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テーマ:学校・教育(248)
カテゴリ:教育論
「スポーツだけが体力ではない」
ふと、そんな言葉が心に浮かんできた。 走る力、投げる力、跳ぶ力。 たしかにそれらは目に見える体力の象徴だけれど、 じゃあ、考え続ける力はどうだろう。 哲学書を一晩中読み込むような、将棋で何十手も先を読むような、 難解な数学の問題に取り組み続けるような―― そういう“知の持久走”だって、まぎれもなく体力を使っている。 知性もまた、体力だと思う。 頭の中が熱を帯びて、思考が沸騰しそうになるあの感覚。 次から次へと湧き上がってくる問い、 「なぜ?」「本当に?」「別の視点は?」と、 まるで迷路の中をさまようように、考えが深まっていく。 気がつけば、時間も忘れて夢中になっている。 そのうち、オーバーヒートしそうになるくらい頭がフル稼働する瞬間がある。 でも、不思議と、それが心地よかったりもする。 スポーツでいうなら、ランナーズハイのようなものかもしれない。 身体が限界を越えて、ある種の高揚感に包まれるように、 思考もまた、ある瞬間から“軽くなる”ときがあるのだ。 難しい問題に挑んで、やっとのことで突破口を見つけたときの快感は、 スポーツの勝利にも負けないくらい嬉しい。 ウエイトトレーニングで筋肉が鍛えられていくように、 思考もまた、訓練次第で鍛えられていく。 一つの問題を粘り強く考え続ける力。 他者の意見に耳を傾けながら、自分の考えを再構築する力。 答えのない問いに、なおも答えを探そうとする持久力。 そういう「考える筋肉」は、一朝一夕にはつかない。 だけど、積み重ねていくことで、確実に育っていく。 僕自身、勉強が「好き」と感じたのは、 ある意味で“頭が疲れきる感覚”を知ったときだった。 単なる知識の暗記じゃない、頭と心を総動員するような学びに出会ってから、 勉強がどこか快感に変わっていった。 「スポーツマン」と聞くと、たいていは運動の得意な人のことを思い浮かべるけれど、 きっと「思考のアスリート」だっているはずだ。 黙々と本に向かい、問い続け、悩み、突破する。 そういう知的な体力を持つ人もまた、尊敬に値する存在だと思う。 だから、「体力がないから勉強が苦手」なんて言葉も、 もしかしたら、ほんの少しだけ本当かもしれない。 だけど、それならその体力は、これから鍛えればいいだけのこと。 筋トレと同じで、やればやるほど、ちゃんと力になる。 考える力は、いつだって成長できるのだから。 そして一度、“考えることに夢中になる快感”を知ってしまえば、 人は案外、勉強にやみつきになるのかもしれない―― お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.05.05 14:45:25
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