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カテゴリ:5期_2013-14
「学び合い」や「教え合い」の効用が、一部の教育者たちの間で盛んに語られています。
その声が高まるたびに、僕の心にも静かな共鳴が広がります。 たしかに、それは学びのひとつの形として、もっと大切にされるべきスタイルだと思うのです。 僕の教室でも、最近こんな場面が増えてきました。 ハイレベルな集団授業の中で、互いの解答を批評し合う時間。 それは単なる「答え合わせ」ではありません。 もっと奥深く、もっと美しい知的な対話の時間です。 「この解き方、速いけれど、ちょっと乱暴かもしれないね」 「こっちは、少し遠回りだけど、論理がしっかりしていて説得力がある」 そんなふうに、子どもたちは互いの思考を眺め、敬意をもって言葉を交わします。 驚くのは、「正解」に至るスピードや正確さよりも、 “どれだけ美しく論理的に導けたか”という点に、目を向けていることです。 自分とは違う思考の流れに触れるとき、子どもたちはふと目を見張ります。 「ああ、そんな考え方もあったんだ」 「この人は、こうやってたどり着いたのか」 その気づきが、さらなる学びの深まりへとつながっていきます。 誰かの知恵が、別の誰かの視野を広げる。 そんな「知の交差点」が、教室という小さな空間の中で生まれているのです。 僕はこの現象を、奇跡だと思っています。 教育というのは、時に「一方通行」になりがちです。 でも、学び合いの場が広がると、そこには双方向の流れが生まれます。 そして、その流れの中で、子どもたちはお互いを「先生」にしながら成長していくのです。 もっと、もっと、こんな“自由な学び”を、子どもたちと共にしたい。 心の底から、そう思うのです。 数学を夢中で語り合っていたら、気づけば空が白み始めていた。 歴史を学んでいたら、ふと「相手の国の目線でも見てみたい」と思って、 チケットを手に一緒に旅に出る――。 そんな、常識を飛び越えるような学びの時間を、もっと増やしていきたい。 テストの点数や成績表だけでは測れない、“本物の学び”の喜びを、 ひとりでも多くの子どもたちに味わってもらいたいのです。 学校でもない、家庭でもない。 この塾が、そんな学びの冒険が始まる「出発点」であってほしい。 そう願いながら、今日も僕は教室に立っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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