カテゴリ:ミャンマー
ミャンマー(ビルマ)のヤンゴンで,日本人ジャーナリスト長井さんが'07年9月に射殺されてから,3年半以上になる。
有名な画像。通信社のロイター=共同から引用の画像。 ミャンマー政府は否定しているが,その後,軍当局者が当時,兵士にカメラ所持者に対して銃撃命令を出していたことも発覚している。 ジャーナリストの使命として,戦争,紛争地帯などへの取材に行くのは当然であろう。しかし,百戦錬磨であろう長井さんも,ミャンマーの事情は完全に把握してなかった甘い面がある。知っている者からすれば,危険極まりない行動だった。 デモの中に入ることも危険だが,VTRなんかを持っていれば,私でも治安当局者に密かにチェックされる。ピイの町では,あちこちで連絡をとってチェックされているのを確実に感じたこともある。 さらに,兵士や警察関係者を撮影するのは,何もない日頃からも自殺行為に等しいのだ。当時は,地方からの命知らずの猛者たちがやって来ていたのだ。 殺害現場へは,その3ヶ月後に行った。まさに,ここで撃たれたのだ。 '08年1/6の日記で詳しく書いているので,まだの方は,ぜひご覧を!!(ここをクリックでジャンプ) その後,渡緬するたびに現場や周辺を歩いている。ただ,その辺りで撮影していると,一般市民に扮した私服の治安当局者のエージェント(秘密警察)に必ずチェックされているとのこと。特に殺害直後は大勢のエージェントがいたようだ。私も確実にチェックされていただろう。 射殺の様子を撮影したであろう陸橋だ。撮影は,'07年12月。 じつは,この陸橋,当時は階段は片方しかなかった。つまり,撮影者が下から軍や当局者に追われると袋小路で逃げ場がなかったことになる。まさに命がけの撮影だった。画像と映像がある。 以前の日記でも書いたが,映像は,「ビルマ民主の声(The Democratic Voice of Burma)」の関係者が撮影している。 '08年12月,陸橋のもう片方に階段を設置する工事が行われていた。 陸橋左側のディスプレイでは,様々な広告?などが流されていた。 長井さん殺害現場。'07年12月撮影。 '08年8月,現場の夜の様子。 '09年12月だ。 陸橋は双方向から行き来できるようになっていた。屋根までついていた。 もとからある階段。上に上がれるが,向こう側に降りる階段がないので,ほとんど誰も上らない。 以前は,めったに人がいなかった陸橋も,人が多く通るようになっていた。 向こうには,スーレーパゴダが見える。この通りは,スーレーパゴダ通りと言う。 射殺現場を見る。 ズームする。新しい看板がついている。「DoCoMo」??パクリやん。DVDなどのオーディオ製品,携帯などを売る電機屋のようだ。 '10年12月,やはり陸橋を歩いた。 陸橋上には,いろんな人がいる。これは,体重を量る人。もちろん有料だ。 これは,なんやろ?向こうには,ただ座っている人も見える。 ちゃんと客が来る。これは,小さなカレンダーのようだ。 ズームしているが,スーレーパゴダ。改修中だった。金箔の張り替えと掃除か?'99年12月の初渡緬のときも,同じような工事をしていた。 信号機は,「あと何秒」表示形式に変わっている。 やはり射殺現場を写す。おっと,やや左向こう側には新しいマンションができている。 こちらは,新しい階段。僧侶が托鉢の鉢を持っているが,大量の紙幣が!こんなに紙幣が集まるもんなのか?? 托鉢は,ふつうはご飯やおかずなんかを集めるのだが… ここでは,いつも手をあわすことにしている。 ミャンマーへは,今のところ,乾季の12月~1月に定期的に行っている。 今日のMy懐かしのお気に入りの曲 「Be cool!」 by野猿 '99年 懐かしの中では新しめの曲。確か,とんねるずの番組スタッフのユニットだった。こんな裏方が出てくるのは,すごいと思った。じつは以前,私は20年以上前にタレントの養成所に通っていて,ドラマ撮影のADなどの裏方の仕事もしたこともある。 ↓ はげみになります。 本当によいと思われた方,クリックをお願いします!! ↓2つのブログランキングに参加しています。クリックするだけでOKです。よろしくです。ぜひぜひお願いします! 人気blogランキングへ にほんブログ村>アジア旅行と海外旅行にエントリーしています。 ※ 画面が完全に出るまでに戻ると,カウントされないことがあります。 クリックで,本サイトへ! 本サイト お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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