2004/12/22(水)19:28
これでいいのか子ども会!?
我が地区の子ども会は、学期毎、終了式の日にお楽しみ会をする。
子ども会という名前ではあるが、決して子どもが企画運営しているわけではない。
代々のしきたりを「たいせつ」にしながら、場所取りおやつの購入等は年度始めに集めた会計から、その年の役員が行う。
今年はその役員。
大体1人1回4人がこの役回りを引き受けなければならないが、中身がどんな様子かは誰も知らない。
毎年子どもの地区長が中心になって何やらやるらしい。
親はお膳立てのみ後は子どもたちに任せるのが慣わしだ。
この地区はこの町の中でも中心地にあたり、子どもの数は比較的多い。
40名くらいが地区の公民館に集まった。
一応、その長の子に「何か考えておいてね~。」と打診はしてあった。
何より、毎年参加しているのだから、その辺のところは子どもたちの方がむしろよく知っているだろうと、たかをくくっていた。
「今日何かやるの?」
聞いてみた。
「考えてな~い。」
「そう・・・・・。」
(どうするつもりなのかなあ。)
「せっかく集まったからみんなでなんかやれば。」
(これじゃ口うるさいおばさんになってしまう・・・。)
結局、掛け声を掛けるでもなく、
「自由に遊んでくださ~い。」
ということになってしまった。
町の中で遊び塾をやっていることを知っている子どもたちもいるので、私に
「これからなにやるの~?」
と聞いてくる。
私がやればどんなに楽なことか…。
40名も集まって、さてみんなで何をやるか・・・と考えるのがスタートラインだと思うが、どうも違う。
何かやらなくちゃいけないか、やらなくてもいいか
この選択から始まった。
こんな前例だとこれからも「それがいい」になるんじゃないかなあ。
みんなで遊ぼうか~。
と問いかけると、必ず
「え~自由でいいよ~。」
という声があがる。
男の子たちは程なく、はやりのカードゲームを片隅で始めた。
こんな予定ではなかったので、わざわざ家に取りに帰る子まで出現。
「子ども会って何~?」
と叫びたくなってしまった。
「おまえたちのためにわざわざ仕事の日程までずらして来てやってんだぞ~!」
子ども会ですら、やらされている、やってもらっている活動になっているような気がした。
…特に高学年。
せめてもの救いだったのが、
やっぱりみんなで遊ぶことを大切にしていた子がいたこと。
ちゃんと低学年も呼びかけて、外で「だるまさんがころんだ」
をはじめた。
私は端の方で入れないでいた子と、新聞紙でゲームをしてみた。
でも、これだけ子どもがいろんな方向向いてくると、
子どもがみんなをまとめるのって、難しいだろうな~。
わんぱくキッズ自然塾でも全員でルールのあるゲームをするというのにものすごくパワーがいる。…というより全員で…は無理!と時として思ってしまう。
こんな子ども会行事意味があるのかないのか疑問に思うが、
その中でしっかり遊べた子どもたちには大いに意味があったと思う他ない。