素粒子
宇宙から降り注ぐ限りない慈愛のエネルギーと、この地上で時折訪れる途方もない哀しみが回転木馬のようにめぐりめぐるのが人生。誰にだっていろんなことがある。当たり前の話。けども、自暴自棄になって命を捨ててしまってはいけません。人間は誰しも、手塚治の漫画「火の鳥」の主人公の一人である我王のように、必死に生き延びてゆこうと我に殴りかかるように決意し生きてゆかなければいけない。それが、生きる、ということなのだから。今日に書店で目にした本の表紙に記されていた事柄。日本における自殺者の数が、三期連続で年間3万人に上ったそうです。こういうことを知ると心が痛みますね。痛むと共に、実に複雑な想いがします。いやあ、なんというか、実に暗い話題で申し訳ないんだけれども、たまには、こういうことも心の片隅にでも置いて、現在の日本の状況を考えることも大事なことだと思います。さて、話は変わりますが、僕の友人に、ドイツ人女性と結婚した人がいます。その友人自身が子供の頃から何となくドイツ人みたいな感じの人なので、この結婚にはまるで違和感は感じませんでした。類は友を呼ぶというか、愛は国境を越えるというべきか。僕自身はドイツの人には今まであまり親近感を抱いたことはありません。フランス人かイタリア人と結婚したいなあと考えたことは、過去にあります。ヨーロッパを旅していた頃の話。で、ドイツという国は自殺率が高いんですよ。以前、デッサウというドイツの町を旅していた時、ふと、ドイツの自殺率の高さに纏わるエトセトラを思い出したんですよね。デッサウといえばバウハウスで有名な町。このデッサウという町には色んな都市伝説みたいなのがあって、非常に自殺者が多いと、まあそういう伝説、というより事実なんですが、これは実際にデッサウという町にいけば、町の空気として何となく理解できるような気がします。実に鬱々とした空気が町全体を覆っているからです。その原因として建築史家なんかがよく言うのが、バウハウスが行った近代建築の根底にあった思想やデザインの実験と人間生活との間に発生する軋轢の姿そのもの、となるのかもしれません。でも、どうなんでしょうね。僕にはそればかりではないように思えたことは事実。何故って?鬱々としているのは、別にデッサウばかりではなかったからです。ベルリンだってシュタットガルトだってケルンだって、いや、どこだって皆、ドイツという国自体が他のイタリアやフランスなどのヨーロッパ諸国に比すれば病的に鬱々としているように感じられて仕方がなかったから。でも、やはり、日本人と似ているなあと思えて仕方がない部分も多々あるように思えたこともまた事実でした。なんというか・・・・・考えすぎるんでしょうね、きっと。民族性として。なんとなく、そんな気がする。ドイツ人も、日本人も、いい加減さとか、おバカさとか、おおらかさとか、単刀直入にいえば、もっともっと、バカになったほうがいい。バカになるっていうのは、別にパッパラパーになるってことじゃなく、掛け値なしのユーモアや笑いを大切にするということ。誠実さとか勤勉や正確さとか真面目さは残してもいいんです。ただ、そこに閉塞的に囚われすぎてしまうのは、非常に、マズイわけです。とはいっても、それが僕らの人生でもある。なんてことを、『素粒子』というドイツ映画を観ながら想いました。涙が止まらないほど、切なくなる映画・・・。堰を切ったように涙が止まらなくなる映画です。人生の色んな機微、不確かさ、人間の滑稽さと愛らしさの全てに向き合いながら、涙があふれる。かなり色んなことを考えてしまう映画です。『素粒子』http://item.rakuten.co.jp/mammoth-video/10009327/ヨーロッパ中で凄まじいまでの反響を巻き起こしたミシェル・ウエルベックのベストセラー小説の映画化!現代社会の恐ろしいほどの愛の欠如と絶望感を、ユーモアと悲哀を交えて痛烈に描いた問題の恋愛劇! (楽天市場商品解説文章より転載)メインの楽天ブログはコチラです。是非、気軽に遊びに来て下さい。