『成功した&失敗したダイエット法は?』 過ぎたるハ及ばざるが如し 結果良けれバすべて良し 大団円
家業の忙しい夏休みの間 私は祖母の家に預けられ田舎暮らしを満喫しておりました。(厳しいしつけの父母のもとから逃れ私は「野生の猿」とまでいわれのびのび暮らしていたのです。)祖母の家は海と山の間にあったので山海の幸を採ることができました。寒天も大鍋で、採ってきた天草を煮溶かして作ります。作るときにたらした酢と天草の海の匂いのする寒天です。溶け残った天草は畑の肥料。1回で5~10?ぐらい、2個の大きなバットに入れて冷まします。台所にはトコロテン突きの道具が置いてあり、寒天を勝手に切り出しトコロテンをたべてもいいのです。皆トコロテンに砂糖や、ハチミツ、黒糖、カルピスなどをかけて食べていました。菊子おばちゃんだけは酢と醤油で食べていました。8人兄弟の末っ子で私が小学校の夏休みに遊びに行く頃には 他の姉妹は嫁ぎもうこの叔母しか残っていませんでした。高卒で働きに出たので この頃20歳ぐらい。今思えば若い!ですね。でも小学生には、少しは若いおばさんです。叔母は、毎日、5キロ先の町工場に自転車で通っていました。叔母は、太っているようには見えませんでしたが、筋肉質でがっしりした体を気にして朝食はトコロテン、帰宅して夕食の前にトコロテン、まあ よくトコロテンばかり食べられるもんだと感心しておりました。当時は今の伸びきった木のような細さではありませんが、男がベッドに軽々と抱いていけるような華奢な女性らしい体が理想でした。ビビアン・リー、マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーンなどのウエストの細さが憧れだったのです。1ヶ月もすると叔母は何かかばってやりたいような細いと言うか薄い軽い感じになり、自転車の踏み出しの馬力が消えたよりなく、周りは不安に思いはじめました。で、やはり起こりました。8月の終わりごろの夕方、まだ勤務時間のはずですが叔母がハイヤーに送られ帰宅しました。昼食後、急に倒れたそうです。付いてきた医者によると「ただの貧血だが、かなり比重が軽いので1週間ほど養生するように。」ということ何でも良く食べることなど注意をされていました。祖母の愛情たっぷりの卵料理(養鶏農家ですから)、祖父のつぶした鶏料理(祭りの時ぐらいしかつぶさないのですが)、精をつけようとうなぎ(食材をよそで買うことは滅多にないのですが今回は緊急事態です)1週間ご馳走尽くめで、休職していたら どうなるか。そうです。見事リバウンド。菊子叔母ちゃんは、この夏、「天国と地獄をみた」と言ってました。私が東京に帰ってすぐの9月、叔母は結婚しました。相手の男性は 果たして 菊子おばちゃんのやせた姿、太った姿 どちらに惚れたのでしょう。職場で倒れたことが2人の結婚への契機になったのでしょうか。