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2005年08月29日
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1977年10月 委員長にとっては忘れることの出来ないある出会いがありました。

Mama, Do you remember~母さん、ボクのあの帽子どこへいったのでしょうね~

そうです、角川映画第二弾「人間の証明」のロードショーです。

実は、委員長はガラにもなく親孝行のつもりで、映画好きの母親を連れてこの映画を見に行ったのでした。しかも委員長の働く新宿歌舞伎町東宝会館です。
当時1階の映画館前にはビルのテナントの写真が貼ってあったのですが、そこにはなんとアフロ頭の委員長の勇姿、DJ姿の特大写真が掲げられておりました。
別にそれを見せたくて連れ立ったわけではありませんが、わが息子のお調子者姿をその目で見て、ああ、もうこの子を止めることは誰にもできないと悟った母親でした。

さて、映画は森村誠一原作のサスペンス・ドラマで、人間愛の奥深い葛藤を描いた話題作でした。当時乗りに乗っていた故俳優松田優作主演、三船敏郎、岡田茉莉子他豪華キャスト、さらにニューヨークロケまで敢行した角川映画の超大作でした。
ストーリーは敗戦直後の混乱期に生まれたいわゆる「戦争の落とし子」、GIベイビーを核に、高度成長期を背景として財を築いたファミリーが織り成す悲しい人間ドラマでした。
そして、悲劇のヒロインを演じたのがジョー山中で、サウンドトラック主題歌も歌っていました。映画のテーマとなった親子の愛の物語を、偶然とはいえ母子家庭の委員長親子が見たというのも何かの縁だったのでしょうか、この詩は委員長の心の奥底に染み込んできました。原詩は西条八十の麦藁帽子という詩がキーワードになっているのですが、失われた母子の心を歌うジョー山中氏の声は、魂の雄叫びのように今でも印象深く心の中に残っています。

かぶれ易いことにかけては天下一品、道楽者の委員長はその日からすっかりジョー山中にはまり込んでいってしまったのでした。
その昔、フラワー・トラベリング・バンドというグループで活躍していたジョー山中氏ですが、辛うじて委員長の記憶にあったのは「メイクアップ」と「さとり」くらいのもので、単なるROCKバンドの位置付けでしかありませんでした。
さっそく彼らのレコードを手当たり次第買い漁って聞きまくる委員長でした。
映画の大ヒット、主題歌の大ヒットでレコード会社もここぞとばかり、古いアルバムを続々と再発していきました。

ジョー山中のルーツはここにある! みたいなキャッチ・コピーでほぼ全盤復刻です。

そして委員長の頭に衝撃を与えたアルバムが「タイム」でした。
アメリカのタイム誌の表紙をかたどったアルバムジャケットには、アフロ頭のジョー山中氏が刀を持って立つ凛々しい姿が映っていました。
しかも、アフロは耳の上あたりから両脇に金髪のメッシュが縁取りされています。

これだ!これこそオレが求めていたフィーリングだ!(やれやれ、何度目でしょうかこのセリフ)

早速近所の美容院に飛び込んだ委員長でした。
翌日、トゥモローUSAのDJブースに金髪メッシュの入ったアフロ男の登場です。

しかし、このフラワー・トラベリング・バンドってのは、時代に埋もれた凄いバンドだったのですね。デビューアルバムの帯にかけられた内田裕也御大のコピーが凄いです。

「どこかのバカヤローが小原庄助さんみたいなロックだと言った。みんなが今、その小原庄助さんをこぞって取り入れている。聞けFTBの叫びを!」

デビューアルバムはブラックサバスのコピーや、朝日のあたる家などのリメイクが混ざったちょっと雑なアルバムでしたが、全編英語という、当時の日本のロックバンドではまず考えられないデビューの仕方でした。
全アルバムを聞いてみて感じたのは、音楽性もさることながら、彼らが持つそのファイティング・スピリットが全編満ち溢れていたことでした。
まさしくアウトローの持つ攻撃的なパワーがレコードに注ぎ込まれているのです。
それにしてもジョー山名氏の金属音にも似たあの声、特に突き抜けるハイトーンは鳥肌が立ちました。こんなスゲーバンドが日本にいたなんて、本当に驚きでした。
SOUL馬鹿一筋で来た委員長は、ここで本当の意味での音楽への開眼をしたわけです。
委員長の心の目を開けてくれたジョー山中氏との衝撃的な出会いでした。
(大げさではありません。不良少年の集大成。ROCKの根源がここにあったのです)

そして、この映画にはもうひとつの因縁が隠れていました。
映画の大ヒットと共にテーマ曲「人間の証明」をスローナンバーとして使っていた委員長に、同僚ブラザー・ジョーが言ったのです。

「素晴らしい歌だ。ハートが伝わる。彼がこれほどのシンガーだとは思わなかった」

「へぇ、ジョーは彼のこと知ってるの?」

「ああ、最終オーディションまで一緒だったからね」

「えっ!?」

驚きましたね、なんとキャラクター・オーディションがあったなんて。しかも同僚のジョーが出ていたなんて初耳でした。
すかさず根掘り葉掘り聞き出す委員長には更なる衝撃が!(ってガチンコじゃないっての)
オーディションには相当の数の黒人やら黒人のハーフが来ていたそうで、最終選考に残ったのが3人、ジョー山中氏、ジョー・サンダース、そしてもう一人はあのジョニーだったと聞かされた時は本当に驚きました。
ヤツはこんなところで勝負してたんだ、としばし感慨深い気持ちで一杯になりました。
ジョーいわく、彼はだいぶいい線いっていたが、演技にまだ多少の照れがあったので落とされた、と言う話でした。
じゃあ、YOUはどうだったの?と聞くと、笑ってごまかしていましたが、どーも年齢で落ちたのではないかと思いました。当時すでに30は越えてましたからね。
まあ、しかし自分の周りの人間が見えないところでメージャーを目指していたなんて、こりゃあ侮れないと感じた委員長でした。
オレも頑張らなきゃいかんぞーという感じでしたね。
とは言うものの、何をどう頑張れば良いのか、焦りばかりがつのっていく毎日でもありました。

そんな委員長のせめてもの慰めは仕事後のムラちゃんとの与太話でした。
ムラちゃんの歩いてきたバンド人生は委員長にとって刺激になる話が多く、未だ自分の知らないバンドの世界は妙に好奇心を掻き立てるものでした。
高校生のころアマチュアバンドのコンテストで準優勝を取って以来、プロを目指したものの人間関係の難しさや、好きな音楽をやりながら生計を立てていく難しさ、結局はアマともプロともつかない中途半端な状況にいる苦しさなどなど、委員長が体験してきたDJやダンサーとは比べ物にならないほど生活感のある実体験を聞かされました。
また逆に、委員長の経験してきたディスコとアウトローの話は、ムラちゃんにとってはやはり未知の世界の出来事として興味深く聞きこんでくれました。そんな二人の馬鹿話は毎晩繰り返されていくうちに、中途半端な人生の上にいる二人にある共通の想いが芽生え始めていたのでした。

「こいつとなら、なんか新しいことができそうだ」(また新たな勘違いが生まれただけです)

お互いの不完全燃焼に終わった中途半端な夢を繋ぎ合わせれば、ひょっとして何か新しい人生の突破口が開けるかもしれない、そんな漠然とした期待感を抱いた二人でした。
(馬鹿が二人寄っても馬鹿が増幅されるだけで利口にはなりませんね)
そんな期待感が高まっていく二人の前に、委員長のライバル、あのジョニーが現れたのでした。
九州のディスコから再び新宿へ帰ってきたジョニー。
彼らがダンサーデビューしたバンド、BIBのヴォーカルとして復活してきました。
委員長の顔を見にトゥモローUSAに立ち寄ってくれたジョニー、久々の対面でした。
そしてお互いの顔を見合わせたとき、思わず笑い転げてしまいました。

二人ともアフロに金髪のメッシュが入っていたのです。
オレたちゃやっぱり永遠のライバルだぜ~。
ようし、今度はバンドで勝負だ。
久しぶりにジョニーと二人で踊り明かした新宿の夜でした。





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最終更新日  2005年09月22日 15時18分16秒
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