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福岡市個別指導塾慶應修学舎の記憶「石橋の思考」

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2025.06.08
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カテゴリ:思想
「意味のないことは、やりたくない。」

そう思って、私は日々を過ごしてきました。
忙しい毎日の中で、何をやるべきか、何が無駄なのかをつい考えてしまうのです。せっかく時間を使うのなら、自分の人生にとって価値のあることに使いたい。そう思うのは、きっと私だけではないでしょう。

でも、そう考えながら暮らしていると、ふと立ち止まってしまう瞬間があります。

「今、自分がやっていることって、本当に意味があるのだろうか?」

勉強、アルバイト、人間関係、趣味。どれも時間を使っているけれど、何かにつながっているのか、何かのためになっているのか、不安になることがあるのです。

でも、そんなとき気づいたのです。
そもそも、「意味があるかどうか」を、今この瞬間の自分が判断することなんてできないのではないかと。

未来の自分にとって意味があること。
それは、今の自分には、たぶんまだわかりません。
「これをやっておけば正解だ」と胸を張って言えるほど、人は万能でもなければ、未来を見通せるわけでもないからです。

あのときの何気ない一歩が、あとになって大切な経験になっていた──そんなことは、きっと誰にでもあるはずです。
たとえば、子どものころに夢中になっていた遊びが、今の仕事につながっているとか。
何気なく読んだ一冊の本が、人生の大きな転機になっていたとか。

つまり、「意味」は、あとからやってくるものなのかもしれません。

だから私は今、こう思うようになりました。
「意味があるかどうか」はいったん脇に置いて、
“なんとなくやっておいたほうが良さそうなこと”や、
“ちょっと気になること”を、大切にしてみよう、と。


それがどんなに小さなことでも、どこか心が動いたなら、
やっておく意味は、きっとあとから見えてくる。
むしろ、“意味を求めすぎてやらなかったこと”の方が、
あとで振り返ったときに、もったいなかったと感じることが多いのかもしれません。

未来の自分が、その選択をどんなふうに思い返すのか。
それは、きっとそのときの自分だけが知っているのです。

だから今日も、私は小さな一歩を踏み出します。
意味があるかどうかは、わからなくても。
でも、心が少し動いたなら、それはきっと“何か”につながっていると信じて。





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Last updated  2025.06.08 10:06:06
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