全て
| 偉人論
| 講師向けコラム
| 思想
| 日常
| 授業論
| 05-06HL
| 06-07HL
| 07-08HL
| 経営論
| 08-09HL
| 1期_2009-10
| 2期_2010-11
| 3期_2011-12
| 4期_2012-13
| 5期_2013-14
| 6期_2014-15
| 子育て論
| 教育論
| 政治経済論
| 勉強論
| 人生論
| 挑戦論
テーマ:高校生ママの日記(9553)
カテゴリ:思想
「意味のないことは、やりたくない。」
そう思って、私は日々を過ごしてきました。 忙しい毎日の中で、何をやるべきか、何が無駄なのかをつい考えてしまうのです。せっかく時間を使うのなら、自分の人生にとって価値のあることに使いたい。そう思うのは、きっと私だけではないでしょう。 でも、そう考えながら暮らしていると、ふと立ち止まってしまう瞬間があります。 「今、自分がやっていることって、本当に意味があるのだろうか?」 勉強、アルバイト、人間関係、趣味。どれも時間を使っているけれど、何かにつながっているのか、何かのためになっているのか、不安になることがあるのです。 でも、そんなとき気づいたのです。 そもそも、「意味があるかどうか」を、今この瞬間の自分が判断することなんてできないのではないかと。 未来の自分にとって意味があること。 それは、今の自分には、たぶんまだわかりません。 「これをやっておけば正解だ」と胸を張って言えるほど、人は万能でもなければ、未来を見通せるわけでもないからです。 あのときの何気ない一歩が、あとになって大切な経験になっていた──そんなことは、きっと誰にでもあるはずです。 たとえば、子どものころに夢中になっていた遊びが、今の仕事につながっているとか。 何気なく読んだ一冊の本が、人生の大きな転機になっていたとか。 つまり、「意味」は、あとからやってくるものなのかもしれません。 だから私は今、こう思うようになりました。 「意味があるかどうか」はいったん脇に置いて、 “なんとなくやっておいたほうが良さそうなこと”や、 “ちょっと気になること”を、大切にしてみよう、と。 それがどんなに小さなことでも、どこか心が動いたなら、 やっておく意味は、きっとあとから見えてくる。 むしろ、“意味を求めすぎてやらなかったこと”の方が、 あとで振り返ったときに、もったいなかったと感じることが多いのかもしれません。 未来の自分が、その選択をどんなふうに思い返すのか。 それは、きっとそのときの自分だけが知っているのです。 だから今日も、私は小さな一歩を踏み出します。 意味があるかどうかは、わからなくても。 でも、心が少し動いたなら、それはきっと“何か”につながっていると信じて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.06.08 10:06:06
コメント(0) | コメントを書く
[思想] カテゴリの最新記事
|