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2005年11月03日
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1980年、高田馬場リチャード三世を拠点にしてロニー軍団が馬鹿騒ぎに血道を上げていた頃、株式会社エスメラルダはマネージャー役のヒロシの強引な営業で更に勢力の拡大が続いていました。
ジュリーこと昇ちゃんもいよいよ年明けには結婚式が決まり、着実な生活設計を全うしているようでした。
ヒロシが営業に専念するようになってからはサム岡田や花見も多忙になり、昇ちゃんのアシスタントはナガイという新人がするようになっていました。
そしてこの頃、あまりの組織拡大とヒロシの強引さから数名のDJが辞めて行きました。
エスメラルダ設立当時から関わったホリや、アクタロー、マモルなどが次々に去って行きました。マモルは大変性格の良いヤツだったので、チェングのところで引っ張って貰うような話にして上手く辞めさせてやることができましたが、他のヤツらはどうも金銭トラブルですったもんだしたせいで、結局は縁切りとなっていってしまいました。
DJ派遣とか斡旋とかいったところで所詮はピンハネですから、ハコを適当に回しているうちは良かったのですが、そのうちハコの専属のような形になっていくと店の方でも直接雇用した方が使い易いと考えるのが当たり前のことです。

まあ、芸人というかプロダクションの持つ命題のようなもので、いつかは必ずぶつかる問題といえます。
「ここまで育てて仕事まで取ってやったのに」と言えば、「その分は十分返したはず、後は自分たちで直接やらせてくれ」と言い返され、結局はハコのオーナーの意向に従わざるを得ないことになりますから、こうして数人のDJが各店に専属となって切り離されていきました。
もともといい加減な成り立ちで始まった派遣業ですから、ハコとの契約をプロテクトするきちんとしたシステムなどありません。
店側にしてみれば、自社の専属で雇った方が効率が良いのは当たり前だし、DJだってピンハネされずに働ければそれにこしたことはありません。
特にDJ成り立てのような若者には、店には寿命があるということを経験知として持っていませんから、一本立ちしてメインDJになることで一人前になったと勘違いするヤツもいたわけです。(店が潰れたらおしまいってことなんですけどね)
特に時代も第二次ディスコブーム真っ只中ですから、1年にも満たないヤツらがこぞって足抜け(笑)していきました。

ハコを多く抱えているということは失業してもすぐに別のハコに入れてくれるという保険のようなもので、だからこそ皆ピンハネに甘んじているわけで、でなければ誰だって自分の稼ぎを横取りされて我慢するわけがありませんね。
エスメラルダはジュリーこと昇ちゃんの顔が業界でかなりの力を持っていたことと、後に続いた後輩の資質に恵まれたことが勢力拡大に成功した理由でしょう。
さらに起業志向が高かったので、当初からシステマティックに動いたことが人材の育成もスムーズに行えた理由と言えます。
同時代の同業者は、数人の見習いや弟子のような者を従えてハコを仕切るという個人営業がほとんどでしたから、新人DJが食い込むチャンスが少なかったこともエスメラルダに人が集まって来た理由だったと思います。

そんな流れの中で委員長の高円寺亀屋マンション・グループはさすがに委員長に従順でしたから、足抜けこそしませんでしたが皆ヒロシとは対立して不満を持っていたことも確かでした。
このヒロシもゴミ仲間としては中々根性のあるヤツでした。
中卒の彼は仙台のカラオケスナックで司会を始め、そこでオーナーに見込まれてディスコDJになり、たまたまプロモーションで訪れたジュリーに声をかけられたのを契機として上京、ワンプラスワンに就職したものの本体が傾き、エスメラルダ設立と同時に営業に回されたという波乱万丈なヤツでした。
それでもコイツは成り上がりには異常な執着心があり、しばらくはDJにも未練があったようでしたが、事務所を原宿に移した後はそれはもう大変な活躍でハコ取りと売上向上に執念を燃やしていました。
無学歴な自分がのし上がる道はこれしかないと思ったのでしょう。ヤツもヤツなりの夢を見ていたんですね。ハングリー精神という面ではエスメラルダでは一番だったと思います。

それに比べ、このころの委員長は夢も希望もなく、毎日毎日バカなことをすることで憂さを晴らすような自堕落な生活を続けていました。(壊れちゃったねぇ~)
夜遊びに出ない日は高田馬場の雀荘で徹マン、日曜日は後楽園へ競馬、あとはシンジのアパートやユウジのアパートへ行ってバンド結成の夢物語を聞かせては悦に入るというようなどーしょうもない大馬鹿野郎生活の繰り返しでした。
この頃の委員長は道楽者ではなく、まさしく単なる極つぶしに成り下がっていました。
仕事こそしてはいましたが、あいかわらず生活の面倒はすべて彼女のC子任せで、稼いだ金は博打と軍団を引き連れてお山の大将大盤振る舞い、まったく手の付けられない乱行振りでした。

目的もなくただ遊んでいるのですから楽しいに決まっているわけで、一人になって不安が募るとさらに遊んでごまかすみたいな暮らしでした。
さすがにこの年の夏が終わる頃にはC子もいい加減愛想がつき始めたのか、家を開ける日も出てくるようになり、無言電話が増えたりしました。(男が出来たのかぁ?)
当時C子の親友にクラブ歌手10年というツワモノがいて、その彼女の生き方に共鳴を受けたのかC子もまた破天荒な生活にはまり込んで行ったのです。
音楽大学の1年の休学もそのままズルズルとけじめの無いまま退学してしまい、早い時間の仕事もコンパニオンからクラブホステスに移り、深夜の「同期」の仕事もそのまま続けると云った具合に水商売に完璧に浸かりきっていました。

お互いに部屋に戻るのは夜明け近くで、そのまま夕方まで寝ていて起きれば仕事、というような生活でしたから、顔は会わすものの会話も次第に少なくなり、自然二人の関係も殺伐となっていったのでした。
結局この年の夏はこんな調子でバカ騒ぎを繰り返えすばかりの毎日を過ごし、何の進展も進歩も得ぬまま秋を迎えました。
そうこうしているうちにいよいよ日拓グループの六本木進出が具体的に動き出し、高田馬場も慌しくなっていきました。
六本木の新店舗に合わせて新しい従業員の募集が行われ、オープンまでの間は高田馬場リチャード三世で研修を行うということになり急に従業員が倍になりました。

入社してきたのは元々六本木で働いていたヤツばかりで、学生街の高田馬場とは肌が合うはずも無く、仕事が終われば新宿だ六本木だ、と結局委員長も水を得た魚のようになってしまいバカ騒ぎに一段と拍車がかかりました。
エスメラルダの連中も六本木のハコ取りは初めてですから若手DJ達も狙ってきます。
益々調子に乗る委員長でしたが、ここで日拓グループの内紛が起こりました。
以前、高田馬場リチャード三世の階上にあったチェーン店パブに勤めていた一団が、吉祥寺にオープンしたディスコにハコで動いたことがありました。
残念ながらこの店はパッとせぬままオーナーに売却されてしまい、結局この一団はまた高田馬場に戻ってくることになったのでした。
もちろん六本木進出に合わせて出戻りしてきたわけですが、この経緯を知る当時のリチャードの店長は彼らの六本木行きを阻止しようとグループ内の人脈に働きかけたのでした。

リチャードの菊○店長は日拓グループで苦節5年目にして、ようやく手にした六本木デビューですから何としても自分の城を築きたかったわけです。
それにはまず、この水商売全とした一団を何とかして排除しなくては将来の自分の立場も危うくなってしまいます。
ところがこの一団のリーダー格のK氏が同社の企画部長と仲が良かったため、人事の決定はかなり長引きました。
菊○店長は宮城県出身の真面目だけが取り得のような人でしたから、イメージ的には六本木のディスコはイマイチでした。
片やK氏は水商売バリバリのタイプでしたから、企画部長も彼を押すのは無理からぬことと云えます。ただ、吉祥寺ハコ取りの一件があるので店長の候補からは外れていました。

エスメラルダは菊○店長との長い付き合いもあるし、自分が店長の座を取るとなれば手足となって動くスタッフはできるだけ身内から連れて行くのは当たり前ですから、DJについてもエスメラルダとの契約は間違いないものでありました。
また、菊○店長と委員長の関係も良好だったので、最悪の場合でも委員長は必ず推薦して入店させるということが約束されていました。
そんな人事を巡る社内の駆け引きが粛々と行われているある日、K氏が数名のDJを連れてリチャードにやって来ました。
オーディションということで三人のDJがサラを回しにやって来たのです。
サーファーファッションの小太りおかっぱ頭、目だけがやたらギョロギョロした老け顔のおっさん、予備校生のようなボク、といった三人でした。
委員長とは皆初対面でした。

早速、菊○店長に尋ねると、どうやらK氏が企画部長に進言して連れてきたようでした。
高田馬場と六本木は違うからDJもそれなりの人材を連れてこなければダメだというようなことでした。
少なくとも18歳からこの年までこの道でメシを食ってきた委員長は、この田舎者の水商売かぶれしたK氏の態度にかなりムカつきましたが、まだ店もオープンする前からトラブルを起こしてはそれこそ皆に迷惑が掛かると思い、湧き上がる怒りをぐっと呑み込みました。
そしてこの因縁は菊○店長対K氏の代理戦争として六本木へと持ち込まれていくことになります。





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最終更新日  2005年11月03日 06時55分42秒
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