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ここ三日ばかり、大変な方々の話を聞く。
その1 お母様をなくされた方の話を聞く。お母様は海外在住なので、今回のコロナで隔離されたり、通常とは違う苦労があり。夫さんと一緒に渡航することもまた手続きがあり。日本で先方の国の領事館に手続に行った話など。とにかく、聞くだけでも大変だった。 その2 オンラインでSNSでつながった人の毒親の話を聞く。かなり厳しいものであった。今日の朝日新聞の別刷りに小池真理子さんのエッセイがあり、彼女の亡くなった夫の母親が毒親だったらしく、そのことを書いた小説が「愛さずにはいられない」要するに子供は愛してほしいのであると書いていたが、私も昨日聞いた時も「いまだにこの人は50歳近くなっているのに、母親に愛されたいのか」と驚いた。淡々と話を聞いて、「あなたはサバイバーなんですね」と言うと、非常に嬉しそうにしていた。この話もかなり大変な話であった。 その3 友人から久しぶりに電話があって、なんだか落ち着いた雰囲気を感じたのだが、がんが見つかったという話だった。いつも、がんにり患したという話を聞くたびにいうのだが、「がんは治る病気になったから、治療費と病気との付き合い方を考えたほうが良いみたいよ」と言ってみる。泣くのは早いと思うし、必要以上にセンチメンタルになるのも違う。ましてや、同情するのはもっと違うのだ。相手は今現在生きているのだ。そして、死ぬという点に関してはいずれ私も同じだし、もしかしたら、私のほうが早いかもしれない。 三日続けて、木、金、土と話を聞いたのだが、何か私には大きなギフトだったような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021年03月27日 22時08分07秒
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