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カテゴリ:小説:奈良白日夢奇譚‐耳視師・月櫻
耳視師の名を師匠から賜ったとはいえ、
「絶対正しい」という言葉はないと思う。 その為に、仲間どうしで確認をしあったり、 己だけで成しているなどという心を戒めるなど、 「暴走」しないようなセーフティーは何重かにかけている。 しかし、究極、全ては「自分のフィルターで見聞きした事」に過ぎない。 雲の形が変わったとか 印あっても、 自分のフィルターで見ている事には変わりない…。 だからこそ、 気をつけなければならない事が多々あるのだ。 九重の重ね重ねた垣根の様な扉を作りだしたもの…、 確かに何万人と訪れたヒーラーや宗教家の中には、 間違った者もいたのかもしれない。 弁財天を商売繁盛の神として信奉している方々もいる。 パワースポットとして幸運を求めに来たものも多々居ただろう。 いや…、 宗教家よりも、パワースポットを求める人たちよりも、 遥かに古来より奉納し続けてきた音楽家達の心だったのかもしれない。 富を求める気持ち、 人より幸せになりたいという気持ち、 成功し、名声を得たいという気持ちが、 他の者をはねのける扉になったかもしれない。 そこまで考えて、月櫻は首を振った。 本当の正解はだれにも判らないのだ。 そう、私が行っている事も含めて。 ふと、最近みたTVドラマのワンシーンを思い出した。 「JIN~仁」というそのドラマの中で、自分の行為が未来に影響を与えるかもしれないと悩んでいた主人公が佐久間象山に叱咤された台詞。 「もしお前のやったことが神の意に沿わぬことであったら、神は容赦なくお前のやったことを取り消す。神はそれほど甘くない。ならば、救え! その心のままに救え!」 不覚にも、その台詞を聞いた途端、 滝の様に涙が頬を流れ落ちた。 心の奥底の何処かに眠っていた疑問を、 見抜かれたようであった。 そう、神はそんなに甘くないのだ。 そして、人は神の真意を測り知るには余りにも幼いのだ。 やるしかないのだ。 責任を取る覚悟で。 しかし、最善の注意と敬意を払ってだがな…。 そう、月櫻は自分の心に一区切りつけた。 しかし、 ちいさい弁財天に対しては、 大勢の参拝者に対して、特に音楽家やアーティストに対しては 『純粋に、純粋に貴方を祈る心で接すればいいのにな…』 と月櫻は思った。 神に奉納する時に、 ただただ、聞いて下るに値するかだけを心に思い。 「世のしがらみ」から離れ、 「売れる曲」 「うける音楽」 「評価される恐怖」から離れ 「会社や周囲の思惑や商業戦略」から離れ、 ただ神だけ向き合って己の音楽を奉納する。 修祓(しゅばつ)で神と人との垣根を払えば、 そこはもう神の庭。 この世を抜けて、 かの世と楽しむ。 そこにはたまには天啓も受けて帰ってくるかもしれないけど、 それはあくまでオマケ。 音って それだけ純粋で、 神聖なんだなと…。 月櫻は思った。 「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」 突然の奈桜の声に、月櫻はいきなり現実に引き戻された。 「なんだ!何があったんだ!!!???」 「これ!これ見て!!!」 ◆◆◆例 大 祭◆◆◆ ■宵宮祭7月16日(土) ■例大祭7月17日(日) 例大祭(れいたいさい)とは、天河神社年中行事の中で最大のお祭りで、普段は見る事が出来ない、天河神社本殿に祀られている弁財天像が御開帳される貴重なイベントです。http://tenkawajinja.blog120.fc2.com/blog-entry-18.html ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ まったく何にも考えずに選んだ日にちが、ずばりこれか??? しかも 御開帳?。 扉が開かれる日だと? 先程のドラマのセリフが再び脳裏に読みがえった。 「もしお前のやったことが神の意に沿わぬことであったら、神は容赦なくお前のやったことを取り消す。神はそれほど甘くない。ならば、救え! その心のままに救え!」 …夢でも扉、現実でも御開帳か。 けど私の場合は「救え」ではなく、 「行え」だがな。 『ならば行え!その心のままに行え!』 月櫻は深呼吸を一回すると、 のんびりとした参拝を予想している旧友に電話をかけたのであった。 ![]() にほんブログ村←明日は日記をアップ出来ないと思います。すみません。けど今日は37人の心優しき方によりランキング保持が相成りましたw。ぽちを押して下さっている方がいて下さると楽しいですね←ゲンキン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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