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カテゴリ:生き様
女性が書いた本では男性を馬鹿にし、男性が書けば女性を馬鹿にする。老人が書けば最近の若者はすぐに仕事をやめると書き、若者が書けば老人が今の社会を悪くしたと書く。
イギリス人が日本を馬鹿にし、日本人がアメリカを馬鹿にし、あれやこれやと誰が悪いといい続けるのを守るのが言論の自由を守る意義だったのだろうか? いいもの探しと悪者探しは実際売れる本でもある。だけど、これらは比較的似た様な内容だったりする。 これはいいです使ってください。病気まで治るんですよ。すごいでしょ?という詐欺まがいの本も結局は医者批判で終始するものが多い。 どれもこれも、結局は「筆者の考えこそすべて。悪者はオレが考えたやつ。これを信じないやつは馬鹿。」ってことで終了する。あほくさい。そんなわけあるか。 僕たちはこの世に「悪の秘密結社なんかいない」ってことを知っている。悪いのは誰かじゃない。ある意味みんな悪い。自分も含めて全部悪い。 半面で誰もが悪くなろうなんて思っていない。よりよくなろうと思っていることも知っている。誰だって悪くなるようには生きていない。視野が広いかどうかは別にして。 小さな視野で自分だけを見ているようでは、一人一人がわかりあうなんてできないんじゃないだろうか? もっと大きな視野で物事を見るようにすれば、一人一人が欠点だけではないことがわかってくるはず。そんなことを書いた本が増えてほしいと願ってやまない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年03月24日 00時33分58秒
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