カテゴリ:父を亡くした
おひさりぶりです。
ブログを更新することが久しぶりです。 で、更新する内容が父を亡くしたこと・・・。 いきなり重たい内容ですが、書いておかないとやってられない、思った以上にダメージがキツイのでブログを書かせていただきます。 父は2014年9月24日に亡くなりました。 肝臓がんです。 8月22日に母親から電話があり 「お父さんが調子が悪いからと病院に行って検査をしたら、肝臓の数字がめちゃくちゃ悪いっていわれて、そのまま救急車で搬送されちゃった。搬送先の病院で診断してもらったら、いつ死んでもおかしくない状態って・・・。明日別の病院で診断してもらうからすぐに帰ってきて!」 ??? 頭が真っ白になるというのはこういうことを言うんですね、2014年8月5日に実家に帰った時はお父さんもピンピンしていたのに・・・。 確かに球に痩せていたから心配してきいたところ、ダイエットに成功したと喜んでいたのに・・・。 次の日は休みでしたが急遽休みをいただき実家に帰省。 次の日にお父さんが入院している病院に行き、お父さんと会いましたがいつ死んでもおかしくないと言われている割にはふつうに話せるし、ふつうに歩いている。ほんまかいな?と思ってしまうくらいふつうでした。 入院した病院では肝臓を診ることが出来る先生がいないということで、肝臓の名医がいるという病院で診てもらうことに、人気の先生で中々診て頂けないというところを状況が状況なので無理矢理入れていただいた状態です。 そして、父と母と一緒に新しい病院へ。 そして、そこで色々検査をし先生と話しましたが結果は残酷なものです。 肝臓につながる門脈ががん細胞で潰されており、もういつ亡くなってもおかしくない状態とのこと・・・。 余命は半年も生きたら周りからすごい!!と拍手喝采されるくらい悪いとのこと・・・。 意外とあっさり余命宣告が本人にされてしまいました。 このまま入院させてほしいと言ったところ、個室なら空いているということで転院することになりました。 唯一の希望は体力の回復を見て門脈を潰しているがん細胞にカテーテルで抗癌剤を打ち込みガンを小さくすること。 コレが唯一できる治療法だということでした。しかもやっても寿命が伸びるかどうかわからない。 その後別の検査があるということで、父と待っていましたが 「ドラマみたいにあっさり余命宣告がされるんだな」 と笑顔で話しかけてくる父を見て、この人なんちゅー余裕があるんだ、とびっくりしました。 泣くこともなく、余裕をかましている父、でも実際はカテーテルにすごく期待していたんだと思います。 余命半年と言われ、私はいろいろ考えました。 とにかく、なんとかして痛くないように楽に人間らしい生活をさせてあげたい!! これを目標に少しながらも本を見て勉強し、ネットを調べたりしてこれからの短い人生を満喫させるんだ! と思い動きましたがうまくいかないものですね・・・・。 その辺については次回書かせていただきます。 そして、読んでくれた方々へ。 自分は大阪に住んでおり、父が住む岐阜から離れて早20年位です。 当然、普段からは実家に電話もしませんし、仕事とゲームをやる毎日な状態。 1年に1回実家に帰るくらいだったので、あとお父さんと会えるのも20年だから20回くらいかなーと思ってました。 父離れ、母離れもできており、万が一そうなったとしてもダメージは少ないと思っていました。 現実は違います。どえらいダメージを受けております・・・。 なくなるまでの1ヶ月毎週全ての休みを岐阜にかえり、帰り道の際も病院により父とたくさん話しました。 でも、後悔しております。 ありきたりな言葉ですが、親孝行をしたいときには親はいないのです。 そして普段から色々考えておかないと自分のようにえらい大変な目に合うこともあります。 これからもちょっとづつ、忘れないように今回の父がなくなったことについて書いていきます。 皆さんが自分と同じ過ちを犯さないように、参考にしていただけたら幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.10.08 19:15:04
コメント(0) | コメントを書く
[父を亡くした] カテゴリの最新記事
|
|