2006/07/02(日)00:28
新世紀エヴァンゲリオン EXマーメイドフィギュア レイ編
昨晩のアスカ編に続いて今夜はレイ編なわけですが・・・
アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を知らないというコメントをいただき、ちょっと私のエヴァに対する熱い思いを語ってみます。
#まぁ、10年も前に放送されていたアニメなので、知らないという方がいてもおかしくないですしね。
いわゆるロボットアニメには(私はエヴァもガンダムもロボットだとは思っていませんが)、二度の大変革がありました。
一度目は言わずと知れた「機動戦士ガンダム」です。ガンダムは、緻密な世界観の構築と、人間ドラマを主軸に捉えるという、それまでのロボットアニメ無かった要素を持っていました。
特に私が個人的に、「唯一にして最後のガンダム」とする俗に言う「ファーストガンダム」は、戦争という運命に飲み込まれ、翻弄され抵抗する主人公アムロが、いつしか能動的に生きる決意をし、戦争と正面から向き合う・・・という優れたストーリーが圧巻でした。
単純な勧善懲悪ではなく、敵側で死んでいく兵士達にも、自分達と変わらない生活と命がある・・・という大切なことも込められていました。
そして二度目の大変革が・・・新世紀エヴァンゲリオンです。
エヴァは当初、コテコテの「単純に面白いアニメ」として始まります。
楽しい学園生活には、ショートカットのレイ、ツンデレのアスカ、定番の委員長。オヤジギャルのミサトさん、大人の魅力の白衣のリッちゃんと、男の子のすべての好みを網羅する品揃え!(?)
しかもアスカとミサトさんとは夢の同居生活!さらに軽快なテンポのギャグと、カッコイイロボット!
もうこれだけでヒットして当然でした。
・・・が。
物語が進むにつれ、様相は一転してゆきます。
楽しい仲間達の・・・誰もに、それぞれ心の深い傷があることが暴かれていく。誰もが自分のアイデンティティーの危機の中にいる。
頼れる味方のはずのロボット「エヴァンゲリオン」さえ、不気味で恐ろしい姿を現してくる。
それらが、「宗教」のモチーフに包まれ、不毛と絶望の中へ転がり込んでゆく。
ヒットする要素の一つ一つを、踏み潰しながら物語りは進みます。
そしてテレビ版の最後は、カットバック手法で綴られ、もはやアニメでさえない?エヴァもほとんど出てこない。掟破りです。
それは「アニメでわかる実存主義哲学」とも言うべきもので、結局なにがなんだか分からなかった人も多いのでは?
私はテレビ版を「サルトル版」、劇場版を「カミュ版」と呼んでいます。
エヴァは哲学です。
某書店のエヴァンゲリオンコーナーに、サルトルの「存在と無」と、R.D.レインの「引き裂かれた自己」が置いてあったのを見たときは、「ああ、ここの店員さんは解ってるなぁ」と思いました。
どちらも私の愛読書であったので、当然、私はエヴァにのめり込んだのです。
・・・えと。
全然説明になっていませんね?( ̄□ ̄;)
やめたやめた!
とにかく、エヴァが好きなんだい!女の子みんなかぁいいしぃ!文句あっか!(最初から素直にそう言えばいいのに・・・
さて、お待たせしました!レイです!
イイーーーー!O(>___