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カテゴリ:1976年の頃のディスコのお話
Tomorrow USAにジュリーが入った頃、委員長の古巣Q&BにあのベルがDJで入り、更に赤坂ハレムではV-one時代のラリーが店長となっておりました。
ベルはハレムで割腹自殺をはかるというとんでもない事件を起こして、一時身を潜めておりましたが、心優しい元エンバシーの先輩E氏のおかげでQ&Bに入ることができ、なんとか業界に復活してきました。 Q&Bでは昔からの常連のアフロ小僧たちが、BAD CHILDRENに続けとばかりに二軍を結成してベルからの指導などを受けたりしていました。 いやー、実際この頃の歌舞伎町は本当に熱かったですね。 特にV-one時代からの常連は、ディスコ界で快進撃を続ける委員長たちをヒーロー化したりしていました。自分たちの身近から有名になっていくバカたちを見て、羨ましがっていたのでしょうね。誰だってやってみたい生き方ですけど、そう簡単には踏み込めませんからね。でも長い目でみれば、「やってなくて良かった」てなもんですけどね。 傍から見てる分には、精神的なプレッシャーや将来への不安とかは見えませんから、楽しく好きなことをやって暮らしていると言う風にしか映らないものです。 Tomorrow USAではジュリーが入ったことによって新たなテンションが生まれつつありました。それは、ジュリーがバイトの関係で早番専門、マチャアキが中を継いで、ジョイが遅番専門、そしてメインの時間帯をJOEが受け持つと言うようなシフトが組まれたことで、マチャアキ、ジョイから反発があったのです。 「ひとやすみ」時代の経緯や、ジョイの借金事件との関わりなど、皆ジュリーに対して少なからず嫌悪感を持っていたので、自我を通す強引なやり方に反発したのでした。 かろうじて委員長はダンサーという立場でしたので、この暗闘には介入しませんでしたが、マチャアキもジョイも、後から来たジュリーを快く思っていなかったのは事実でした。 とはいうものの、この当時のジュリーのガムシャラな生き方は、形こそ違うものの成り上がろうとするアウトローの典型ではなかったかと思います。 誰もが成功を求めつつも先の見えない世界に夢を見ながら、毎日毎日を手探りで生きていましたから、自我、嫉妬、嫌悪などはあって当然でした。 この業界に携わっていた人間のほとんどが、毎日起こる出来事にやみくもに振り回されて、毎日をただ流されて生きていただけで、相当に強固な意志を持っていなければ飛び抜けることなどはできなかったと思います。 逆に言えば、それだけ住みやすい世界であったことも確かです。 毎日がお祭りですから、金の続く限り遊んでいられる世界でもあったわけです。 ここら辺が水商売の落とし穴ですね。 無くて七癖とはよくいったもので、欲望と誘惑に囲まれた世界では、人は皆何かに取り憑かれてしまうものです。 いわゆる表の社会でもやってることは一緒ですが、裏の社会ほど生々しくはありませんね。最近は裏も表もケジメがなくなってきたようですが、ひとつだけ確信を持って言えるのは、この生々しさこそが人としての「生」のリアリティを感じることのできる場面であるということです。人生は悲喜劇と言いますが、生々しさを伴った本当に悲しい場面に遭遇すると、その状況が笑い話に思えたり、小さな喜びを分かち合う人たちを見て悲しくなったりと、人が生きるということの実感を掴むことのできる唯一の場が、アウトローの世界ではないかと思ったりします。 ということで、ここらでジュリーが頭ひとつ飛び出した感がありました。 委員長も早速巻き込まれ、キングレコードのプロモーションにBAD CHILDRENが再び動員されることになりました。 HIDDEN STRINGS BANDとBUDAレーベルのプロモーションで、都内のディスコを回るといった「営業」そのまんまの企画でしたが、ダンサーズの名前を売るには絶好のチャンスだぞ、みたいについ乗せられて、ジュリーとキングの荒井さんに連れられて、都内のディスコをアフロ軍団は巡ったのでした。 新宿はいつでも回れるからという理由で、今回は六本木に打って出るぞ、ってなことで、「メビウス」「アイ」「プラスワン」「ファイブホース」「グリーングラス」「ボビーマギー」何故か赤坂「マンハッタン」「ハレム」などを回りました。 ハレムではV-one時代のラリーに再会して驚きました。 髪の毛は短く切って風貌もすっかり大人びていて、さすが店長といった落ち着きさえ感じられました。 委員長たちを見て、「俺も昔協会のダンサーしてたころさ、踊り子さんはこちらからお願いいします、とか言われて笑った覚えがあるよ」とか声掛けてくれて、すっかり経営者の顔になっていました。 結局、時間も早かったせいか、あまり客のいない店でのプロモが上手くいったのかどうかはわかりませんが、とりあえず各店のDJには仁義を切ったってなところでしょうか。 当時の業界では、ビクターレコードとディスコ教会の独壇場といった感もあり、こういった実際に足で回る営業でチャートランキングを上げる方法はあまり行われていませんでした。この点はジュリーが現役のDJであったことから生まれた発想で、普段レコード会社など縁のないディスコDJの元に、レコード会社側が自ら試聴盤を持って営業に回って来るのですから、そりゃDJとしても悪い気はしません。 しかも、タダでレコードは貰えるわ、大手レコード会社の社員に頭下げられるわで、普段ろくでもない人間を自称しているような奴らばかりですから、すっかり気分も良くなって、義理でも選曲に取り入れるのは当たり前となります。 オリコンとまでは行かずとも、地域のチャートランキングや、その店のリクエストランキングなどにもプロモ曲の名が挙がってくれば、それはイコール営業実績となるわけです。 「また、次の新譜持ってくるからさ、たくさんかけてね」 みたいに言われれば、ビンボー生活のDJにとってみりゃ、こんな嬉しいことはありません。 そのうち試聴盤欲しさに、勝手にランキング操作して媚び売るヤツなども出てくる始末。 さあ、そうなってくると、今度は実績欲しさに若手プロモーターがディスコ回りを始めます。 とは言うものの、当時のレコード会社の洋楽宣伝担当者がディスコDJなどを知るわけも無く、結局は現役DJでプロモを扱うジュリーのところに話が回って来たのでした。 はじめは横の繋がりから、各社が相乗りして回ったりしていたのですが、そのうち金出してもいいから独自の営業をしてくれ、みたいな話になって、当然ジュリーの元にそんな話がポツポツと舞い込んでくるようになったのです。 さあ、こうなってくるともうジュリーの天下です。 あちらこちらから試聴盤の包みがジュリーのもとに届きます。 試聴盤欲しさにジュリーの周りに取り巻きが出来てきます。 ちなみに当時の委員長の手元にも、キングレコードの試聴盤が山ほどありました。 更にエスカレートしてくると、「○×の新譜手に入らない?」とか、ディスコ系以外の試聴盤の調達まで頼まれる始末です。 「手に入れてやるから、△○かけてくれよ」 みたいな取引になります。 (どこの世界でも似たようなもんですね) 「レコード貰って魂まで売り渡していいのか」(そこまで言わんでもええやんけ) みたいなことをいうヤツも出てきたりして、業界ではちょっとした騒動だったわけです。 今にして思えば、そんなことを言ってた奴が後に先頭切って旗振ってたんですから、結局はみな同じ穴の狢ですね。 ヤツばかりが良い思いして悔しいっ、てなことだけです。 それにしても、この道筋を付けたジュリーはやはり業界の先駆者だったのではないでしょうか。 さて、そんな絶好調のジュリーが若手プロモーター達に煽てられて、プロモ会社を作ろうと画策しました。これに委員長も巻き込まれて、BAD CHILDRENを本格的に売り出すぞぉ、みたいな話で盛り上がったわけです。(二人とも若かったからね) テイチクレコードのマコト君がまず名乗りを上げてくれて、マネージャーを務めてくれることになりました。その他直接には介入してきませんでしたが、各レコード会社の洋宣担当者がジュリーに乗りました。(皆大人だからね、いきなり手放しで乗ってきませんよね) 当面はギャラなしだけど、各社プロモの手伝いにBAD CHILDRENが駆り出されることになったのです。 まずは名前を売ることから始めなきゃって、うまく使われたのかもしれませんが、何のコネもない委員長たちにとっては大手レコード会社との繋がりは大切なステップでもありました。 ディスコへ営業に回る時は必ずダンサーズが同行して店を盛り上げる、といったサービス付プロモーションでした。 それなりに頭角を現しはじめたジュリーとロニーのコンビネーションも、このあたりでまたも壁にぶち当たりました。 キングレコードはジュリーの正規採用を却下、更にディスコプロモを通じて他社との関係が深くなっていったことに対する注意が促されました。 BAD CHILDRENではトオル、テツの二人が委員長のやり方に抗議して脱退を表明。(って大げさな表現ですね) 彼らの言い分は、自分たちはSOULダンサーズを目指してここまでやってきたのに、なんでソウルドラキュラやバスストップみたいなステップまで踊らなきゃならないんだ、といったことでした。 これに対する委員長の答えは、 「俺だって同じ気持ちだが、まずは売れることが先決で、もう少し売れて金稼げるようになってからもう一度考えようぜ」 というありきたりの説明でした。 もうひとつ、少なくとも踊りを見せて金を貰っている以上は、仕事なんだから好き嫌いでは選べないことが社会の常識だ、というようなことを言ったところで、テツが更に反発してきて、そんな常識なら俺はついていきたくないと言いました。 子供から大人へ移行する時期だったのでしょうね。 驚いたことに、ここでマリとヒトミが二人に反撃を食らわせました。 「あんたたち男の癖に情けないわね。ここまで来ちゃったんだから、あとは有名になるまで行くしかないでしょ」(ごもっともです) 「これで辞めるなら、私達の付き合いもこれで終わりだからね」 (そこまで言うか) いやー、女は強い、凄いと思いましたね実際。 一番年下であるヒトミがそこまで言い切る、その踊りにかけた情熱っていうものに頭を殴られた感じでした。 結局、二人は去っていき、残された委員長は新たなメンバーを探して夜な夜な新宿をほっつき歩くことになったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月22日 12時38分17秒
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