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テーマ:恋愛について(2607)
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「気負う事なく当たり前のことを当たり前にこなす。」でも、これがなかなか難しい。仕事、生活、恋愛、育児・・・・・なんでもそうだと思う。人や、物事を思う気持が強ければ強いほど、かえって自分が望んでいた結果とは程遠い結果になってしまうことが今までの人生で何度あったことか・・・・。
当たり前のことを当たり前にやろうと思えば思うほど、その気持とは反対にどんどんと自分から離れていってしまうような感じになったことがあった。20代の頃の恋愛は本当にそんな感じ。相手を思う気持が強いからといって、上手くいくわけがないのに、それだけが全てだと思って、いつのまにか『彼女が好きな自分』から、『彼女の事が好きな自分が好き』になっていた。自己満足&陶酔の恋愛。相手を見ているつもりで、本当に見ていたのは『恋に恋する自分』。あの頃の私はいったい何に恋をしていたのだろう? 本当に大切な事に気が付いた時には、彼女はもう私のそばからいなくなっていた。後に残ったのは未練と、後悔と、罪悪感と、自己嫌悪。おかげで、恋をするということは幸不幸の紙一重なんだなということを嫌々ながら学んだ。 俳優の高倉健さんが書かれた「あなたに褒められたくて」という本の中に「ウサギの御守り」というエッセイがある。今日はそのさわりの部分を紹介させていただこうと思う。 人が人を傷つけるとき、自分が一番大事に思う人を、いや、むしろ とっても大切な人をこそ、深く傷つけてきたような気がする。 この人はかけがえのない人なんだ、もうこんな人には二度と会えないぞ と思うような人に限って、深く傷つけるんですねえ。 傷つけた事で自分も傷ついてしまう。 そしていつのころからか、本当にいい人、のめり込んでいきそうな人、 本当に大事だと思う人からは、できるだけ遠ざかって、 キラキラしている思いだけをずっと持っていたいと考えるようになってますね。 卑怯なんですかねえ。 くっつかなければ、別れることはない。 全然その人に会うことも出来ない、電話すらできなくても、 自分の想いというのは、全くなにかタイムカプセルにでも入ったように 変わらないんですよね。 人にはそれぞれ、いろいろな、しがらみとか事情とかあって。 そのときには自分はこうですと言えないというのありますよね。 何年かたったとき、今なら言えるんだけどと思うこともあるんですが、 時の流れが早すぎて、向こうはもう切り替えて違うパートナーを 探しているとかですね・・・・難しいですね、世の中。 それがあるから今の幸せがあるのかもしれないけど、心のどこかででもそれは認めたくないなっていう気持もある。後先のことも考えずにただ「好き」っていう気持だけを頼りに20代の数年間を無我夢中に二人のこれからのために走っていたあのころの自分も、嫌いではないから。 ねぇ、あのころ君は僕といて幸せだったかなぁ? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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