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非生産活動推進委員会

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どーらく者のお話

2005年05月19日
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カテゴリ:どーらく者のお話
元来、道楽者は型にはめられることをコトの他嫌います。
道楽者は幼少の頃から協調性や集団行動にやや欠ける性質を持っています。
まず、幼稚園のお遊戯やお歌のおケイコなどで回りに合わせられずフザケだし、将来の道楽者の片鱗を見せます。小学校に上がると、授業中にテレビのバカなギャグを連発したりして、皆にウケる快感に目覚め始めます。中学に上がる頃には、ちょっとオマセな恋愛ドラマの登場人物に成りきったりして自己顕示欲が芽生えだします。高校生の頃になると、もう完全に異性を意識した思い切った行動に出始めます。とにかく人と違ったこと、一歩でも二歩でも先を行きたい衝動に突き動かされ、自己顕示欲共々その行動はエスカレートしていきますが、ここら辺で道楽者とやくざ者の道が決まっていきます。バイオレンスなどの行動に走り始め、学校をクビになっていくようなバカと、適当に教師のご機嫌を伺いながらもお調子者を続けるバカのどちらかに進路が決まっていきます。
最近では学校に行かず、家に立てこもって我道を行くような子供も増えているようですが、今時の学校なんぞはどのみち何の役にも立ちませんから、できるだけ早く身近にいる道楽者を探して一緒に遊ぶようにしましょう。

こんなデタラメな今のニッポンを再生できるのは道楽者しかおりません。

ということで、右へ倣えで、無理やり全員を型にはめようとしてきたこの国の実態を、皆でしっかり見極め、健全な道楽者をどんどん増やしていくことが、ニッポン救済の唯一の道です。つまり、道楽者になることこそが、世間にはびこる大嘘や、悪意を持つバカを、自分自身の目で見極め、かけがえのない自分の人生を生き抜く能力を養う方法なのです。
そうです、これが人類究極の最終戦争「バカ対バカ」の戦いに挑む、道楽者の平和の戦い「ジハード」聖戦なのです。

では、過去皆が騙されてきた「大嘘」を検証してみましょう。

○洋食屋で使うナイフとフォークの正式な使い方。ライス(御飯)はフォークの背に乗せて食べるのが正式なマナーである。
一体誰が言い始めたことなのか、何十年も信じて疑わなかったニッポン人。
ナイフ&フォークの文化圏では炊いた米を主食として食べる習慣はないし、よしんばメニューにのったとしてもスプーンを使って食べます。
あたりまえですね。誰が考えたってスプーンを使えば良いものを、わざわざ食べにくい方法をマナーにするわけありません。
チョット考えればすぐわかりそうなものですが、誰が広めたんでしょう。
ちなみにアジア圏ではフィリッピンなどフォーク&ナイフ文化もありますが、これはスペイン文化から持ち込まれたものでしょう。もちろん米を主食としますが、ちゃんと彼らなりに知恵を使った加工が施されています。スープと米(御飯)が一緒に食べやすいように、ナイフの代わりにスプーンが使われていますね。セットアップは左にフォーク、右にスプーンが置かれ、通常、ナイフは使いません。なお、アジア圏全般で伝統的なスタイルは、素手で食べる、手づかみが正統なマナーです。箸を正式なマナーとするのは中国、韓国、日本くらいです。

○バーボンウィスキーの本場アメリカ南部ではバーボンはストレートでしか飲まない。日本では水割りやオンザロックで飲むが、それはバーボンの正式な飲み方ではない。
西部劇の影響か、バカなノーガキを偉そうに流布したおかげで、急性アルコール中毒で倒れた人も数知れません。更に南部人はバーボンしか飲まないみたいなことも言われましたが、別に南部人に限らずどこの州へ言っても1ブランドなんてことはありえません。
どだい酒なんてものはどーやって呑もうが本人の勝手だし、だいいち、日本人とアメリカ人の体質の違いも考えずに、「型」を押し付けることで権威を示そうというところが浅薄です。

○男はクラブでカクテルは飲まない。ロックやストレートが男らしいとでも言うのでしょうか?バーで金を払って何を呑もうが大きなお世話で、ウィスキーだから男らしいとか、リキュールだから女々しいとか、酔っ払って暴れたらお世話になる場所は皆一緒で、トイレか檻の中です。米国黒人などは2メートル以上もある大男でさえ、ジンフィーズを注文したり、アップルワインなどを注文するし、白人だって数集まって飲み比べが始まれば「カミカゼ」などという強烈なカクテルで自爆したりします。男らしさを酒のブランドで見せようなどとは、逆に女々しい姑息な手段とも言えます。

○ロックンロールとはフィフティーズ’50’sのことを指す。
ROCKはアメリカ文化の代表的な音楽ジャンルです。もちろんヨーロッパ系だってありますが、従来の音楽カテゴリーをぶち壊した移民の国ならではのスタイルと言えます。
そんなカテゴリーを日本人が勝手にジャンル別けしてはいけませんね。
「ROCK&ROLL」読んで字の如し、ロックがロールする、GROOVEの最高表現ですね。
チャックベリーもビートルズもローリングストーンズもイーグルスもドゥービーブラザースもマイケルジャクソンもレッドツェッペリンもエリッククラプトンもオーティスレディングもスティービーワンダーもリッチーブラックモアもシンデレラもジミヘンドリックスも、はぁはぁ、疲れた、み~んなRock’nRollなんですね。
便宜上多少のジャンル別けはありますが、聞く側にとっちゃ、プレスリーのロックとマイケルジャクソンのロックがどう違おうが知ったこっちゃないわけで、聴いてハッピーになりゃ良いだけのことですね。

北島三郎とサザンオールスターズほどの違いはありません。

これが正統派ロックだ、とか純正メタルとか、黒人だからSOULだとか、音楽聴くのに何でこんな型にはめられなきゃいけないんでしょうかねぇ。

これが正真正銘の「きんぴらごぼう」の味だ!
なんてものは存在しません。
その土地土地、その家庭家庭で作られる味が、その人にとってのホンモノの「きんぴらごぼう」の味なんですね。

まだまだ挙げればキリがありませんが、このように一般庶民を威嚇する評論家などというとんでもない奴らと、自らが情報をきちんと処理できないメディアの作り出す、くだらない権威主義が自由な精神性に基づいて生きる道楽者を社会から排除し、一般大衆を馬鹿にしているのです。
さあ皆さん、目を覚まして一緒に道楽者の道を歩みましょう。






最終更新日  2005年05月19日 14時32分06秒
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2005年05月18日
カテゴリ:どーらく者のお話
あたりまえのことですが、まず原則として、道楽者はくだらないことや、ばからしいことが大好きです。いわゆる一般的普通人が、「こいつバカじゃねーの」とか「どーしてそんなもんに一生懸命になれるんだろ」とか指摘する人物は間違いなく道楽者です。

若年層はファッション自体ですでに道楽者をアピールしているので、比較的見分けやすいのですが、中年あたりになると普段は単なるオッサンやオバハンの着ぐるみを被り、善良な市民のフリをしているので注意が必要です。
そういった怪しそうなジーさんやバーさんに遭遇した場合は慌てず、会話の中にさりげなく昔の道楽者アイテムを散りばめながら反応を見てみましょう。

「あのぉ、私ぃ、最近クラブによく行くんですけどぉ、昔はクラブのことディスコって呼んでたんすかぁ~」

などと尋ねてみて、妙に会話のノリが良くなってきたならまず間違いありません。
現在40代~50代の中年層は概ねディスコの洗礼を受けていますので、相手の口から当時の店名やヒット曲名が出てきたり、調子に乗って「湘南~サーフィン」の話などが出てきたりしたら、道楽者ひとりゲットです。

ただし、ここで間違ってはならないのは、道楽者はオタクではありませんので、あまりマニアックな話になり始めたら気をつけましょう。
よく、オタクと道楽者は混同されがちですが、基本的に道楽者の方がモノへの凝り方や、こだわり方が淡白ですので、あまりひとつのアイテムに執着するような場合は、ちょっと疑ってみる必要があります。

アイテムのディティールにあまり深く入り込んでいくようなタイプの場合、往々にしてオタク系やストーカー系が多いので、すぐに話題を身近な話に切り替えて話の腰を折りましょう。
基本的に道楽者は、異性にモテたい、気を引きたい、というような単純かつ不純な動機だけが機動力になっていますから、アイテムの中味についてはさほどこだわりなく、広く浅く要領が良い、という点に留意して下さい。

また逆に、昔の話を引き合いに出して説教などを始めだしたら、これも大変危険です。
そーゆー人は、ごくまっとうな人生を歩んでこられたフツーの単なるオッちゃん、オバちゃんですから、時代の流れすら読み取る能力もありませんので、早々に会話を切り上げてさっさと退散しましょう。
仮に相手がお金持ちだったりしたら、せめて御飯くらいはご馳走になるのも悪くはありませんが、つまらない冗談に愛想笑いしたり、つまらない人生訓などに相槌を打って付き合う忍耐力と、まんざらでもない顔をしながら平気で御飯をおいしくいただく面の皮の厚さが要求されます。
あとで顔全体の筋肉が疲労して顔面神経痛などにならぬよう、就寝前にお風呂でゆっくりとマッサージなどを施すと良いでしょう。

さて、最後に道楽者の特徴ですが、最近は趣味の範囲が多様化してきているので、一目で見破れるほど道楽者も単純ではなくなってきています。
ですから、一概に以下のパターンに当てはまらない場合もありますので御了承下さい。

○バンドマンが多い。*ミュージシャンではありません。バンドマンです。常に道楽者は仲間で群れたがる性質があり、特に「バンド」という言葉に弱いので、同じ趣向の人たちといると安心します。特に中年層に多いのが特徴です。

○調子コクと道の上で踊りたがる。*40代以降の層は、興が乗ってくると必ず道の上で踊りたがります。特に原宿あたりでは輪になって踊ったり、「ギバちゃんに似てる」などと声をかけてあげると更に興奮します。

○スケボーを見るとはしゃぐ。*テクについて語り始めたら黙って聞いてあげましょう。

○スナックのカウンターの上に乗りたがる。*別名カウンターサーフィンとも呼ばれ、カウンターをボードに見立てライディング・ジェスチャーと解説が入ります。

○時々危ない友達が尋ねてくる。*どー見ても玄人ぽい人が時々尋ねてきたり、レゲエ風の爺さんが友達にいたりする。

○カラオケに行くとやたら英語の歌を歌いたがる。*しかし選曲がやたらと古い。テネシーワルツとかプレスリーだったらかなり年季の入った道楽者だ。ビートルズやストーズ、更にグループサウンズなども含まれるが、突然、平井とか福山とかを歌い出すのも特徴だ。親爺のくせに結構新し目も知っている。

○自分のことをオヤジと言いながら謙遜するが、内心まだまだ行けると信じているので、ファッションや芸能ニュースなどの話題もしっかり予習している。

○改造車の話になると目の色が変わってくる。*チューンの内容に歴史が感じられたら、まず間違いない!

さあ、あなたの隣にいる道楽者を見つけてお友達になりましょう。
道楽者は人生の達観者です。何でも相談して心を癒して下さい。
ただし相手が異性の場合は、年齢差に関係なくまだまだ行けると思っていますので注意しましょう。






最終更新日  2005年05月18日 17時00分20秒
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2005年05月17日
カテゴリ:どーらく者のお話
道楽者もやくざ者も共にアウトローですが、社会でのポジションはまったく
違います。
まず道楽者はOUT OF LAWな行為をたまはにしますが、存在自体はLAWの範囲
内です。
比べてやくざ者は、その存在自体を自ら法律外に位置付けています。

「俺たちゃぁなぁ、天下の裏街道を歩く身分なんだぞぉ。言わば天下の嫌われ
者だぁ」

座頭市のおっさんもこう語っているように、明らかに体制から逸脱した存在で
あることを自ら認めています。
そこへいくと道楽者は、貧富の差はあるものの一般人と同じ社会に生息しなが
らも、一般人とは一線を画す、隠れキリシタンのような生活を送っています。
まあ、通常は一般社会の常識や社会通念といったモノサシで測れば、みなひっ
くるめてアウトローということにはなるのですが、道楽者から見た場合、両者
の関係には歴然たる違いがあります。
それは「ハングリーさ」です。
道楽者はうまくメシを食うしたたかさは持っていますが、どんなことをしてで
もメシを喰おうとゆーような根性はありません。
なんせ、道楽者が拠り所とする精神性は「好きなことしてメシを喰う」ですか
ら、メシが食えても嫌いなことはしない、ってのがセオリーです。
反面、ホンモノのアウトローはメシを食うため、のしあがるためなら何でもし
ます。
ここらへんの根性というか、生き様というか、自分の人生への心構えが全く違
います。
ですからやくざ者からは成り上がりが生まれますが、道楽者からはひょうきん
者しか生まれません。
また、著名なタレントやミュージシャンの立身出世物語などを見て、ハングリ
ーな生活に憧れたりしますが、実際にやってみてすぐに根をあげてしまうのも
道楽者の特徴です。
よく考えればわかりそうなものですが、大体ハングリーな生い立ちの人間が、
道楽なんぞにうつつを抜かしている余裕などあるわけがありません。
傍で見ていると一見、彼らは道楽を追及して成功したように映りますが、道楽
は単なるプロセス上のアイテムで、実際彼らの最終目標として追及していたの
は所詮金儲けでしかありませんね。
どだい金儲けと道楽は対極に位置しているわけですから、金持ちになった時点
で道楽は終わっているんですね。じゃあプロセス上の道楽はウソだったのかっ
ていうと、それはそれなりに本当に道楽もやっていたのだと思います。
たまにホンモノの道楽者が凄腕のマネージャーと出会って、道楽と金の両方を
掴むこともありますが、結局は掴んだ金でお互いの好きなことをまた始めるっ
てところでしょうか。
よくいるでしょ。せっかく稼いだ大金をくだらない道楽に突っ込んでスッテン
テンになったヤツとか。あたりまえですね。道楽以外はしてこなかったんだか
ら、一般社会に飛び出して一般人のルールで勝負したら勝てるわけがないんで
すね。
これもよく考えればわかりそうなもんなんですけど、まわりのヤツらもその金
狙ってますからね、いろんなこと言って吐き出させますね。
そんなこともわからないのが道楽者たる所以ですね。
言ってみればまさしく道楽者の鏡ですね。道楽者はすべからくこうありたいも
のです。
だから、道楽者のみなさんは決して金儲けなんぞを目指したりしないようにし
ましょう。
ねずみ講とかルートセールスとか、集まってくるやつ見ると圧倒的に道楽者が
多いですね。気をつけましょう。






最終更新日  2005年05月17日 13時51分06秒
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2005年05月16日
カテゴリ:どーらく者のお話
無駄の生産こそが非生産活動の基本であり、道楽者の究極の遊びです。
コト、遊びに関してはアメリカと言うかアメリカ人というか、USAに住む人たちというべきか、その彼らを語らずして「遊び」の本質には触れることはできません。
とにかくバカらしいものとか、くだらないこととか、一銭にもならない無駄なことをやらせたらアメリカ人に敵う民族はないのではないでしょうか。
今現在、日本において一般的とされる「遊び」のほとんどが輸入加工品ともいえます。そしてそのほとんどが米国から入り込んで来たものと言っても過言ではないでしょう。

第二次大戦後、日本でいう終戦後、とにかく米国からのカルチャーの流入は尋常ではなかったようですし、受け入れる側のニッポン国民も戦勝国のシンボルであるアメリカ文化を手放しに享受したのは想像に難くありません。
なにせ、ギブミー・チョコーレートの世界ですからね。
私くらいの年代は、未だにハーシーズのチョコレートを見ると緊張してキョーツケしてしまいます。
そんなニッポンでまず爆発したのがJAZZですね。
もちろん戦前からJAZZは日本にも入っては来ていましたが、終戦という開放感と、モノが豊富なアメリカのイメージは、ビッグバンド・JAZZに代表される陽気で楽しいビート・インパクトがニッポン人の頭のヒューズを飛ばしてしまったわけです。
しかし、この当時からすでにニッポン人は加工貿易に着手し始めています。
笠置シズ子の「買い物ブギ」とか「ジャングルブギ」とか、凄いですね。
今で言うパクリですが、ただのパクリじゃないところがニッポン人の面目躍如たるところです。
全編関西弁で唄われている「買い物ブギ」のアイディアは、今聞いても斬新です。
やはり関西弁は米語のノリに近いのでしょうか。
しかしまあ、この後続々とアメリカから「遊び」が入ってくるわけですが、これら全てが楽しいことこの上なく、興奮冷めやらぬニッポン人はずっぽりとアメリカ文化の洗礼を受け、その中に埋没していくことになります。
アジア近隣諸国で、ニッポン人のことをバナナと呼ぶようになっていったのはこの頃からですね。
バナナ=外皮は黄色いが中味は白い。(肌は黄色いが中味は白人の意)
言いえて妙。うまいこと言いますね。

でも私らの時代はなんだかんだ言っても、やっぱり憧れのハワイ航路ですからね。
「波乗り」ですよ「波乗り」。そのまんまですから。
サーフィンってな言葉も入ってきてはいたんですけどね。
やっぱりこっちの方がウケがよかったのかなぁ。
これなんぞも道楽者の遊びとしては最高峰に輝くのではないでしょうか。
板で波に乗って「キモチイイー」ってだけですからね。
しかも波が終われば全てが終わる。
そんでもって、遊びは次々とエスカレートしていきますね。
台風の波に乗る、とか、桟橋をくぐるとか、バカですね。一銭にもならないことに命を張る道楽者の真髄がここにあります。
どんどん無駄を生産していきます。
このあたりの道楽的精神性がニッポン人には欠けているのでしょうね。
その代わり、どんな波にも乗ることのできる波乗り板を開発したりしますね。
勤勉ですねニッポン人は。
道楽者のために道具を作る。
バカなことに命を賭けるアメリカ人。
その道具を作る日本人。
この構図は今も続いています。






最終更新日  2005年05月16日 13時55分21秒
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2005年05月15日
カテゴリ:どーらく者のお話
道楽者のどーらくとは、本来人々をシヤワセな気分にさせる遊びでなければ
なりません。
ところがどーも日本という国は形から入る国民性みたいなものがあるせいか、
なんでもルールやパターンにはめたがる傾向があります。
せっかくバカバカしい遊びが生まれても、すぐに生産効率を高めてしまったり、
神聖化したりするものだから創生者の意図とかけ離れたまじめな遊びになって
しまいます。
いわゆるこれがニッポンの得意技とも言える「加工貿易」なのですね。
これは資本主義体制において突出してニッポンの経済発展をもたらした、世界
に誇るニッポンの伝統文化でもありますが、故にパイオニアとしての道楽者を
排出できない最大の理由でもあります。
どこぞの国でちょいと流行のモノが現れると、さーっと出て行って自国に持ち
帰り、研究者が寝食も忘れ、あらゆる角度から吟味し売れる商品に作り変えて
商売に励んでしまう。
洗練された技術者の技が結集された「加工品」は、世界的な品質基準を満たし、
あるいは輸出先の趣向に合わせて更なる改良まで施して生産性を高めてしまい
ます。
ところが、その元にあるべき「遊び」を創作する土壌が日本にはありません。
つまり遊びと名のつくものはすべからく無駄の過剰であり、その無駄の蓄積こ
そが人に与える最高の快感でありますが、そもそも日本人はこの無駄が大嫌い
な民族なのですね。
どーしても道楽者の好きにはさせてくれない。
どうもこれは農耕文化と関係がありそうです。
農耕は季節と密接に結びついていますから、村という集団の生産性は団体行動
でしか成り立ちません。
村人全員号令一致で一斉に種まきをして、村人全員で刈り取らねばならない。
「今日のおいらは気分がいーから、一日歌を歌っていてぇーだ」なんぞといっ
た日には、「ほんなら、おめーは村から出てけぇ!」てなことで、かの有名な
村八分が生まれることになってしまうわけです。
さて、村から追い出された道楽者は、毎日毎日気分の赴くまま好きな歌を歌っ
て暮らすにはどーしたらいいか、思案の果てに思いついたのは日本列島を季節
に乗って旅することだったのですね。
収穫祭で自慢ののどを披露して、お調子者の与太話、祭りの間は食うには困ら
ず遊びっぱなし、盆や正月、祝いの席には声がかかる。
そのうちに道楽者がひとりふたりと集まりだして、これにいつの間にやら凶状
持ちの股旅なぞも加わって、旅から旅の根無し草の浮き草家業。
「河原乞食」「大道芸人」「旅役者」みぃ~んな道楽者のご先祖様です。
しかし生産性を無視した無駄の集団、道楽者は生産活動にとっては無用の存在。
いざとなれば別に「祭り」なんか無くたって誰も困らない。
だから天候不順や不作の年はメシが食えない道楽者。
それでもどーらくで人々をシヤワセな気分にさせるためだけに生きている道楽者。
お祭り野郎は今も生き続けています。
そう、今これを読んでいるあなたも立派なお祭り野郎です。






最終更新日  2005年05月16日 13時51分24秒
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2005年05月14日
カテゴリ:どーらく者のお話
すべてのどーらく者が追い求める究極のドリーム。

それは「好きなことしてメシを喰う」である。

しかし、好きなことをしてメシを喰うということは、あとから莫大な請求書がやってくるということなのだと気づいた時には、もうすでに取り返しのつかないところまで来てしまった自分を悟った時でもある。

こうなったらしかたがない。最後までどーらくを貫くぞ、などと気勢を上げたところで人生が開けるわけでもなく、寄る年波、あとどのくらいのどーらくが出来るだろうかと気張るくらいが関の山。気張りも気負いも、踏ん張りすぎてどこぞが緩んだりして。。。。。

せめてもの救いは、どーらく人生に費やしたバカの数々を振り返り、その世界を語ることで人生の選択肢にはパターンはないのだということを、後に続く道楽者たちに伝えることで勇気を与えることができるということと、バカの遺伝子を次世代に残すことができるということである。

まさにこの種の存続こそが、非生産活動者の究極の目的である。

いつの時代だって、どんな時代だって、人間が住むところ道楽者なくして人の世は成り立たないのだ。

長いものに巻かれず、体制に呑みこまれることなく、人の生き方を見つめ続ける道楽者の血を絶やしてはならないのだ。

どーらく爺に続く若い非生産活動愛好者のみなさん、世の中をハッピーにするのは貴方たちの使命です。
若さは二度やってこない!
思い切って舞い上がって下さい。
後から来る請求書を恐れてはいけません。

「青春」は全ての人間に与えられた、唯一平等の「才能」です。
(ある道楽者の言より)

細木数子さんも言っております。
「出る釘は打たれるけど、出過ぎた釘は打たれない」

中途半端はいけません。とことん行きましょう。
どーコケても私くらいの爺にはなれますから。。。。。

ということで、どーらく爺が費やしたおバカな半生を、これからボツボツと語ってゆくことにしましょう。(フリーページも覗いてね)






最終更新日  2005年05月14日 11時59分39秒
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2005年05月13日
カテゴリ:どーらく者のお話
別名「空想癖」とも言われ、ひょっとすると病気の一種かもしれないが、とにかく何の役にも立たず、一銭にもならない想像を膨らませて遊ぶ世界。
しばしば「インナートリップ」などという表現を使い、精神を洗脳するような儀式に用いられたり、悪用されたりする恐れもあるので、常に厳しい精神的自己管理技術が要求される。
一歩間違えると「誇大妄想」のようなヴィジョンを創り出してしまうので、周りの人間が適当なところで現実に引き戻してやる必要がある。
時々誤解されがちだが、精神病や精神疾患から来る幻想とは一線を画すものであり、当事者自身が現実社会からはみ出すことはまず起こりえない。
突然仕事に嫌気がさしたりしたときや上司に怒られているときなどに、高尚な精神が肉体を離れバラ色の世界にワープしてしまう自己治癒能力に近い現象でもある。
なお、この高尚な精神は、描いた空想ストーリーの中で適当な結末が現れると、自動的にもとの肉体に戻って無事社会復帰を果たすことができる。
しかし、ここで気をつけておかねばならないのは、経済社会での生産的思考によるワープは邪悪な精神を拠り所とするため、白日夢現象を誘発し精神が肉体に戻れないこともあるので大変危険である。
「こうしてああして金を儲けて、デッカイ家を建てて、ロールスロイスを買って、銀座で毎晩ハシゴして、おねーちゃん誘って、イッヒッヒ・・・・・・」といった具合に欲望が増幅され脳内覚醒作用が起こると、潜在意識は肉体を現実社会から逃避させるべくいわゆる「うわの空」状態を持続させ、最終的には廃人と化す恐れがあるので注意が必要である。
したがって、描く空想のディテールにあまりにもこだわりすぎると、精神が暗黒面へ引きずり込まれるので、道楽者のお約束として、考えはできるだけ具にも付かないものにしておくことが大切である。
また、想像するヴィジョンにはユーモアやユニークなアイディアが不可欠であり、道楽者同胞の共感を呼ぶことができれば、それはすなわち高尚な精神による「具にもつかない考え」として、また非生産性行為の見本として道楽者の間で語り継がれていくことになるであろう。

<今日のワープ>
日本専売公社を復活させ、国家事業としてマリファナたばこの製造販売を行う。
日本酒と同様に、各地の土壌風土により味も異なるのでブランディングが必要である。
「翔び方」を押さえたハッピー・スモーク・ライト HAPPY SMOKE Light
香りも十分楽しめるピース・グラス PEACE GRASS
東洋の神秘ブッダ・メンソール BUDDAH menthol
北海道原産の最高級枝葉を使用した
スーパーフライ・ライトSUPERFLY Light
などなど。

この国家事業により、悪質な化学生成ドラッグの乱用を抑え込み、無農薬栽培で育まれた純粋な葉っぱが持つ自然の力によって戦争を放棄させ、人類の平和を実現させる。






最終更新日  2005年05月13日 13時03分30秒
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