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2010年04月29日
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テーマ:感動した話(885)
カテゴリ:感動した話
母が感動した話。
田舎に暮らす母は、軽自動車を駆って毎日のように出歩いています。
その日は村はずれの墓地にお墓参り。
夕暮れ時、冷たい風が吹き始め ちらほらいた村人も帰り、母もそそくさとお参りして帰路へ。

グワッツシャ!!!

勢いよく発進させた途端、車が墓地隣の一段低い畑に落ちてしまったのです。
車から降りて周りを見回すも、そこは村はずれ。田舎の村はずれは一軒の家もなく人もいないうら寂しいだけの場所。歩けば村まで何時間かかるのだろう。ケータイも持たない母は冷たい風に吹かれ呆然とたたずむだけでした。

その時、墓地の向こう側さらに一段高い県道を大音量で例の曲****を流しながら右翼の広報車が通りかかりました。
「おばちゃちゃ~ん、どうしたア、車落ちた~ん」
声をかけてくれたのは、黒っぽい制服を着た金髪の若い女の子。
「おばちゃん、待っとりゃあ。すぐ引きあげたるわ。」
彼女はケータイかけまくっていました。ほどなく彼女から連絡を受けた数人の男達が母の車を囲み、女の子のてきぱきとした指図で、車はあっという間に引き上げられたそうです。
そして彼女と男達の何台かの車もあっという間に去って行きました。

「若い女の子が数人の男を動かしてお礼もとらん。名前もいわん。あんな若い子もおるんやね。」
母は最近の若い子の親切に感動して誰かれなくこの話をしておりました。
どこのどなた様かは存じませんが、母を助けていただき感謝しておりますっ。






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最終更新日  2010年09月30日 12時18分39秒
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「遠くのものはつかめない」
虹をつかむことはできますか。
雲をつかむことはできますか。
近寄ると見えない虹。
雲は近づくと雲ではない。
リンゴ狩りをすると遠くのリンゴが赤く見えます。遠くの木まで行き、採ってみるとなお遠くのりんごが美味しそうです。山岳の花、海中の貝、宝石のように輝いている川底の石も拾い上げてみると、とたんに輝きを失います。
自分の周りの煌めきにはなかなか気づきません。
12月・・・自分の感性を磨きじっくり周りを見てみよう。


「人間は弱い」
父の口癖「人は弱いもんだよ」
「人間は体も弱い。意志も弱い。誘惑に弱い。」
だから、現金を見えるところで数えたりすると、悪事を誘うようなことだと怒られた。
人に優しく、自分に厳しく、清く正しく貧しく生きた人。自分のしたことには責任を取る。逃げない。書いていると息が詰まりそうだ。
「人は弱いものだから、お金や情実で裏切ったりもするさ。でも怨んじゃいけないよ。」
だが、父は自分を裏切った人を許せなかった。死ぬまで交流しなかった。できなかった。
人は弱いものでしょう?なぜ許してやれなかったのだろう。心から「許す」というのはまず、相手が「許し」を請うてきて始まるのかもしれない。私は父を裏切った人が亡くなった時、火葬場で父に会った。父はずっと怒った表情で黙ったままだった。彼女は謝らないまま旅立った。「死」は和解の機会を永遠に奪ったのか。それとも「死」は恨む対象が存在しなくなることで、父の心に氷解をもたらしたのだろうか。

「幻の選択」
もしあの時こうしていたら・・・「自分の人生を振り返った時、ふと考えてしまうんだよなあ。こういうのを『幻の選択』っていうんだよ。」
ベッドに横たわる老人は、自力で食事もできない状態でしたが、わずかに微笑んでいました。彼は自分の夢を捨て、家族のために生きたことを後悔していたわけではありません。愛する者のためなら命を捨てることも躊躇しない男でしたから。
ただ、長い人生の中では何度も岐路に立ち、その中には夢をつかむチャンスもあったのでしょう。
「幻の選択」は、終焉にて彼がみた甘く切ない『夢』なのか。
パラレルワールドがあるのなら、その人生では自分の夢を選択してるのかなあ。いや、彼はどの世界でも、家族とともに歩む。そして最期にちょっと感傷的に自分の『夢』を思い出すが、「わが人生、幸せだった」と微笑むに違いない。

「死」
彼が亡くなった。もう二度と声をきくこともないのだと思うと悲しかったが、その「死」はなんか遠い信じられないものだった。お棺の中の死に顔を見た時、「美しい死に顔で・・・。」というささやき声が聞こえたけど、私は怖かった。
まるで粘土で作られたお面のような顔、「生きている」はずもないが、「生きていた」という感じも残っていない。本人でなく別人、いや別物、「物体」になってしまった。
生きる実感を得るために死に近づく人がいるが、「生きること」は何なのか考えてほしい。いや、教えて欲しい。「生きること」は「苦」ですか?


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