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カテゴリ:1981年頃のディスコのお話
究極のDJバンド結成。 船頭ばかりの船に乗り込んだ人生の吹き溜まりに集う馬鹿者達は、それぞれが思い思いの夢を描きながらも、そのくせ自分では何一つコトを起こそうとせず、集まってきたヤツの誰かにもたれかかるというような典型的な他力本願道楽者根性丸出しの集まりでした。 飽きもせず毎晩語られるスーパー・バンドの夢物語はこの上ない非生産活動であり、皆のイマジネーションは異次元の世界へと飛翔し、それは単なる現実逃避にも近い行為でもありました。 そんなバカっ話をしてる暇があるのなら何ぞ楽器の練習でもしろと言いたいところです。道楽者とはいえ、夜な夜な集まってコツコツと練習でもしていればまだ見所もあるのですが、なんせ全員が揃いも揃って自分以外は皆脇役だと思っていますから、地道な努力はしたくないが早くビッグになって大金持ちにはなりたいなんぞとムシの良い夢ばかりを見ているやつらでしかありませんでした。(こんなですから、もうすでに結果は見えてますね) 究極のDJバンド結成で盛り上がった割には、メンバーそれぞれは休みになるとサーフィンに出かけたり、店でナンパしたおねーちゃんとデートしたり、リーダーの委員長でさえ朝まで麻雀で家賃を稼いだりと、言ってることとやってることはてんでバラバラ、誰一人として何一つ実現に向けてコトを起こそうとはしません。 つまりバンドをやるってことだけで気分はもうバンドマンみたいなことで満足しているのが実情で、お互い顔を合わせれば自分の都合の良い夢物語を語るだけの、確かに究極のバンドごっこでした。(夢のおかずってとこですか) しかし想像しただけでも妙なバンドですよね。 おサルのドラマーに長髪ヘビメタ系ギタリストとヴォーカル、50‘s風ロッカーのベースマンとフォークギターを抱えたサーファー、これにちょっと歳喰ったお水系パーカションのリーダー、更に極めつけはソウルダンサーズ付き、ってどうにもまとめようがありません。 これでどんな音楽を演奏しようと言うのでしょうか。 それでも話だけ聞いていれば、CHICのようなタイトなディスコものにドゥビー系のアメリカンロックを混ぜて、ミーハーうけのためのレイジーを入れ、時には50‘sのロックンロール・クラシックなども塗して、ミュージカルスタイルの踊り付オールマイティ・バンドで一気にインターナショナルを目指す!ってここまでくればお笑いバンドにもなりません。 挙句の果ては、一山当てたらプロデューサーになって新人を育てるなんぞとノタマウ始末です。(頭痛くなっちゃうでしょ) 一度も演奏を始めもせずに、次から次へとバンド・ストーリーがどんどん出来上がっていくのですからまったく手が付けられません。 バンド名を考えようと誰かが言い出せば、夜が明けるまで話しに花開きます。 「オレ昔から考えてたことがあってさ、次郎長バンドなんてどうだろ」 「次郎長? ってあの清水の次郎長のこと?」 「ああ、リーダーが次郎長で、メンバーに皆一家の名前を付けてさ、大政、小政に森の石松とかさ、面白くない?」 「う~ん、ってことはオレが次郎長で、シンジが大政、ユウジが小政、モンチが石松か?」 「ロニー、それならヤスオも入れてやろうよ」 「ヤスオかぁ、あいつは喧嘩っ早いからさしずめ桶屋の鬼吉だな」 ぎゃはははー。 誰も見たくないですねそんなバンドは。 三度笠でも被ってステージに登場するのでしょうか。 「昔さぁ、ジミヘンがさ、ウッドストックでアメリカ国家弾きましたよね、ソロで。だからボクは君が代をやったら面白いと思うんですよね」 「バカ、そんなことしたら右翼に殺されちまうぞ」 「ダメですかぁ」 「いや、オレのダチに右翼の街宣車運転してるヤツがいるから聞いてみるよ。なんなら右翼の親衛隊でも付けちゃおか」 「お前ね、そんなことしたら一般市民が怖がって見に来なくなっちゃうだろ」 「じゃあ、荒城の月とかはどうですか」 「おまえ暗い奴っちゃなあ。」 とまあ、そんな呑気な道楽者ドリームで毎晩盛り上がっている頃、現実はしっかりと馬鹿者達の周りをしっかりと包囲し始めていたのですが、嫌なことは出来るだけ「見ざる、聞かざる、言わざる」で先送りしてしまうお調子者たちですから、今が楽しければ良いと残り少ない欲望の時を過ごしていたのでした。 そしてこの頃の港荘軍団がよく溜まり場にしていたのが原宿にあった「Oh!God」というお店でした。 当時は未だプールバーなんてものが出始める前でしたから、時代の先駆け、ちょっとした流行の先端を行っているお店でした。隣は「ZEST」というちょっと落ち着いた店で、ここにもポケット台が置いてあり、遊び人の隠れ家みたいな感じの2店でした。 もちろん遊びはエイトボールです。 後のプールバー・ブームの火付け役であるナインボールが流行ったのは映画「ハスラー2」の影響ですね。普通、不良の遊びはポケットならエイトボールが定番でした。 ハスラーの世界もかなり奥行きのある世界で、3クッション三つ球なんてのは頭と技術をフルに使う高等な博打だと思います。 地味なところでは四つ球ですが、派手に玉を落とすポケットの快感を一度味わったらやっぱり病み付きになりますね。 ポケットはストレートボールさえ打てれば誰にでも簡単に遊べますから、その後のブームは当たり前だったような気がします。 さらにホールでは映画上映もあって、昔の洋画を見終わる頃には夜が明けてちょうど良い時間でした。 やっぱり生産性のない「遊び」ほど本当に楽しいものはありません。 時間と金さえあったら毎晩でもこうして夜の街をぶらぶらと遊んでいたいという誘惑に駆られる道楽者軍団でした。 さて、いくらそんなバカ騒ぎをしてはみたところで、重く圧し掛かってくる将来への不安が解消されるわけもなく、束の間のお遊びの後はきまって虚しさが襲ってくるというパターンを繰り返す委員長でした。 まあ、他愛も無いそんなバンドごっこで現実と向き合うことをなんとかごまかしていたわけです。 ところがそんなバンドごっこの最中に委員長はある一枚のレコードと出会いました。 それはユウジのレコードコレクションの中にあったエルトン・ジョンのベストアルバムの中の一曲でした。 ある晩仕事を終えて部屋に戻るとその日は珍しくユウジとナオの二人しかおらず、彼らは大人しくレコードを聴いていました。 シンプルなピアノに軽いタッチの歌が委員長の感性を刺激しました。 「あー、さわやかな恋がしたいなぁ」 ユウジの溜息交じりの独り言です。 「何がさわやかだよ、漫画みたいな顔して」 そう言って委員長が部屋に入ると驚いたユウジは悪びれた様子もなく口を尖らせました。 「何言ってんですかロニーさん、男はこういう純情さを忘れたらいけないんですよ」 「ところでこの曲は何?」 「知らないんすか、エルトン・ジョンですよ。あれっ、ひょっとしてロニーさんもさわやかな恋に目ざめちゃったかな」 「ふざけんじゃねぇよ。でもちょっとこの感じ良いよな。それこの曲どっかで聴いたことあるなぁ」 それはエルトン・ジョンの名曲「YOUR SONG」でした。 レコードジャケットのタイトルを見て謎が解けた委員長。 「おっ、この曲だったのかぁ、アル・ジャロウが唄ってたのは」 「えっ、アル・ジャロウですか」 「ああ、ビリー・ポールも演ってるぜ」 「でもこれがオリジナルですよ」 そりゃそうです。ソウル馬鹿一筋で来た委員長ですから、さすがにエルトン・ジョンまでは知るはずがありませんでした。 そしてこの一曲が委員長の人生へのケジメのきっかけとなったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年11月29日 06時49分44秒
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