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2005年12月02日
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ブランド・スニーカーの闇ルート輸入販売。
なんだか不良好みの興奮する響きのある言葉です。
といっても一人10万ずつ出して50万程度の商売ですが、当時のブランド品としては仕入れ代金の5倍以上の価格が付いた商品ですから、うまく右左に売りぬけ出来れば結構な儲けになることは間違いありませんでした。
ただ問題は、サイズと種類が揃わないということで、まとめて業者に卸すほどの商売ではないので、各自が売り歩かなくてはなりません。

悪ガキ仲間のSと委員長が目を付けたのはディスコの客に売る、というクローズドなマーケット販売でした。(そんな大そうなもんやないやろ)
デパートで買えば1万4~5千円するスニーカーが半額程度で買えるとならば、飛ぶように売れるだろうことは容易に想像がつきます。
しかもDJや黒服連中の横の繋がりをうまく利用すれば更に販路は広がります。
「お前には特別6千円で売ってやるから、後は好きな値段で売れよ」みたいなことで商談が成立すれば、ブツを動かすだけで利益を生みます。
まあ、道楽者らしい非常にイージーなモンキービジネスといったところでしょうか。

ということで商品仕入れに行ったSが2週間後に韓国から持ち帰ってきた商品は段ボール箱に詰めこまれ、Sが当時働いていた浅草の輸入業者の事務所に一旦搬入されました。
Sからの電話でいそいそと出張っていった委員長は、早速ハコの中から適当に選び出したスニーカーをズタ袋に詰め込んで、先ずは見本を赤坂シンデレラに持ち帰りました。
さすがにナイキとコンバースのバスケットシューズはあっという間に従業員に売れましたが、中にはジョギングシューズやテニスシューズなど、当時まだ新しいジャンルの商品も紛れ込んでおり、きちんとした市場調査も行わずにいきなり商品を仕入れてしまった無謀さは売れ筋が完売した頃に明らかとなってきました。
更に女性用サイズや男性用の大型サイズなど、こちらから相手を見つけて売りに行かなければならないような半端モノも出てきてしまいました。

Sは仕入れ担当、委員長以下ディスコ組が販売担当という分担でしたが、商品によってはまず販売不可能のようなモノも入っており、結局のところ大半が在庫を残したままお手上げとなってしまいました。
さあ、こうなってくると人間誰しも損はしたくないし、誰かに尻拭いをさせようということになるのが定石です。

「ロニー、騙されたんじゃないの?」

今○支配人はSを疑い始めます。

「まあ、せめて元が取れれば損はないから、それで良いんじゃない」と店長の二郎さん。

騙すも何もSだって出資してますから、損が出れば皆でリスクを背負うのは当たり前なのですが、今○支配人はどうも納得がいかないようで屁理屈をこね出します。

「Sってのが家族で韓国に行きたいために絵図書いたんじゃないの」

少なくとも委員長たちよりはカタギの暮らしをしているSですから、そんなくだらないことでこんな手の込んだことをするはずがありません。
現に韓国で仕入れに当たったSは、その時に横流し商品の乏しさに自ら落胆し、いっそのこと手ぶらで戻ろうかとも考えたようでしたが、手始めの仕事が空振りでは皆に申し訳ないということで別の地区にある工場へも実費を使って回り買出しをしてきたとのことでもありました。

エスメラルダでの経験が全く生かされていない委員長の行動は、自分でも情けなくなるほど軽率で軽薄でした。
こうなったら自分でケジメをつけるしかありません。
まずはSの家に行き、売り上げた現金は皆に戻すが、不足分は現物で埋め合わせしてもらうことを了承してもらい、二郎さんには全額現金で返済、今○支配人には半額と現物、Sには全額返金して、残りは全て委員長が商品を引き取ることでなんとか納めました。

元はと言えば委員長が巻き込んだ二郎さんと今○さんですから、こっちは全て委員長が片付けるのは当然です。更に妻子持ちのSに現金で負担をかけさせたのでは、幼馴染として面目が立ちませんから、この分は委員長の金で精算しました。
今○支配人は独り者だし、元々のお調子者ですからここはひとつ半額で泣いてもらうことにしました。(やれやれ、またしても空回りして余計な穴を開けてしまいました)
まあ本音で言えば、こんな金額一晩二晩麻雀打てばチャラなんですけど、取り敢えずはみなの手前自分だけが割り喰ったような恰好をつけた委員長でした。
ちなみにこの悪ガキ仲間のSですが、現在青山に事務所を構えログハウスの注文建築を取り扱う会社の社長に納まっています。http://belle-wood.com/

赤坂港荘三畳の間は楽器の他にあらたにスニーカーの山で埋まりました。
開き直ると度胸の据わる道楽者ですから、「ロニーが靴屋を始めた」のニュースに集まってきたゴミ野郎達に早速お裾ワケです。

「おまえら好きなモノ持ってっていいぞ」

スニーカーの山に群がるアホタレどもは我先に好みのブツを手に取って吟味します。

「ただし、一人一足は売ってもらうからな」

委員長の一言で全員が手に取ったスニーカーを恐る恐る靴の山に戻しました。
情けないヤッちゃのう。

「良いよもう、わかったヨ。好きなもの持ってけよ。チキショー、持ってけ泥棒!」

相変わらずの気前の良さで、シンジの彼女とか戦友のシゲル、更にシゲルの弟とかまでも自分と縁のあるヤツらに全て無料奉仕の大盤振る舞いでした。
しかし、「ロニーの靴屋」は業界でちょっとした噂になり、結構ウケましたね。
ロニーらしいなって。DJと靴屋の接点が飛びすぎていて面白かったのでしょうか。
突飛でもないことやりだすその行動性が高く評価されました。(そうなの?)

ということでロニーのDJバンドのメンバーは全員ナイキかコンバースのスニーカーを履くことになり、ファッション的にはちょっと進んだ感じでした。(借金ばかりが増えただけだろ)

しかし何か騒動が起これば連鎖反応のように次々と新手の騒動も起こってくるのが世の常です。スニーカー騒動の真っ只中、あのヒロシが再び登場してきました。
ヒロシは持ち前の成り上がり根性でこの数ヶ月間広告代理店の営業に没頭し、小さな会社でしたが営業成績第一位を達成し、社長からも相当な期待をかけられるほどの営業マンになっていました。

「ロニーも一緒にやらない?」

赤坂シンデレラにやって来たヒロシは開口一番自信たっぷりに委員長に尋ねました。

「今、ボク手取りいくら貰ってるかわかる?」

「興味ねぇよ」

あまりにもあっさりした答えにがっかりしたヒロシですが、要はエスメラルダへの復讐に執念を燃やすヒロシが恰好をつけに来ただけのことでした。

「ロニー、一緒にやろうよ。広告代理店のノウハウはバッチリ掴んだから、後は独立して自分達で営業に回れば絶対儲かるって」

「なあヒロシ、オレはさ、今更カタギの仕事でどうこうしようなんてこれっぽっちも思っちゃいないし、オレはオレの生き方で行くしかないんだよ」

「そうかなぁ、ロニーだったら良い金稼げると思うけどな」

スニーカー販売のツケで痛い思いをしているだけに、自分は商売に向いていないことは明らかですし、このヒロシの駆け足のようなやり方はいずれ破綻することも漠然ながら直感していました。

「ところでロニー、成田のハコ空いてるんだけど誰かいない?」

「なんだお前まだそんなことやってんのか」

「自分が築いてきたものをそうは簡単に失くしたくはないですからね」

とそのとき見習いのナオのことが頭をよぎりました。

「新人でもよければ一人居るけど使ってみるか?」

新宿シンデレラで見習いを続けていたナオですが、収入もなくブラブラしているのは可哀想ですから都下とはいえ仕事があれば助かるだろうとお世話を焼いた委員長でした。
話は即決、ナオも取り急ぎ金になる仕事ですから断るはずもありません。
しばらくは辛抱して金溜めて帰って来いよ、と送り出しました。
ということで、ここでバンドごっこは一時中断して、まずはそれぞれの生活を落ち着かせようということになりました。

ナオの成田アストロハウス派遣にからんでヒロシが赤坂に頻繁に訪れるようになり、委員長の取り巻き相手に甘言を使っては何かを企んでいるヒロシでしたが、やはり日頃の行いというかエスメラルダ時代の彼の行動を知っている者は誰も話には乗りませんでした。

「ロニー、ボクは近日中に独立して自分で広告代理店の事務所を出すから、一緒にやろうよ」(未だ言ってます)

「おまえ今の会社だって一年も働いてないじゃないか。それで独立するってのはいくらなんでも話が急過ぎやしないか」

「今の社長にもそう言われているんですけど、どうしてもやりたいんですよ。そしてなんとか一刻も早くジュリーを見返してやりたいんです」

「お前も執念深いね。もういい加減に忘れろよ。そんなことに拘っていたらロクなことにならないぞ」

ちなみに翌年、ヒロシは独立して巣鴨に事務所を出しましたが、委員長の直感どおりその後のヒロシは坂を転がる石のように奈落の底へと落ち込んでいくことになったのです。





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最終更新日  2005年12月02日 06時52分36秒
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