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「ホロゴン讃歌」     HologonUltraWide 至高のレンズがあれば、写真家いらず

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2008/07/26
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カテゴリ:ある日シリーズ

ブログを制作するという行動に大変矛盾することを書きます。

私は、写真作品を制作するのではなく、

自分自身の記録を撮っているというようなことを書きました。

でも、たとえば、旅に出て、一日10本のフィルムを消費しても、

実は極めて短い瞬間の記録でしかないのです。

たとえば、10本のフィルム全部を125分の1秒で撮ったとしましょう。

360コマなので、撮影の瞬間を集めても、

実は、2.88秒にしかなりません。

別の見方をしてみます。

1日10時間撮影に費やしたとしましょう。

そうすると、1時間に1本、つまり100秒に1回、

シャッターを切ったことになります。

私は、どんどん移動します。

したがって、残りの99秒の観察は写真にならずじまい。

全人生を写真で記録するなんて、とても無理なわけです。

でも、こんなことはたいしたことではないのです。

私は、人、物、情景に出会った瞬間に、

あるときは、なんの感動も感じません。

そんなときに、写真を撮っても、無意味。

でも、あるときだけ、わけもなく、心を揺さぶられます。

動かない物であっても、そのものと出会った瞬間に、

なにかを感じることがあります。

その瞬間すかさずシャッターを落とします。

どなたもそうなのだと思います。

写真の裏に、常に、心を揺さぶられた撮影者自身が隠されているのです。

写真を見ても、そんな撮影者の思いを感じていただくのはとても無理。

だから、私は、自分の写真は大変にプライベートなものだと考えています。

言い換えれば、私にしか意味がない。

なぜって、私は、自分の写真を見ると、いつも、

撮ったときの自分を懐かしく思い出すことができるのですから。

だから、私は、私の写真が誰からも認知されなくてもいいのです。

私が認知できる限り…

そんな懐かしい瞬間の3枚をアップしてみました。

置物たちだって、なにか感じているみたいではありませんか!

獅子は美女たちに、狸は椿に、

そして犬は、招き猫の彼女が見ているので、がんばっているみたい...



07042116伏見・置物1.jpg


       07042116伏見・置物2.jpg


07042116伏見・置物3.jpg





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Last updated  2008/07/26 12:30:33 AM
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