つれづれ浮世草

2006/05/21(日)00:14

「SAYURI」を観た

映画(87)

 公共施設のイベントとして催される映画会によく出掛けます。賞味期限の切れた映画であっても、低料金かつ大画面で観られますから、特に見逃した作品の場合は嬉しいかぎりです。 きのうの映画はそんなに古いものではなく、年末に公開されたばかりの話題作「SAYURI」でした。例によって原作は読んでいませんが、当時テレビで予告編を見るかぎり、ビミョーなとしか言いようのない内容に思われたので、それほど食指は動きませんでした。 この映画は御覧になった方も多いと思われ、あまり悪口を書いてアラシを呼ぶのも厭なので、あっさりと感想を述べたいと思います。 予告編で感じたビミョー感は、映画が始まってもしばらく続きました。違和感と言っていいでしょう。どうやら舞台は日本の京都。時代は昭和の初頃~終戦直後にかけて。登場人物は大半が日本人という設定にもかかわらず、主役級の芸者(ゲイシャと書く方がいいのかな)にチャン・ツィイー、ミシェル・ヨー、コン・リーというアジアンな女優陣。日本の俳優陣は渡辺謙、役所広司、桃井かおり、工藤夕貴ら。 これがハリウッド映画ということで台詞は何とイングリッシュ! じゃあ全部英語かというと、さにあらず。効果音としての人声や流行歌は日本語。どうなっとんねん、いうこってすな。上記のアジア女性がこれまた日本人以上に日本人らしくって。チャン・ツィイーチャンさんなんか、どうしちゃったの、こんなに奇麗で!って言いたくなるぐらい。 で映像がまた何ともジャポニズムなんですなあ。蝶々夫人のオペラやることになったで、思いっきりコテコテの背景画描いたってちょー、なんて頼まれたNIPPONおたくのガイジン画家が腕によりをかけて創ったような、妙に作り物然とした気恥ずかしいばかりの京都花街。 ストーリーはというと、嫉妬+一途の恋+出世=女の一生。スピルバーグ製作だからといって、自転車で空を飛んだりはしません。ひたすら夢幻の中にのみ存在するニッポンの美を愉しむだけの映画、と言ってしまってはあちこちから石つぶてが飛んで来るかな。  今日の土鈴は京都つながりで三千院のもの

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