仕事と遊び、そして勉強―境界を超える
仕事はなんのためにするのでしょうか。 お金を得るため? 生きるため? 家族を養うため? 確かに、これらは仕事をする理由として挙げられるものです。しかし、私はそのように割り切って考えることには少し違和感を覚えます。私の考えでは、仕事は何かのためにするものではなく、「自分が楽しいからこそやるもの」だと考えています。仕事と遊びの違いとは 友人との会話でよく耳にするのは、こういった言葉です。 「仕事は絶対に家でやりたくない!」 「仕事が終わったら遊ぼう!」 多くの人が、仕事=お金を稼ぐための辛い労働、遊び=楽しいことと考えがちです。確かに、物質的な対価を得るために働くという側面はありますが、私はそのように「仕事」と「遊び」を完全に切り離す考え方には賛成できません。 例えば、私がアルバイトをしていた頃や、現在の経営者としての立場においても、仕事と遊びの境界は非常に曖昧でした。お金が発生する活動そのものが、実は楽しいことに感じられる瞬間も多かったのです。これを言うと、「遊びの延長で真剣に取り組んでいないのでは?」と思うかもしれません。しかし、私にとっては、どんな活動であれ、それが面白ければ、真剣に取り組むことができるのです。遊びでも、仕事でも、それに対して真剣に向き合うことは変わりません。 「遊びは責任がなく、金銭が発生しないからこそ楽しい」「仕事は金銭が発生するから真剣に取り組むべきだ」という意見もあります。しかし、私の考えでは、面白いと思えるものは、たとえ遊びであっても、それに対して極めた結果、金銭が発生することもあります。最終的には、興味があるもの、面白いと感じるものを追い求めていけば、それが自然と仕事に繋がるのです。勉強と遊びの境界 学生時代を思い返すと、上記の考え方は仕事に限らず勉強にも当てはまります。両親には感謝していますが、幸運にも勉強を強制されることなく、楽しんで学べる環境を与えてもらいました。しかし、一般的には学校では、勉強と遊びの違いを明確に区別し、勉強を辛いもの、遊びを楽しいものとして捉える風潮が根強くあります。この区別が、勉強を苦しみと感じさせる一因なのではないかと思います。 学校制度が現状では難しいかもしれませんが、私の理想は、学びが楽しさと共に成り立つような環境づくりです。楽しいと思える瞬間に学びを取り入れ、遊びと学びが一体化したような体験ができる学制が生まれれば、仕事や勉強に対するネガティブなイメージが少しでも減り、社会全体がもっと活気づくのではないでしょうか。 私たちが目指すべきは、勉強や仕事がただの義務や辛さから解放され、自己実現の一部として捉えられる社会です。これからも、少しでもその考え方を広めていくために努力していきたいと思います。勉強も、仕事も、遊びのように楽しいものであることを、次の世代に伝えていければと思っています。