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2021.11.28
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東公民館歴史講座「今は無き四戸について」を聞いてきました。講師は、八戸市立図書館・歴史資料グループの滝尻侑貴さんでした。

「四戸」は、苗字としては残っていますが、地名は消滅しています。

室町・戦国時代、八戸を含む糠部(ぬかのぶ)は、9つの「戸」、4つの「門」、1つの「郷」からなっていました。

このうち1つの「戸」つまり四戸と、東西南北4つの「門」、1つの「郷」(宇曽利)の地名は、現在残されていません。

・一戸
・二戸
・三戸・・・現三戸町・南部町・新郷村
・四戸・・・北は五戸町の浅水以南、東は八戸市櫛引・南郷、西は南部町福地村、南は二戸市金田一に
       囲まれた地域でした。
・五戸
・六戸
・七戸・・・七戸町・野辺地・三沢市の一部
・八戸
・九戸・・・九戸村・軽米町

「門(かど)」は4つあり、糠部の境界にありました。

・東門・・・岩手県洋野町
・西門・・・岩手県二戸市浄法寺
・南門・・・岩手県葛巻町
・北門・・・青森県田子町

鼻和郡、鹿角郡、久慈郡に隣接して、門が設けられました。

「宇曽利郷」は下北半島です。

・「四戸八幡宮神役注文・・正平21年(1366)8月15日
   櫛引八幡宮が四戸八幡宮と呼ばれていたことが分かります。

・「時衆過去帳」僧衆 永享元年(1429)6月
  「四部(四戸)の檀家が記載され、四戸に時宗の信者がいたことが分かります。

「櫛引八幡宮神事之日記写」
  流鏑馬の神事では、四戸や七戸、八戸が、「的(まと)」などの準備をしていました。当時、
  三つの戸は仲がよかったようです。

「東政勝書状」永禄年間(1558~70)
  四戸は戸内で矢合わせをした。(戦闘の開始を合図する行為)
  四戸、人馬別(とまべち・現在の苫米地)へ出馬。
  四戸が境に、一緒に出陣してくれるとうれしい

「南部晴政書状」永禄年間10月16日、八戸へ書状を出した。三戸・東氏(名久井)と北(剣吉)
  ・南(浅水)氏が対立。

   合戦の援軍として、七戸・八戸氏と共に四戸氏が登場。四戸、人馬別(とまべち)へ馬を
   出す。

「東朝政書状」永禄10年(1567)8月6日 八戸の主が幼かったので、八戸家臣の新田に書上を出
  した。
  八戸と四戸が対立。東は当初、四戸に援軍を出していたが、その後、仲裁するようになる。

「八戸家伝記」元亀年(1571)8月22日 この戦いでは八戸が勝ち、四戸・東から領土を取り
  ました。屋澤(矢沢)・水口(場所不明)・尻内・ 田面木。

九戸政実の一揆で、四戸を支配していた櫛引氏は、九戸に味方し、三戸・豊臣勢によって滅ぼされました。

「浅野次吉書状写」天正19年(1591)9月5日
「徳川家康書状」天正19年(1591)10月15日
 九戸一揆において、一揆に加担した、櫛引らが降伏したことを伝える。また、櫛引の残党をこと
 ごとく成敗したことを伝える。

四戸の領地は、三戸と八戸に分配されました。

「南部利直知行宛行状」元和7年(1621)5月29日
  「四戸之内嶋守・・」の領地が八戸直義に与えられている。嶋守は櫛引の部下でした。
   この時点で、四戸の領地ではなくなっています。ついでに、五戸の上市川も与えられました。

四戸消滅

「雑書」盛岡の書 承応3年(1654)6月27日条

  島守村が、「八戸内島守村にて」と表記され、四戸の地名が無くなっています。

これに先立ち、寛永11年(1634)に「糠部」の地名がなくなるので、その時に地名が再編され、四戸はなくなったと想像されます。

糠部解体と一緒に、四戸の地名はなくなったと思われます。糠部は解体され、北郡・二戸郡・三戸郡・九戸郡に別けられました。

八戸は、三戸郡内の八戸になりました。一揆に加担した九戸の名が、なぜ残っているのかは不明です。金田一城を、地元では、四戸城と呼んでいます。

四戸家

・櫛引家・・・四戸家の本家。主に四戸(櫛引)八幡宮の管理を行っていたと思われます。

・金田一家・・・櫛引氏から別れた一族で、本拠地を金田一城(四戸城)としました。一時期は、本家・櫛引家よりも、勢力が大きかったともいう。

・九戸一揆に加担した四戸家・・・「奥南旧指録」附録に記されている、九戸一揆に加担した人物で、四戸一族と思われる人物がいます。

櫛引河内守清長、櫛引城頭人、三迫被誅・・殿様。登米郡三迫で殺されたか?(同じく政実と運命を
                    共にした鹿角郡大湯住人の武将大湯四郎左衛門が三迫で
                    豊臣秀次に首を刎ねられています)

櫛引出雲守興繁、河内子、虜被誅

櫛引左馬助清政、河内子、討死

櫛引將監光清、河内弟、浪人

櫛引弥五郎興堅、出雲守子、浪人・・・清長の孫

櫛引十兵衛清寛、河内次男、秋田ニ走  走は逃げたの意

四戸伊豫入道全閑、政実子、亀千代懐ニシテ没落、江刺ヘ走・・・金田一

四戸中務宗光、金田一弟、讒ニヨリテ秋田ヘ走ル・・・金田一全閑の弟

嶋守安芸守
嶋守内膳正
嶋守主膳正

以上で、終わりです。






最終更新日  2021.11.28 10:42:16
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