけは人に負けないつもりだ。身につけていて欲しい』  と言って、使い古しの百円のボールペンをプレゼントしたら、どうする?」 「『おまえ、何か勘違いしてないか?』と言って、突っ返します」 「しかし、金額は問題じゃないんだろう。  たとえば、  『君には、都会の汚れた空じゃなく、澄みきった満天の星空がふさわしい』  と言って、権現山(高尾山でも無意根山でも英彦山でも可)に登り、星空を指差して、  『ごらん、これが僕のプレゼントだ』  と言ったらどう?」 「『おまえの夜空か。目を覚ませ!』と言い捨てて帰ります」 「それなら、豪華クルーザーで南太平洋に連れて行って  『ほら、あの南十字星が僕のプレゼントだ』  と言ったらどうする?」 「それなら、うれしい」 「南十字星だって、その男のものじゃないだろう。  目を覚ませ!  結局、金が問題じゃないか」 「いいえ、どれだけ犠牲を払うかという、誠意が問題なんです」 「それなら、みっちゃんのために、男が二晩徹夜して作った詩をプレゼントしたらどうだ。  詩なら、指輪なんかより、ずっと思い出になる」 「気持ち悪いだけです。  『常識を身につけろ!』  と諭してやります」 「短歌や漢詩なんかはどうだ。  平安時代には、和歌のやり取りで愛を確認していたのだ」 「『平安時代に帰ってろ!』と言ってやります」 「自作の絵や音楽を贈られたら、どうする?」 「『失せろ!』と言います」 「男が有名アーティストで、高価な作品でもか?」 「それなら別です」 「ほら見ろ、やっぱり金じゃないか」 私はこう言って、話を一方的に打ち切った。 彼女に、「じゃあ、マッケンジーは詩をもらいたいんですか」と質問されて、私が答えに窮するのが目に見えていたからです。 それにしても、聖なる祝祭日が、どうして欲望に飢える日に成り下がってしまったのでしょうか。 子供の頃から、クリスマスには何かもらえると思い込ませてきたことが、さもしい人間を育てたのです。 ぜひとも、改革が必要です。 今後、クリスマスには、詩を交換するようにしたらどうでしょうか。 そうすれば、みんなも私と同じように、クリスマスが早く過ぎるように祈るはずです。 少なくとも、私のように、クリスマスが過ぎるまでは、極力目立たないように、身をひそめるようになるでしょう。

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