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カテゴリ:1976年の頃のディスコのお話
トオルとテツの去った後、メンバー探しに奔走する委員長は、夜な夜なアチコチのディスコを徘徊しつつQ&Bに顔を出すと、ベルが待ってましたとばかり「相談に乗るでぇ」と言ってくれて、エンバシーの後輩を一人紹介してくれました。
更にQ&Bに屯していたBAD CHILDREN二軍みたいな連中も我先にと、こぞってやってきました。 とは言うものの、アフロしてりゃいいってもんでもないし、トオルの後釜、テツのアクロバットの空いた穴は結構でかくて、簡単には補充できません。 いっそのことベルに入ってもらっちゃおうか、って言ったらヒトミとマリに猛反対されてタジタジになりました。 「私らのイメージが壊れる」だって。 一応、ベルの顔を立ててエンバシーあがりの若手を使って練習はしてみましたが、どうもイマイチで、短期間で無理やり仕上げなきゃならなかったこともあったので練習がきつかったせいか三日目にはすっぽかされて、結局はボツ! 当面は、二軍でまとわり付いていた当時16歳のKGを、少々やばいと思いつつも起用することにして、さてもう一人が中々決まりません。 とにかく血眼になって後釜発掘に奔走の毎日でした。 踊りの上手いヤツがいると言われりゃ出かけ、芸達者なヤツがいると言われりゃ出かけ、それでも中々ピンと来るヤツにはお目にかかれません。 ところがそんなある日、後釜は自らUSAにやってきたのでした。 長身の逆三角形アフロ、フランケンシュタインを思わせるようなロボットを巧みに踊るヤツ、チャーリーの登場です。 ヒトミもマリも賛成はしませんでしたが、反対もしませんでした。(どっちなんじゃい) チャーリーは当時異色のダンサーズ、ブラック・ファントムというグループにいて、プロレスで言う悪役チームみたいな感じのショーをやっていました。 暗い感じのメンバーばかりで、SOUL版KISSみたいな感じかなぁ。 でも、踊りはまあまあいけそうだったし、ちょっと変わったカラーも入れてみたらどうかと思い、彼に声をかけました。 実際のところ本人も後釜狙って来ていたようで、即決でした。 これで何とかメンバーは補充したし、あとは新しい振り付けを考えて、即練習を始めようってなことで、一同気合を入れて新生BAD CHILDRENの再スタートとなりました。 今までのパートナーはプライベートでもパートナーでしたから、良い部分も悪い部分もあり、どちらかといえば仲良しクラブのようなもんで、プロ意識は薄かったように思えます。 比べて新生BAD CHILDRENはショーアップに集中した構成を考えて、身長体型もうまく合わせ、曲によってはパートナーの組合せも変えたりすることがスムーズにできました。 ヒトミやマリも吹っ切れたのか、踊りに専念するようになり、当初に比べると多少はショーらしくなってもきました。 メインのショータイムの振り付けを完璧にするまでのゴカマシに、Q&Bから二軍を連れてきて踊らせたり、変則的に4人で踊ってみたりと色々な試みも行いました。 このころ、4階にあったBig Togetherでヒューズ・コーポレーションのライブショーがあり、なんとその前座にジョニー率いるFUNKY DOLLSが出演すると聞いて驚きました。 彼らとは池袋のアダムスアップル以来で、ダンサーズのパッケージ・ショーを見るのはこれが初めてでした。 ショーの司会はマイク越谷さん。 簡単な紹介の後、まずは前座のダンスショーです。 オープニングは映画のサントラから「スーパースター」でした。 ダンスフロア暗転 イントロのアカペラコーラスが入ります。 ジ~ザスクライ~、ス~パ~スター カットアウトしたところで、Kool & The GangのLove & Understandingに乗ってメンバーの登場です。スカイブルーのジャンプスーツに赤の裏地、男三人、女一人のFunky Dollsがブレイクダウンで踊りながらフロアに現れました。 きちんと振り付けされた踊りは「プロ」の余裕さえ感じられ、見ていた委員長たちメンバー全員、正直言って圧倒されました。 ジョニーとお京さんのかけ合いはアダムスで見たパターンでしたが、二人の表情もあの頃に比べると格段と豊かになっていて、演技に空々しさがなく、安心してみていられるものでした。アクロバット・パートは、後にジャパニーズでデビューしたボビー、そしてY君、バック転や宙返りこそありませでしたが、連続して見せるダウンやファンキーフルーツは計算されたショーアップで、十分に観客を満足させるものでした。二人の表情はやや緊張気味でしたが、ショー全体からみなぎる自信が感じられ、危なげない仕上がりのパッケージ・ショーでした。エンディングはメンバー3人で人形のような表情のお京さんを抱え上げ、フロアをぐるりと回り観客へアピール、正面に戻ってお京さんが下ろされて全員でDOLLのポーズでカットアウト、ストップモーションで終わり、暗転。 20分そこそこのショーでしたが、まさにプロと言えるだけの内容でした。 その後のヒューズ・コーポレーション・ショーは、それなりのディスコライブで盛り上がりましたが、この時の委員長はジョニーのプロ魂というか、完璧なSHOW UPを見せ付けられ、敗北感すら覚え落ち込んでいきました。 取り巻きのようなガキの頭に立って、いい気になっていた自分がひどく子供っぽく思えたし、ろくすっぽショーの勉強もせず独りよがりのダンスショーに明け暮れていた毎日が恥ずかしく思えたのでした。 マリやヒトミも同様な思いを抱いたようで、口では強気なことを言っていましたが、同じ道を歩く自分たちがあまりにも幼かったことを、まざまざと見せ付けられたようで、USAの楽屋に戻ってからも沈んでいました。 そんな暗~くなった楽屋へ、ジュリーが衝撃のニュースを持ってやって来ました。 「ウチでも明日ヒューズ・コーポレーション呼んだぞ」 もともとディスコ・ショーはオマケの営業ですから、彼らのお小遣い稼ぎです。 せっかく同会社の下階でやったのですから、上でも一度やってくれ、みたいなもんで、商談は即決。たいした宣伝もないままショーが企画されました。 当然、前座はBAD CHILDRENです。 嬉しいやら、怖いやら、落ち込むやら、複雑な気持ちでした。 誰とも無く「練習でもしとこうか」の掛け声も虚しく、今更間に合わないし、どうせオレたちゃ出たとこ勝負よ、みたいなツッパリもイマイチ元気がありませんでした。 さて翌日、楽屋にはマイク越谷さんがやってきて、今着ている私服とどこが違うのかようわからん衣装を取り出して着替えると、「どう、準備はOK?」などと愛想を振りまきますが、なんだか暗い楽屋だなぁ~といった感じです。 結局は客の入りが少なかったので、時間を少し延長することになり、ヒューズ・コーポレーションはBig Togetherの楽屋で出番待ちとなり、ダンスショーは時間通り始めることになりました。 というわけで、前座とはいうものの時間つなぎのショータイムみたいなもんで、結局自分たちもほっとしたのは事実でしたが、所詮オレたちゃこんなもんか、みたいに更なる落ち込みも生まれてしまいました。 かろうじて、ヒュース・コーポレーションのショーを特等席で見ることができ、少しは慰めになりました。 メイン・ヴォーカルのレディ・ソウル、彼女の喉は最高でした。 He is my homeという曲を、マイクを外してシャウトしたときには鳥肌が立ちました。 身長160cmほどの小柄な体から会場全体に響き渡る声量にも驚きましたが、演出的にも観客を引き付けておくだけの仕掛けがしてあって、ショーというものがどういうものなのか、少しは理解できました。彼女のジャンプスーツは、脇の下から足首まで網目のシースルーになっていて、もの凄くセクシー、チラリズムの局地でしょうか。ノーパンなのは勿論ですが、見る角度によって胸からヒップライン辺りまでが、透き通るような想像を与えるデザインには本当に目を見張りました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年09月22日 12時38分47秒
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