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テーマ:学校・教育(264)
カテゴリ:教育論
どれほど磨き上げた宝石も、
光を当てなければその美しさは現れません。 それは、人の成長にも似ているように思うのです。 教育というと、どうしても「育てる」「伸ばす」「教える」といった「磨く」側面ばかりに意識が向きがちです。 もちろん、知識や技能、考える力を育てることは、教育者として欠かせない使命でしょう。 けれど、私はもうひとつ大切な役割があると思っています。 それは――「光を当てること」です。 人は誰しも、どこかに原石のような輝きを秘めています。 けれど、その輝きは、誰かに認められたり、必要とされたり、注目されたりすることで、初めて表に現れてくるのではないでしょうか。 たとえば、学級委員に選ばれたことで責任感が芽生えたり、文化祭で舞台に立ったことで表現する楽しさに目覚めたりするように、 「自分の居場所」や「自分が輝ける場所」が与えられることで、人は自然と自分をもっと良くしたいと思い始めます。 いつもスポットライトの当たる場所にいる人は、自分を磨くことを「強いられる」のではなく、「望む」ようになります。 磨かれることを待つのではなく、自ら動いて磨こうとする――そんな変化が起きるのです。 だからこそ、教育者ができることは、 無理に磨こうとすることばかりではなく、 まず「光の当たる舞台」にその人を立たせてあげることなのではないでしょうか。 「あなたはここにいていいよ」 「あなたのことを見ているよ」 そんなメッセージが、光となって届いたとき、 人ははじめて「もっと自分を高めたい」と心から思えるのです。 評価や成績、結果で測られることの多い今の時代。 けれど、人を育てるという営みは、本来もっと温かく、優しいものであるべきだと思います。 磨くことと、光を当てること。 どちらが欠けても、人は輝けません。 教育者だけでなく、親も、友人も、同僚も、 誰かにとっての「光」になれる存在でありたい。 そんなふうに願いながら、今日も誰かの原石に、そっと光を当ててみるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.05.12 08:16:22
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