【受験直前の理想形】「もう教えることがない」完成された中学生の姿とは
受験を間近に控えたこの季節。ふと、教室である生徒を見ながら、思わずこう呟いてしまいました。「もう、教えることがないな」もちろん、それは教える側の放棄ではなく、ある種の“完成”を感じさせる状態に達しているという意味です。■ 「学び終えた」のではなく、「自走できるようになった」この時期、全体的に緊張感が高まる中で、不安と焦りが混在している生徒がほとんどです。それは当然のことで、受験という人生の大きな節目に立っているのですから。でも、その中にときどき、まるで“風のない湖面”のような落ち着きをもった生徒が現れることがあります。その子も、まさにそうでした。授業ではすでに習得済みの内容に静かに向き合い、演習ではミスを丁寧に拾い上げ、自分の理解を自分で深めていく姿勢。もう、私たちが何かを新たに「教える」というフェーズではなく、“共に確認し、共に整える”時間へと変わっているのです。■ 受験が待ちきれない――その言葉に宿る強さその生徒は最近、よくこう言います。「早く受験をしたい」一見すると軽く聞こえる言葉ですが、そこには確かな自信と準備が滲んでいます。この“うずうずした感じ”は、もう十分に力を蓄えた者が次の舞台に立ちたくて仕方がない証拠。まるで、長く続いた助走の先にあるジャンプを、今か今かと待ちわびているアスリートのようです。■ ハイレベル数学受講生とは、こういう存在このような状態こそ、ハイレベル数学受講生であることの真髄だと感じます。ただ問題が解けるようになる、だけではない。「解ける」に至るまでのプロセスを自ら設計し、実行できる力を育む場。学力とは、与えられるものではなく、自ら取りにいくものなのだという姿勢を、この生徒は見事に体現してくれました。そして、その姿勢は周囲にもじわじわと広がっていきます。「あの子みたいになりたい」という小さな憧れが、教室全体の空気を少しずつ変えていくのです。■ 最後に――「完成」は通過点確かに今、教えることはもうほとんどありません。でも、それは学びが終わったという意味では決してありません。むしろここからが、本当の意味での「学び」の始まりです。試験本番、そしてその先の高校生活、さらにそのまた先の人生において、この力がどのように役立ち、広がっていくのか。それを見届けるのが、指導者としてのささやかな喜びでもあります。「教えることがない」状態――それは、私たちにとってもまた、最高の褒め言葉かもしれません。