つれづれ浮世草

2006/05/17(水)12:50

私説 春はあけぼの

読書(45)

 清少納言の『枕草子』は我が国最古の随筆と言われていますが、現存するものではという但し書きがいりそうです。『枕草子』出現まで、掃いて捨てるほどあった凡庸で退屈な文章が、本当に掃いて捨てられて、『枕草子』だけが王朝文学の中でただ一つ、綺羅星のごとく燦然と輝いているのでしょう。ともあれ、著作権のうるさくない平安朝の女房達の間では、次から次へとまたたく間に書き写されて一大ブームになったことは間違いなさそうです。「ねえねえ、清の少納言さまの新作お読みになって? 今度のはおなか抱えて笑えるそうでございますわ」なんてね。 そもそも清少納言は、女房連のオピニオン・リーダー。中宮定子の家庭教師でもあったのですから、誰も異議を唱えることなどできなかった。また、彼女の意見は妙に説得力があったのですな。「わたし随筆書くから、あんたら読む?」ではなく、「清の少納言さまのお口から出る言の葉はいづれも素敵。どうか料紙にものしてたもれ」などと周囲の連中がけしかけたものと思われます。 じゃあってんで、清女は考えた。開口一番は皆の者が度肝を抜かれるような奇抜な名キャッチコピーを。 そこで「春はあけぼの」。どうじゃ、恐れ入ったか! ここで解説の時間となりました。中学や高校の国語の時間、覚えさせられてみんなの前で大きな声で言わされましたよね。覚えて、言って、訳して終わり。これじゃあ、作者の決死の「春はあけぼの」がわからない。彼女は一か八かの大勝負に出たのです。 彼女の人気を妬んでいた女房がいたとすれば、こう思います。春はあけぼのだって? 馬ッ鹿じゃないの。春は宵に決まってるじゃないのさ。春宵一刻価千金。春の曙なんて誰が見るのさ、春眠暁を覚えずってね。 そうです。清女は誰もがそう反論することを見越していたのです。それでも敢えて、あけぼのと言い切った。「きゃあ~、清さま、ステキ」 なんとなればですね、「やうやう白くなりゆく山ぎは少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる」様子を想像してごらんなさいな。えっ、そんなの見たことないって? じゃあ、たまには早起きして御覧なさいませよ。極楽浄土もかくやと思える素晴らしさでございますよ。 彼女の美意識が異常でないことを示すために用意した夏秋冬それぞれの風物をとくと御覧あれ。夏は夜の蛍火、秋は夕暮れの雁がね、冬はつとめての銀世界。誰もが異論を差しはさめないでしょうが。ということは逆に、今まで「春は宵」で何の疑問も感じていなかった人々に、清少納言があの研ぎ澄まされた感覚でもって「あけぼの」と言うからにゃ「あけぼの」なんでしょと言わせ、当時の知識人たちの常識を覆してしまった。ついでに言えば、現在に至るまで日本人の美意識に最も大きな影響を与え続けたのも彼女です。 さあ、もうこうなったら怖いものなし。何を書いても支持してくれる。かくしてあの大部の『枕草子』は出来上がっていったのでありました。めでたしめでたし。 今日の画像は枕草子とは何の関連もなく伊豆の踊り子土鈴

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る