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つれづれ浮世草

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読書

2006年05月24日
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カテゴリ:読書

 相互リンクの夢子さん(現在イベリア旅行中、いいな)のお奨め、藤原伊織氏の江戸川乱歩賞受賞作品『テロリストのパラソル』(1995年刊)tero.jpgを読んでいました。8割がた読み進み、いよいよ話は佳境、謎解きの糸口も見つかってこれからというところで、目 あれっ? 文がつながってないやんショック 

 よく見るとページが・・・30ページほど飛んでます。そんなアホな。図書館の職員さんよ、これはむごいよ。恐らく誰かが故意に破ったのではなく、傷みがひどくなってきて自然に落丁したと思われますが・・・

 別の図書館に行って同じ本借りて来ますぅ ダッシュ


今日の画像は金毘羅さんの土鈴







Last updated  2006年05月24日 23時13分20秒
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2006年05月16日
カテゴリ:読書

 清少納言の『枕草子』は我が国最古の随筆と言われていますが、現存するものではという但し書きがいりそうです。『枕草子』出現まで、掃いて捨てるほどあった凡庸で退屈な文章が、本当に掃いて捨てられて、『枕草子』だけが王朝文学の中でただ一つ、綺羅星のごとく燦然と輝いているのでしょう。ともあれ、著作権のうるさくない平安朝の女房達の間では、次から次へとまたたく間に書き写されて一大ブームになったことは間違いなさそうです。「ねえねえ、清の少納言さまの新作お読みになって? 今度のはおなか抱えて笑えるそうでございますわ」なんてね。

 そもそも清少納言は、女房連のオピニオン・リーダー。中宮定子の家庭教師でもあったのですから、誰も異議を唱えることなどできなかった。また、彼女の意見は妙に説得力があったのですな。「わたし随筆書くから、あんたら読む?」ではなく、「清の少納言さまのお口から出る言の葉はいづれも素敵。どうか料紙にものしてたもれ」などと周囲の連中がけしかけたものと思われます。

 じゃあってんで、清女は考えた。開口一番は皆の者が度肝を抜かれるような奇抜な名キャッチコピーを。

 そこで「春はあけぼの」。どうじゃ、恐れ入ったか!

 ここで解説の時間となりました。中学や高校の国語の時間、覚えさせられてみんなの前で大きな声で言わされましたよね。覚えて、言って、訳して終わり。これじゃあ、作者の決死の「春はあけぼの」がわからない。彼女は一か八かの大勝負に出たのです

 彼女の人気を妬んでいた女房がいたとすれば、こう思います。春はあけぼのだって? 馬ッ鹿じゃないの。春は宵に決まってるじゃないのさ。春宵一刻価千金。春の曙なんて誰が見るのさ、春眠暁を覚えずってね。

 そうです。清女は誰もがそう反論することを見越していたのです。それでも敢えて、あけぼのと言い切った。「きゃあ~、清さま、ステキ赤ハート

 なんとなればですね、「やうやう白くなりゆく山ぎは少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる」様子を想像してごらんなさいな。えっ、そんなの見たことないって? じゃあ、たまには早起きして御覧なさいませよ。極楽浄土もかくやと思える素晴らしさでございますよ。

 彼女の美意識が異常でないことを示すために用意した夏秋冬それぞれの風物をとくと御覧あれ。夏は夜の蛍火、秋は夕暮れの雁がね、冬はつとめての銀世界。誰もが異論を差しはさめないでしょうが。ということは逆に、今まで「春は宵」で何の疑問も感じていなかった人々に、清少納言があの研ぎ澄まされた感覚でもって「あけぼの」と言うからにゃ「あけぼの」なんでしょと言わせ、当時の知識人たちの常識を覆してしまった。ついでに言えば、現在に至るまで日本人の美意識に最も大きな影響を与え続けたのも彼女です。

 さあ、もうこうなったら怖いものなし。何を書いても支持してくれる。かくしてあの大部の『枕草子』は出来上がっていったのでありました。めでたしめでたし。

 

今日の画像は枕草子とは何の関連もなく伊豆の踊り子土鈴







Last updated  2006年05月17日 12時50分41秒
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2006年05月04日
カテゴリ:読書

 リンクで行き来していない方なのでどなたか失念しましたが、藤原伊織という作家を大層評価されている方がおられました(恥ずかしながら私はこの作家をほとんど知りませんでした)。一流広告代理店に勤めながら二足の草鞋で小説を書いて来られた作家だそうです。大阪出身というのも興味をそそられます。寡作なのでその気になれば今からでも全作品読めるかなと、近くの小さな図書館で、試みにまず一冊借りてみました。

 『ダックスフントのワープダックスフントのワープこれがデヴュー本らしいです。メルヘンチックな挿話と渇いた現実の物語が螺旋構造のように絡まりながら展開していきます。前者は、主人公の青年が自閉気味の少女に語る作り話なのですが、この残酷なメルヘンの行方が気になって読者の興味は作者の罠にはまってどこまでも引きずられていきます。心憎いばかりの計算です。

 「ネズミ焼きの贈りもの」というのも収録されていましたが、これは私には古典的な手法で書かれた短篇と映りました。でも1980年代の前半に書かれたものとわかり納得できました。

 興味が出てきたので二冊目に挑戦。最新刊『シリウスの道』(2005.6)シリウスの道を借りてきて読みました。これは読書の醍醐味をたっぷり味わえる骨太で痛快な作品です。読書の楽しみの一つは、知らない世界を垣間見れることですが、広告代理店を退職して書いたというだけあって、広告代理店の仕事や内幕が生き生きと描かれています。籍を置いていたんじゃさぞ書きにくかろうという所まで、さもありなん風に描出しています。

 登場人物が、組の人達や会社内の下劣組はさておき、皆がみな気風が良くて大人の言動に終始するのも心地よい。主人公たちの中学時代の舞台が、我が近鉄沿線とJR環状線の交わる辺りであるのも嬉しい。藤原さんは私にとって今年の大きな収穫と言えるでしょう。

 本日の土鈴は出石の辰鼓櫓を描いたもの







Last updated  2006年05月04日 16時15分56秒
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2006年03月31日
カテゴリ:読書
 若い頃から読書はいつも数冊を並行して読み進めるのが習慣になっています。
気が多いのはもって生まれた性分で。出来るだけ毛色の異なるものを同時に読むことにしています。すると、時たま思わぬ巡り合わせで、普段気づかないような発想が生まれることがあります。

 随分前に買った「建築探偵」シリーズ。文字が小さいので外出先では読みづらく、今やっとトイレで少しずつ読み進めています。

 最近書店で見かけたので買ってきた『ホームレス大図鑑』。ホームレス大図鑑
洋館もホームレスもどちらも私には興味あるテーマなんです。

建築探偵 東奔西走」の終わりの方に岩崎小弥太の別荘が紹介されているのですが、岩崎氏といえば日本一の大富豪。
別荘を建てるために山一つ買って、その敷地内に新幹線と東海道線が走っているという、まあなんとも豪気なお話! 方や段ボールの家兼部屋兼布団のシンプルライフ。

 岩崎男爵には逆立ちしたってなれないけれど、ホームレスへの道は誰にでも開かれています。大金持ちともなれば靴下のシミ一つでも気になるのでしょうが、ホームレスの人はちょっとやそっとのことでは気にしないタフな神経を持っています。どちらが生きやすいのか。
極端なものを並べていろいろ比較してみると、自分の位置や森羅万象の意味や価値などが新しい視点で見えてくるので面白いですね。


阿波踊りの愉快な土鈴






Last updated  2006年03月31日 15時47分00秒
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2006年03月26日
カテゴリ:読書
 先日やっと『モーダルな事象』(去年の12月27日の記事参照)読み終わりました。

モーダルな事象

読み始めるまで知らなかったのですが、何と私の住む町が発端の舞台になっているではありませんか。これには驚きました。

 作者がこの地に何の縁もないとすれば、ひょっとしてだいぶ以前に私が出したファンレターの住所から、作品の舞台に使おうと決めていらしたのではあるまいかなどと勝手な勘繰りをしております。

 深い感動や人生の指針を求めるのではなく、ひたすら読む喜びに浸りたいということで私はこの作家の作品を愛読しています。この作品もそういう点で、満足のいく傑作でした。

 奥泉光氏は虚構ということにこだわる作家(氏の随筆に『虚構まみれ』というのがあります)なので、例えば瀬戸内海上にありもしない島を二つこしらえて、そこを舞台に過去と現在を絡ませながら話を進行させているのですが、地図で確かめなければ本当にそんな島があるのではと錯覚してしまいます。しかも厭らしいことに本の扉には、その架空の島が入ったまことしやかな周辺地図が掲載されているのです。フィクションやミステリー好きには堪らないお膳立てではないですか。

 それにしても書店でこの作家の本に出会うのはかなり難しいようです。文庫化されたものも何種類かありますが、単行本が何種類も並んでいる書店はめったにありません。流行作家なのか?と人に問われれば、そうではないみたいと答えたくなります。この作家に多作は似合いません。時間をかけて良質の作品を着実に生み出していってほしいと願っております。






Last updated  2006年03月26日 13時30分57秒
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2006年03月21日
カテゴリ:読書
 最近こんな本を読みました。4年前に出た本です。

京都魔界案内

 私は、いわゆる霊感が強い方では決してありません(どちらかというと、そういうのに懐疑的な人間です)が、なぜか夜の京都を歩いていると、「身の毛もよだつ」一歩手前の感覚に襲われることが多いです。

 私は過去の職業柄(古典の授業で平安朝の作品などをよく取り扱っていました)、ふつうの人よりは京都の街に歴史的なイメージを重ねやすいのかもしれません。また、京の都をおどろおどろしく描いた映画の影響もあるのかもしれません。そのテの映画では、近年の「陰陽師」2作は華やかな都の闇の部分をよく活写していたと思います。

 それはともかく、この本は、50近い名所旧跡にスポットを当て、そこにまつわる伝承からその意味するものを引き出すという方法で、過去の現実の京都の上(下)にもう一つ別の京都マップを重ねようと試みたものです。

 小松和彦氏の文章には小難しいところがなく、かと言って読者に迎合して軽薄になることもなく、適度に抑制の効いた好感の持てる読み物でした。写真が豊富なのも嬉しいかぎり。


今日は京都にちなんで大文字の描かれた土鈴






Last updated  2006年03月24日 23時03分04秒
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2005年12月11日
カテゴリ:読書
 自称、新米のタオイスト・加島祥造氏の著作にはまりかけている。
タオとは「道」、老子の説いた思想である。その生き方を学ぶというより、自分の生き方がいかにもそれに近いということを確認しているだけなのかもしれない。

 先日読み終えた『老子と暮らす 知恵と自由のシンプルライフ』(光文社刊)は含蓄に富んだ良書だ。同氏の明快な『老子』の口語訳『タオ-ヒア・ナウ』の一部と随想百篇余りから成る。適当に引用して紹介してもよいのだけれど、関心ある方は通して読むことによりぜひ加島ワールドの豊かさに直接触れてもらいたいと思うのである。

 きのう書店で「十牛図」に関する分かりやすそうな解説書をパラパラ立ち読みした。こちらは禅の教えだ。「~しなければならない」ではなくて、「してもいいし、しなくてもいいのだ」などということがまことしやかに論じられていた。世の多くの人は、そのあたりの価値観の転換に難儀しているのだろう。幸い私は過去の人生の中で(もしくは先天的に?)その部分はクリアしているらしい。自分では「悟りの境地」にかなり近いところで生きているのではないかと自惚れている。この能天気さ加減がいよいよ「悟り」の本質のように思えてならない。

 話が逸れたように見えるかもしれないが、これもタオの本質と極めて近いところにあるように私には思える。「めでたいな、めでたいな」と何ごとも楽天的に処理しながら生きられればそれに越したことはない。

 世間では相変わらず悲しい出来事や憤ろしい事件が後を絶たず、ますますやりきれなくなってしまいがちなので、あえて能天気なことを書いてみました。


かわいい河豚の土鈴






Last updated  2005年12月12日 00時29分39秒
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2005年11月25日
カテゴリ:読書

 新刊書のコーナーで関野吉晴氏の『グレートジャーニー』の続編(ちくま新書)を見つけたので思わず買ってしまった。2年前に出た『グレートジャーニー「原住民」の知恵』の続編だと思って飛びついたのだが、そうではなかった。先の文庫版(光文社 知恵の森文庫)を二分冊の新書版にした姉妹編と呼ぶべきものであった。

 ともあれどちらも豊富なカラー写真と含蓄に富んだ文章で大いに惹きつけられる好著であることに変わりはない。

 いわゆる文明先進国、資本主義大国などと呼ばれる国の対極にある、貧しくちっぽけな国々に生きる人々の生活や考え方に、我々の本来あるべき姿を垣間見る思いがするのである。彼らは貧しいがゆえに徹底的に平等なのだ。物を貯め込むということをしない。宗教上の理由もあって、自分より貧しい者には施しをする、自分が飢えかけていてもである!

 人を押しのけてでも自分が優位に立つことに憂き身をやつし、金儲けのためなら少々あくどいことでも平気でやってしまう我々の世界。ここでは富める者が人望を得、人々の崇敬も集める。貧しい者、弱い者を見下すような世界。こんな世界をおかしいと思わなくなってしまっては人間も終わりだ

 もう一つ、この本で再認識できること。それは、貧しい国では子供たちが実によく働くということ。その瞳はきらきらと輝き顔には生気がみなぎっている(全ての民族がそうだと言うのではないが)。数十年前の話ではなく、21世紀の同じ地球上での話だからこそ羨ましいと感じる。

 物が豊か過ぎるから人間がダメになると言う人がいるが、私はそうは思いたくない。エゴイズムは人間の本性だと言うのも違う気がする。何か作為的に創られたステレオタイプの思想が、マスコミなどを通じて垂れ流されている気がする。

お知らせ:明日から月末まで用事で上京しますので、更新ならびにお返事は書けませんが、よろしく。


今日の画像は石清水八幡宮の長身の厄除け土鈴






Last updated  2005年11月25日 18時05分13秒
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2005年11月18日
カテゴリ:読書
 『老子と暮らす』(加島祥造著/光文社刊 この本のことについては後日改めて紹介します)を読んでいたら次のような文言にぶつかりました。


  「日本ではシェークスピアも、どこか辛気くさい悲劇的な作家だと思われていますが、とんでもない。非常にすぐれた喜劇作家というべきであり、むしろ喜劇から入ったほうが、彼の本質を把握できると思います


 すでにシェークスピアの名作を何編か読まれた方には手遅れかもしれませんが、私は運良く喜劇から読み出したものですから、氏の言われていることがとてもよくわかります。

 私は、前にも言ったかもしれませんが、高校時代ほとんど小説を読みませんでした。学校図書館で借りた文学畑の本と言えばシェークスピアに限られていたのではないかと思います。

 「お気に召すまま」「十二夜」「じゃじゃ馬ならし」「から騒ぎ」「真夏の夜の夢」「ヴェニスの商人」など

 大阪の人間なので小さいころから漫才が好きでしたが、これらの中で行われるやりとりはまるで漫才そのもの。ストーリーよりも言葉遊びの面白さに惹かれて読んでいた観があります。

 加島氏は、いわゆる四大悲劇も喜劇として見れば、それぞれの主人公はどうしようもない大馬鹿者だと言い切ります。ははん、四馬鹿大将ね。小気味いいこと!

 日本人はとかく喜劇より悲劇、娯楽性より深刻ぶったものをありがたがる民族のようですが、英米文学者がかような発言をしてくれると、何かほっとして嬉しいわけですわ。


今日の土鈴は石垣島で入手したもの(と思う)






Last updated  2005年11月18日 14時58分34秒
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2005年11月16日
カテゴリ:読書
 入院中に谷川俊規さんの『めっちゃピンぼけ』を読んだ。
関西弁に抵抗のある人には読みづらいかもしれないが、久しぶりに体の芯までズシンと来た作品なので、ぜひお奨めしたい。

詳しくはここを見ていただきたいが、いわゆる戦場カメラマンとして世界的に知られた不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹氏(最近書店で氏の撮影によるイラクの自衛隊の写真集を観た)の軌跡を基にして、ミステリータッチ?で描いた小説である。作品冒頭から主人公を殺してしまう(12歳の少女と謎の焼身無理心中?)あたり、いかにも宮嶋氏と懇意の仲であることをうかがわせる。

ぬるま湯につかっている平和惚けの我々に内紛や地域紛争の現実を垣間見せてくれる迫力満点の描写(主人公の日記)に、思わず居ずまいを正して対峙してしまった。土俵際ぎりぎりまで追い詰められて、もはやこれまでかというところで、でも踏ん張りながら思うのだ、思わなければならないのだ。平和惚けと言われようが、甘いと思われようが、それでも人同士が殺しあうことは何が何でも避けねばならぬのだと。

この作品は狂言回しの涼一(作者がモデルであろう)の感性と常識で救われている。このクッションがなければ辛過ぎて読み通せたものではない。ドラマ化、映画化の話もちらほら出てきているという。暴力シーンやレ○プシーンをどう表現するかでそれらの作品の良し悪しが左右されてしまう可能性が高い。本の存在をアッピールし読者を広げるには効果があろうが、私個人は映像では観たくない気がする。


買った場所忘れましたが、おひなさんの土鈴です(見たらわかるって)






Last updated  2005年11月16日 14時17分41秒
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