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2005年10月21日
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1979年初夏、企画事務所エスメラルダが設立されました。
RCAレコードK部長や日本フォノグラムの渡部氏も出資するという話も出ました。
とは云うものの、事業内容もわからない会社では投資の対象にもなりません。
早速委員長が無い頭を絞って事業計画書を作りました。
会計収支も無い単なる会社設立企画書でしたが、新宿の小さな会議室を借りて株式会社設立準備のための緊急ミーティングが行われました。

ジュリーの後ろ盾である二名の他にもレコード会社洋楽宣伝の関係者が数名出席して、それなりに会社設立準備委員会のような会議となりましたが、最終的には「何をして利益を出すの?」という非常に単純な質問がでるような稚拙な内容でした。
当たり前ですね。毎晩ディスコでドンちゃん騒ぎしていたような奴らが、いきなり畏まってネクタイしてみたところで世の中それほど甘くないってものです。
しかも相手は、音楽業界とはいえきちんとカタギの生活をしている方たちばかりです。

ディスコダンスや、SOUL、ファンク、ディスコヒットの話には耳を傾けますが、会社設立や営業に関しては十分に知識も経験もある方たちですから、遊び人の戯言を本気で聞いてくれるわけがありません。しかも企画書には肝心の売上見込みとか、経営理念のようなものは全く無く、小手先の金儲けみたいな企画ばかりです。これで出資しろという方が無理な話で、1時間程度の会議は何の結論もないまま終わりました。

「もういいよロニー、オレ達だけでやろうぜ」

今更ジュリーが言い出すまでも無く最初から見えていた結果です。
いずれにせよ、もう動き出した以上は止めるわけにも行きません。
新宿歌舞伎町、モナミビル5階「クレージーホース」に収まったジュリーと委員長はここで後輩の育成に力を入れました。(って、ピンハネの合理化ですね)
要はひとつでも多くのハコを取ってDJを派遣させることが当面の目標です。

トゥモローUSAの崩壊は同業者であるDJ連中にもかなりの衝撃を与えたようで、野次馬根性からかアチコチのDJたちが頻繁にクレージーホースに出入りするようになりました。
まずは階下のムゲン、階上のポップコーン、チェスターバリー、ミルキーウェイなどなど、古株連中が陣中見舞いのように御機嫌伺いにやって来ました。
もちろん彼らの関心は何と言ってもジュリーが立ち上げた会社「エスメラルダ」に尽きるわけで、噂が先行するこの業界では早くも注目を集めていました。
誰しも考えることは同じで、上手い話なら俺も一枚咬ませてくれみたいなことで集まってくる奴らが殆どでした。

特にポップコーンの山ちゃんなどは年齢も年齢だし、できることなら一緒に組みたいなどとも云って来たりしました。
DJだのなんだと言ったところで所詮は店がなくなれば失業するわけで、あれほどの権勢を誇ったトゥモローUSAでさえ脆くも崩れ去る様を目の当たりにして、明日は我が身と切実に感じた連中も多かったのではないでしょうか。
誰もが皆将来には一抹の不安を抱えていましたから、会社を立ち上げるなどという話には目ざとく乗ってくるのも仕方のないことです。

立ち上げた当人である委員長たちにしてみればせざるを得ない、今を生き延びるための貧乏人の浅知恵のようなものでした。
ですから起業に対する思い入れ、経営理念や営業方針など考えるどころの話ではなく、今の生活をどのようにして維持させるかという切羽詰った状況でした。
傍から見れば業界の異端児のような印象も持たれたりしましたが、決してそんな大そうなものでなく、目的は現状の手取り収入をいかにして維持させるかということに尽きました。

まあ、後見人の皆さんが相当に支援をしてくれたおかげで、瞬く間にエスメラルダのハコ取り作戦は成功し、派遣DJが追いつかないようになっていきました。
クレージーホースは、当初ジュリーとロニーの名前でUSAからの常連客を相当引っ張りましたので、それなりにハコ取りの評価も高く当面はエスメラルダの拠点となりました。
ここから先は余りにも目まぐるしい事態が続いたので、時代や店、人名の記憶が曖昧ですが適当に整理してみましょう。

新宿クレージーホース
ジュリー、ロニー、サム岡田、ホリがシフトで入り、見習いとしてユウジ、マモル、アクタローの三人が付きました。

ワンプラスワン
ヒロシ、トモミ、リト

高田馬場リチャード三世
花見キョン、モリ
ここでブルさんことナベちゃんが講師となりDJの養成講座を開きました。
ここに集った面々が後に地方のディスコ等へと派遣されていくことになります。

スタートはこんな感じでしたが、この後地方も含めエスメラルダの快進撃は続きました。
ちなみにブラザー・ジョーは会社との正式契約があったので、期間満了まではUSAに残っていました。USAの後すぐに改装工事に入ったようですが、どうも委員長は想い出したくないという無意識からなのか、崩壊後の記憶が全くありません。
本当に覚えが全然ないのです。頭の中で自らの記憶を自ら抹消してしまったのかもしれませんね。

さてエスメラルダがスタートしてすぐはもちろん事務所も無く、昼間の連絡先が無いのも不便と言うことになり、たまたまジュリーのファンクラブのような女の子二人がボランティアを買って出てくれたので、当面は彼女達に事務と経理を任せることになりました。
今なら携帯やメールがありますが、当時はせいぜいポケベル、それもただピーピー音がなるだけで近くの公衆電話を探して連絡するというようなシロモノでした。
(それでも当時はかなり便利だったですよね)
このポケベルの中継点も彼女達のアパートの電話を使わせてもらい、なんとか会社設立に向けて着々と準備を進めて行ったのでした。

いかにも水商売って感じの公私混同、立ってる者なら親でも使えってくらいグチャグチャなスタートを切ったエスメラルダでしたが、ここで地方の仕事第一弾がやって来ました。
金沢のバナナ・ビーチというところから派遣DJの依頼が舞い込んで来たのです。
なんと話はマイク越谷さんからで、地元金沢でプリンスホテルも所有するという相当な名士「寿観光」の部長経由でした。さあ、初めての地方派遣、誰を送るかという話になって、集められた若手DJ達は内心ドキドキです。そりゃ大方の若手は地方からの上京組ですから、自分の故郷でもない地方に行きたがるわけがありません。
とは云うものの、後々のことを考えると適当に見習いDJを送るわけにもいかず、それなりの人間を用意しなければなりません。
緊張の時間が流れます。

「金沢って海ある?」

沈黙を破った突然の質問はトモミです。

「サーフィンができるんだったら俺行っても良いよ」

「日本海だけど、海はあるよ」

花見キョンが答えます。
季節はこれから夏ですから、3ヶ月の約束でトモミの派遣が決定しました。
エスメラルダDJ派遣業務第一弾は石川県金沢市のディスコ「バナナビーチ」でした。






最終更新日  2005年10月22日 22時51分25秒
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 Re:道楽者の昔話その147(10/21)   シンジ さん
ロニー❗️元気〜⁉️ (2020年05月27日 15時04分44秒)


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