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再び地元紙の投書欄に、「南部と津軽」に関する投書が掲載されました。
この投書を含め3回、別の記事を載せます。今日は青森県農協中央会での「南部・津軽のごたごた」の続報も載せます③は東公民館歴史講座での「南部と津軽はなぜ合わない?」で、明日の掲載です。 以下は、①地元紙への投書です。 先日、家庭を訪問したら、言葉のなまりから判断して、「あなた、津軽の人ね。用はない」とつれなく扱われ、悲しい思いをしたという話しが、地元紙の投書欄に掲載されました。 今回は、それを援護する投書が掲載されました。全文を転載します。 『11月12日付の投書欄「南部との壁」を読みました。津軽地方出身で、八戸に住んでいる方が、仕事でお宅を訪問した際、訪問先の人から「津軽の人とは話したくない」と、扉を閉めてしまったという事でした。 この投書の内容を読み、悲しい気持ちで一杯になりました。 私は八戸で育ちましたが、両親は津軽出身なので、津軽弁のことはよく分かります。また姉は津軽に嫁いでおり、今ではすっかり津軽弁になっています。 南部・津軽を巡る昔の歴史は、私もよく分かりません。今の若い方は、なおさら、分からなくて当然です。 先の投稿で対応された方に悪気はなかったかもしれませんが、もし、反対の立場だったら、どんな気持ちになるでしょう。 戦国時代から歴史は続いています。でも、令和のこの時代まで、偏見が続いているのは、悲しいことではないでしょうか。 投稿された方、気を落とさずに、頑張ってください。 三沢市 O子 77歳 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.12.29 10:34:15
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