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テーマ:学校・教育(262)
カテゴリ:教育論
ある日の午後、小さな飲食店での出来事が、私の心に静かな波紋を広げました。
テーブルの隅に座っていたのは、3歳ほどの男の子と、少し疲れた表情の母親。料理が運ばれてきて間もなく、男の子の手がグラスに当たってしまい、ジュースがテーブルの上に倒れてしまいました。 「ほら!なんでちゃんと見てないの!だから言ったでしょ!」 母親の声が、店内に鋭く響きました。 泣きそうな顔で固まる男の子。周囲の客たちも気まずそうに視線をそらします。母親の怒りは、しばらく続きました。 でも、私はこのとき、こんなふうに思いました。 みっともないのは、ジュースをこぼした子どもではなく、それを怒鳴りつけた大人のほうだ――。 小さな「失敗」は、大きな「成長の芽」 教育現場でも、こうした場面は少なくありません。生徒がプリントを忘れた。宿題をやってこなかった。集中力が切れて、おしゃべりを始めた。教師や塾講師として、注意すべき場面は日々あります。 でも、そんなときこそ、私たちは自分自身に問い直す必要があります。 「これは、本当に怒るべきことだろうか?」 「相手は、どんな気持ちで今ここにいるのだろう?」 「この“失敗”の中に、どんな学びのチャンスがあるだろうか?」 子どもたちのミスは、成長過程における自然な一歩です。転ぶことで、足の運び方を覚える。間違えることで、正解への道筋を模索する。こぼしてしまったジュースも、もしかしたら「こぼさないように持つ」という感覚をつかむ、貴重な機会だったかもしれません。 怒りは「教育」ではない 人は、怒られると心を閉ざします。反省ではなく、防衛のモードに入ります。 「怒られないようにする」ための行動は、学びではありません。それは恐怖による抑制であり、主体的な思考や行動の芽を摘んでしまうこともあるのです。 もちろん、注意が必要なときはあります。ですが、「怒る」のではなく、「伝える」ことができる大人でありたい。失敗に対して、どのようにフィードバックを返すかで、その子の自己評価や自信のあり方は大きく変わります。 教師・講師だからこそ問われる「見守る力」 私たち教師や塾講師は、子どもたちの小さな失敗やつまずきを、日々目の当たりにします。授業中に居眠りしてしまったり、問題が解けずに投げ出してしまったり。でも、そのたびに怒っていては、子どもたちは次第に「挑戦」しなくなります。 むしろ、失敗に寄り添いながら、 「大丈夫。次はどうすればいいかな?」 と声をかけられる大人でありたい。 怒るより、笑って「もう一回やってみよう」と言えるほうが、ずっと難しくて、ずっと価値がある。 最後に:あの飲食店での、もうひとつの出来事 P.S. ジュースをこぼしてしまったあの男の子に、店員さんがそっと、もう一杯のジュースを持ってきてくれました。 「これ、またこぼさないように気をつけてね」と、やさしい声とともに。 子どもは、嬉しそうに小さな手でグラスを持ち直し、こぼさないように真剣な顔で飲んでいました。 叱ることよりも、教えることよりも、「やさしくされること」が、子どもを一歩前へ進ませることがある。 私たち大人は、どうありたいか。 教師である前に、一人の人間として、子どもたちの「心の風景」に、どんな姿で映りたいか。 今日もまた、その問いに向き合いながら、教壇に立ちたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.06.11 13:38:00
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