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非生産活動推進委員会

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1975年頃のディスコのお話

2005年06月29日
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この頃のディスコでもう一軒忘れてはならない店がありました。
赤坂スーパーコップスです。
コップスの呼び名で親しまれた、ちょっと大人っぽくて、ちょっと不良っぽいディスコでした。赤坂見附駅前のファッションビルの2階、一時は赤坂ムゲンと人気を二分したほどの有名な店でもありました。結構ハーフの奴らが溜まり場としていたせいか、雰囲気的には横浜とか横須賀とか港町っぽい感じのするお店でした。
まあ、言ってみれば赤坂だって港町ですから、街自体が持つ雰囲気は似ていたのかも知れませんね。(港区だし、いわゆるウォーターフロントですよね)
そして、ここで店長をしていたのがメビウスでもお馴染みだった二郎さん、支配人が双子の弟五郎さん。後にシンデレラの店長となりました。
委員長は店の想い出そのものより、この二人のことの方が強く印象に残っています。
店に上がる階段の前で店長に会って挨拶して店に入ると、なんともうそこには店長がいるではありませんか。
アレッて、狐に鼻をつままれたって感じが、まさにこれでした。
どうやってここまで一瞬の間に上がってきたのだろう、と不思議な感じでした。
瞬時に動くエレベータかなんかが裏口についてるのかなぁ、なんてね。
よく考えればわかりそうなもんですが、そこはそれ道楽者のバカ野郎ですから(笑)、いうなればマジックショーのトリックなんてのも、こんな先入観を利用しているんですよね。
二人が双子だって知ったのは随分後のことで、その後のシンデレラ時代でも、自分と同じようなトリックに面食らった方も随分とあったのではないでしょうか。
新宿シンデレラで盛り上がって、さあじゃあもう一発赤坂へ行くぞーって、赤坂シンデレラに入ると、そこにはすでに店長がいて「いらっしゃい」って、夢でも見てるんじゃないかって、思いますよね。

このコップスの常連にも委員長の同級生がおりまして、名前はジョン斉藤と言い、黒人と日本人のハーフでした。
ただ、ヤツの場合はSOUL MANというよりはGANG系で、当時はまだ珍しかったキャッツアイなどを仕入れてきて常連に売ったりとか、トルエンやドラッグの密売なんぞの道に入り込んでおりました。テリトリーも結構広く、新宿ハイハ(よーく不良が溜まっていた喫茶店)などにも出入りしてましたが、ある時を境にピタリと姿を消して以降会っていません。
ちなみにヤツは東京京浜地区の出身で、ここら辺の不良はまたちょっと独自な雰囲気を持っていました。

さてV-oneの方は、梅ちゃんがビバヤングに戻され、ワカバヤシ主任が昇格して支配人になり、いよいよ委員長の天下というような様相を見せ始めましたが、ここでちょっとした内紛が勃発してしまいます。
ツトム君、ケン坊の年配組とワカバヤシ支配人が対立、委員長以下アフロ小僧もどっちつかずの三つ巴状態になってしまったのです。
ここでワカバヤシ支配人から委員長は相談を受けました。
このままじゃ、また以前のように従業員が勝手なことをやり出して押さえが利かなくなるから、一気に総入れ替えをしたいと打ち明けられたのでした。
ワカバヤシ支配人とはビバヤング時代からの付き合いでしたから、この人の性格もよく分かっている委員長、自分を信頼してくれているその言葉に渋々ではありましたが、後輩の説得にあたったのでした。
せっかく兄貴分と慕ってくれ、これから道楽を一緒にやっていくつもりであったヒデトやトオルに、クビ切りの宣告をするのは辛いことでしたが、年配組だけを外して若手だけを残すわけにもいきません。
仕方のないことでしたが、結局、バイトのM浦さん(まだいたんですねぇ、この人)と委員長の二人を残して、全員解雇、また一からやり直しです。
区切りの良い1975年12月末日でV-oneのスタッフ総入れ替えが行われたのでした。
委員長はヒデトとトオルを伴って白馬車に出向き、今後の二人のことを皆に相談しました。ダンサー目指すならDJもできた方が良いだろうと、トオルをスキャットのイサムちゃんに、ヒデトを目黒ファンキーホースのジョイ吉野に面倒見てもらうことにしました。

総合企画「ひとやすみ」も出だしは盛り上がったものの、所詮は道楽者の集まりですから、これといった進展もないまま、DJ同士の横のつながりを広げることが精一杯でした。
同時期、全日本ディスコ協会がビクターレコードの後押しで、全国的に加盟店を増やしつつあり、ジュリーのレコード卸業も結局は全国展開する協会に侵食され始めました。
そして、ディスコ協会の名を一気に知らしめたイベント「全国ハッスルコンテスト」が行われたのです。V-oneにも勝本会長、ニック岡井氏が直々にポスターを持って、宣伝にやってきました。
ポスターには、会長タコ(勝本氏のニックネームですね)、エモ(エモリ氏)、ニック(ニック岡井氏)の連名で、各自の顔のイラストが書かれてありました。
今ひとつ記憶がはっきりしないのですが、課題曲はスタイリスティックスの愛がすべて、ミラクルズの双子座の人、エディ・ケンドリックスのキープオントラッキンの3曲だったと思います。踊りもハッスルとトラッキンが指定され、エモリ氏のイラスト入りで踊りが紹介されていました。
大会は各地で予選が行われ、決勝大会は新宿ビッグトゥゲザーだったと思います。
V-oneは新宿地区予選の会場に選ばれ、代表として委員長が踊ることになりました。
このころの委員長は「ひとやすみ」のダンサーとして、すでにアチコチの店のショータイムで幾度か踊っていましたから(決して金取れるような踊りじゃなかったですけどね)、今更アマチュアと一緒に踊れるかい、みたいな生意気コイてバカにしていました。
実際のところ、当時はアフロしてそれなりの衣装着て踊れば、ダンサーとしてそれとなく皆納得したような時代でもありました。見る方にしてみても、比べる基準になるダンサーがいませんから、せいぜいTVのソウルトレインで見たような踊りをしていれば、そんなもんかといった極めていい加減なものでした。
加えて、赤坂のダンスコンテストで一応は業界の裏話みたいなことも耳に挟んでいましたから(耳年増)、どうせ優勝は決まってんだろ、みたいな投げやりな考えもありました。
もちろん練習なんぞするわきゃありません。
委員長の彼女とトオルを連れて3人で出場はしましたが、オチョクリ半分、ふざけて適当に踊りました。どうもツッパリ根性が抜けきらないと言うか、頭押さえつけられるような団体がきらいというか、すぐにこうしてつまらぬ虚勢を張ってしまうのが委員長の悪い癖でもありました。(素直じゃなかったんですね)
とは言うものの、エディ・ケンドリックスのトラッキンは結構ノッってしまい、会場が会場だけにオーバーアクションでイベントをすっかり盛り上げてしまいました。
参加者は、新宿ソウルトレイン代表、GET代表、あとは忘れましたが、どのみち業界の人間だったと思います。審査員には勝本さん、ニックさんなどが来ており、それなりにお店のイベントとしては盛り上がりました。
驚いたのは、参加者がきちんと曲に合わせた振り付けをしていたことでした。
まさかねぇ、本気で優勝狙ってんのか?って感じでした。
このあたりが委員長の生意気と言うか、冷めたところで、頭の中では「どうせ高々ディスコじゃん。どうせ本気になるならテレビとか、もっとデカイ舞台でやろうぜ」みたいな、典型的道楽者思考、実力も無いくせにデカイ山狙うバカだったわけです。
もひとつ、ツッパリ根性でいうと、これで優勝したらディスコ協会の風下に立つことになるじゃん、てなとこでした。もちろん優勝する実力なんて当時は無かったんですけどね。
それでも、優勝トロフィーなんぞを受け取るシーンを想像して、これじゃ頭押さえ込まれたも同然じゃねーか、俺達は対等だぜって、ホント若さって素晴らしいですよね。
まあ、そんな威嚇的な態度が根底にありましたから、おチャラけて審査員の前で突っ張って踊ったりしたわけです。
委員長の彼女がニックさんと親しかったり、勝本さんとも顔見知りだったこともあり、険悪な雰囲気にはなりませんでしたが、まあ、こんなもんかってな感じでした。
ちなみに委員長たちは準優勝か3位だったかな。出場組数から言えば当然でしたけど。
これは主催者側からのお気遣いってことで、会場V-oneの代表ですから社交辞令的なお約束の入賞ですね。もちろん決勝大会への出場権も貰いましたが、出るつもりはサラサラありませんでした。ということで、彼女の顔もあることはありましたが、ここで正式に業界に名乗りを挙げた委員長でした。取りあえず、協会には顔を売ったぜ、みたいな感じでした。まあ、向こうは、殆ど名前も覚えちゃいなかったでしょうが。
委員長にしてみれば、これがディスコ協会との因縁の第一歩だったわけです。






最終更新日  2005年09月22日 12時14分36秒
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2005年06月28日
1975年12月、クリスマスを前にして委員長はまさに絶好調。
V-oneではヒデト、トオルの弟分と暇さえあればダンサーズの稽古に励みました。
加えて、ツトム君、ケン坊の先輩たちからはジ・アザー仕込の昔のステップを伝授され、更にDJエディなきあとディスクジョッキーにもチャレンジといった具合に、委員長の人生はまさにディスコ一色、大変充実した毎日が続いておりました。

ブラザー・カーターともムゲンのショータイム以来すっかり気心の知れたお友達になり、このころにはカタコト英語も随分通じるようになっていました。
この当時カーターと仲の良かったブラザーに、デュースというちょっとした色男がよくつるんで店に来ておりました。
カーターに比べて黒人らしい(?)奴で、ジーンズの上下にスニーカーといった、いかにもその時代らしいファッションのブラザーでした。
このデュース君、中々粋な日本人の彼女がいて、たまにV-oneに連れて来ることもありました。
当時のヨーパンにはインテリ系が多かったのですが、言っちゃ悪いけど正直言って可愛い子ってのは少なかったですね。そりゃいくらヨーパンと言えども、言葉が通じなきゃ恋愛は成立しませんからね、それなりの語学力をもてるだけの素養が必要でした。
中にはやたら色っぽい子もいましたが、ノータリン、ゴホン、いや失礼、そういう子はそれなりの子でした。(意味わかんねーぞ)
委員長も結構インテリだったので、友達として割と長いお付き合いをした娘たちもいました。(インテリかなぁ)
デュースの彼女は今風のキャリアウーマンってな感じで、大人っぽい感じのおとなしそうな娘でした。たまにアフロのかつら被って、デュースとお揃いのジーンズの上下などを着て来ることもありました。
彼女が来るのは必ず遅い時間だったので、委員長は勝手にキャリアウーマンと決め込んでいましたが、その話し方や物腰の柔らかさから、それなりの女性であることは間違いないと思っていました。
そして、デュースは委員長にEarth, Wind & FireのAll about loveって曲をリクエストして、彼女に、モーリス・ホワイトの語りの部分をレコードにかぶせてよく歌ってあげていました。
片や彼女は、デュースと踊るときは必ず、委員長にダウンタウンブギウギバンドの涙のシークレットラブをリクエストしてきました。
(もちろんここでBGMは涙のシークレットラブです)

Secret Love 愛されても溜息ばかりが

Secret Love 思い出さえ誰にも言えず

泣かせますねぇ。
なんだかんだ言っても、当時はまだこの手のお付き合いは壁が厚かったですよね。

当時のV-oneのお楽しみはなんと言っても、12時過ぎのプライベートタイムでした。
お客が一斉に引き始める12時頃から、デュースやカーターの友達がやってきます。
そしてこの時間が過ぎると、支配人の梅ちゃんは売上金を持って本社へ向かいます。
この時間から閉店時間の1時までが、身内だけのプレイタイムでした。
ベースのブラザーたちはカーターの仕事が終わるのを待って、皆で六本木あたりに繰り出すため、V-oneで待ち合わせをします。
時にはパートナーのシスターを連れて来るブラザーもいたりして、多いときには数十名にもなって、ちょいとしたファミリーパーティのようでした。
そんな日はまるでTVのSOUL TRAINの舞台のようで、ホンモノのアフロカルチャーに触れた思いで異常な興奮を覚えました。
そんな夜中のお楽しみ時間、V-oneだけの身内ウケナンバーが、ラベルのフェニックスでした。スローから始まり、ラベルがじっくりと歌い上げていく、オペラのようなつくりのこの曲は、いつのまにかこの時間のメインイベントのようなものとなっていたのでした。
前半のスローパートは、各自がパートナーと抱き合うように踊り、次第にビートアップして最後は感動のダンスナンバーとなっていきます。
なんでこの曲で遊ぶようになったのかはわかりませんが、カーターの仲間が集まってくると、暗黙のうちにこの曲が選ばれ、V-oneスタッフも一緒に一同で踊って盛り上がり、このHAPPYなFEELINGを抱えたまま皆で夜の街に繰り出したのでした。

もうひとつ印象深い曲が、ミラクルズのYOUR LOVEです。
この曲は「双子座の人」のB面にカップリングされていたバラードですが、ミラクルズのとろけるようなファルセットがたまらなく、途中に「語り」が入っていて、ほんのりと甘く、心温まるやさしい曲でした。
これはカーターが、自分の誕生日にベースの仲間を招待してV-oneでパーティをしたときに、友人からリクエストがあってかけたのですが、一同が踊りながらカーターを冷やかしていたのが今でも印象に残っています。
この時のカーターは涙目になってウルウルって感じでちょっと感動的でした。
皆がカーターを呼ぶとき、「カーラー」に聞こえるのが可笑しかったですね。
南部の人が多かったのかなぁ。

この深夜のプライベートタイムでもうひとつ、V-oneの従業員全員が同じ感動を味わったひと時がありました。
それは、もうひとりのDJカーティスの友達が来たときです。
カーティスは根っからのミュージシャンでしたから、友達にもミュージシャンが多く、ある晩彼の友人のトランペッターがやってきたことがありました。
もうお客もほとんどいないがらんとした店内。
カーティスがかなりJAZZっぽいインストもんのスローナンバーをかけました。
委員長はいつもとはちょっと違う雰囲気に興味を引かれ、カーティスに今プレーしているレコードを尋ねると、彼はブースの下のテーブルにいる友人を指して、「ヤツが持ってきたレコードだよ」と言って、FUNK INCのジャケットを見せてくれました。(確かタイトルもFUNK INC.だったと思います)
ジャケットを手にとって見ていた委員長の横で、カーティスの友人は手元においてあった小さなハードケースを開き、おもむろにトランペットを取り出しました。
(コルネットっていうんですか?普通のトランペットより一回り小さいサイズ、日野テルマサ氏が使っているタイプです。)
そして、店内に流れるレコードとJAMセッション、てな感じでアドリブを吹き始めたのです。
これには従業員全員がぽかんとしたまま、聞き入ってしまいました。
ディスコバンドはお馴染みでしたが、こんなJAZZのソロを間近で見聞きしたのは初めてのことでした。
まさしく感動のひとときでした。
曲が終わると同時に、全員の拍手が店内に響き渡ったのは言うまでもありません。
いやー、V-oneで働いててよかったなぁとしみじみ思った委員長でした。






最終更新日  2005年09月22日 12時14分12秒
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2005年06月27日
総合企画ひとやすみ主催の第一回ディスコパーティは無事成功を収め、収益もソコソコに上がり、インチキ会社とはいうものの取り敢えずの運転資金もでき、益々意気上がる道楽者たちでした。
更なる資金源を求め、年末にもう一度でかいパーティを企画して奔走するマチャアキとジュリーでしたが、どうも若造が金儲けを始めるとプロの方たちに目をつけられ、今で言う企業舎弟にさせられそうになったりもしました。
委員長は念願のヨーパンもどきの彼女をGETして、二人仲良くSOUL街道をまっしぐらといったところでした。
更にジュリーが、レコード販売の営業に回る傍らダンスショーの仕事などを取ってきたりして、ままごとみたいな会社でしたが、皆がそれなりに持ち味を生かして道楽的な夢を追いかけたのでした。
この時、マチャアキは新宿ムゲンでDJをしており、○周年記念の企画に委員長をダンサーに仕立てて、これもパッケージにして商売しようなどと言い出しました。
何事も深く考えずに突っ込んで行く性格の委員長でしたから、そりゃ面白そうだってなことで、早速ダンサーズの結成です。
せっかくSOUL SISTERの彼女ができたのですから、こりゃもうソウルトレインなみにペアでばっちりファンキーな踊りを見せてやるぞってなもんで、俄然力が沸いてきます。あとのメンバーは弟分のヒデトに任せ、早速彼女と踊りの稽古、練習を口実にして営業前のV-oneで盛り上がります。

どうだ、DJは誰でもできるけど、ダンサーはそう簡単にはできねぇだろうってな大見栄きって、ムゲンのショータイムをこなした委員長でした。
この時はV-oneのジャンキーDJカーターを連れ出し、黒人DJ入りのパッケージショーにして大ウケでした。
まあ、肝心の踊りなんてのは本当に稚拙なもんでしたが、本物の黒人がフロアに出て、SOUL TRAINのドン・コーネリアス風にDJを入れ、その前でアフロファッションのダンサーズが踊るのですから、素人にとっちゃ、そりゃそれなりに、そんなもんかなあ、ってなところです。
このときいくらもらったかは忘れてしまいましたが、カーターがやたら興奮して、自らも踊りだして(メチャメチャ下手くそでしたが)興奮の一夜でした。
なぜかカーターのお気に入りは「FREE MAN」でしたね。
(日本じゃあまりHITしませんでしたけど)
一回でもショーのステージに立ってお金をもらえば、もう立派なプロです。
こうなったらとことん行くぞってなことで、大分本気になっていった委員長でした。
ヒデトが連れてきたアフロ野郎は新宿育ちのカサイという奴で、やはりツッパリ系のSOULバカでした。エンバシーで数ヶ月仕事したってことを自慢にしている、ちょっとお水かぶれのヤツでした。
本当はヒデトがアフロねーちゃんを連れてくることを期待していたのですが、まあ無理でしたね。いくらなんでもそんなに都合よくはありません。

ここでまたまたバカがバカを呼び、久我山のバカ軍団、タバスコ野郎(昔話その30参照)トオルがヒデトを頼ってV-oneに就職してきました。
しかし、バカは本当にほっといても群れて行くものですね。

そしてここで、新宿組を一致団結させたディスコ業界始まって以来の大イベントが行われたのです。(ちょっと大げさだったかな)
東芝EMIが企画した全日本ディスコDJコンテストとノンストップ・ダンスコンテストでした。
会場は赤坂マンハッタン、DJは課題曲を使ったDJパフォーマンスを競い合い、同時にダンスコンテストも行い、コンテストの最中はノンストップで踊り続ける
といったかなり面白い企画でした。
ディスコ野郎とはいえ、みな二十歳ソコソコの若者ですから、優勝を夢見てマジでチャレンジを始めました。
課題曲は、タバレスの愛のディスコティック、BTエキスプレスのピースパイプ、ウォーのロウライダー、その他(あと何曲かあったと思うのですが、思い出せません)。
マチャアキとジュリーが声をかけて新宿のディスコDJを集めました。
ダンスコンテストは委員長が声をかけて集めました。
当日はアフロ小僧やら、遊び人風ねーちゃんにーちゃんのオンパレード、ひときわ目立ったのがアフロレイキの連中でした。(マー坊はいませんでしたね。笑)
新宿組は委員長、ヒデト、カサイ、トオルの4人が貧乏くさい小汚いジーンズ・ファッションで出場、応援団は地元新宿のエンドウはじめ族軍団、六本木組のねーちゃんたちに比べてかなりガラ悪かったですね。
委員長の彼女のDORIだけが唯一赤坂っぽいナリで応援に来てくれました。
フロアの周りにはニットファッション(オーダーメイド)のブラックファッションばかりで、応援団もちょいと小奇麗なおねーちゃんばかりです。
その中に小汚いガラの悪いアフロ小僧が紛れ込んでいます。
踊る前から見下されたような委員長たちは、よけいに突っ張ってしまいます。

さて、コンテストスタート。新宿組のDJがサラを回すとフロアで委員長たちがワーッと声をあげ、踊りにも気合が入ります。
マンハッタンの狭いフロアですから、ぎゅうぎゅう詰め状態で長時間踊ってれば自然とストレスがたまってきます。更に六本木野郎たちの下手くそなダウンやら、大振りのファンキーフルーツなどが新宿組を威嚇してきます。
ガンの飛ばし合いから、「邪魔なんだよテメー」とか「うっとおしいんだよ」とか小競り合いが続きます。
結局、DJコンテストの優勝はアフロレイキ代表、小林克也さんの弟子に決まり、マチャアキや新宿組数名もなんらかの賞をもらいました。
ダンスの方も同じくアフロレイキ代表と、マンハッタン代表、誰が取ったかもあまり覚えていないくらいにどーでも良いコンテストと成り果てていました。
(やたら長く踊りゃいいってもんじゃありませんよね)
会場からぞろぞろと出てくる興奮冷めやらぬ出場者たちは、店の近辺でグダグダしております。
そして、コンテスト終了後のマンハッタン前の神社、因縁の勝負の決着がつけられたのです。こういうことに関しては絶対に引かないバカばかりですから、ものの数分の乱闘で圧倒的勝利を収めた新宿組でした。
もちろん委員長は暴力は嫌いですから、SOUL SISTERと高みの見物でした。
タバスコ野郎のトオル君、高校中退グループのカサイ君、エンドウ君他の大活躍で、場外乱闘も無事終了、なんとか溜飲を下げて引き上げる新宿バカ軍団でした。
(なんかいつもこんなオチですよね)

この事件(?)を契機に一段と強い絆で結ばれていった新宿ソウルブラザースだったのですが、V-one の方は、残念ながら支配人梅ちゃんのいびり猛攻撃に、遂にDJエディ、テリーも辞めていくこととなってしまいました。
別れ際、テリーはニットパンツとシャツをトオルに譲り、DJエディは委員長にソウルカラーのシャツとサスペンダーパンツを譲ってくれました。
また、この頃はボルサリーノと呼ばれるソフトが流行っていて、アフロ三人組みは三色(グレー、紺、キャメル)のハットにJUNのサテンジャケットと、黒革もどきのビニールパンツでお揃いのファッションに身を包んで、新宿界隈をデカイ顔して歩き回りました。(目立つことは目だったけど、どうみても田舎者だよね)

踊りの方はレゲエからポイントに移り始めた頃でした。
基本的には踊り自体はレゲエなんですが、人差し指でパートナーを指差す仕草の手振りが入ります。
そしてここに空前絶後、ディスコヒットの歴史に永遠に残るであろう名曲、KC&The Sunshine BandのThat’s the wayが大爆発しました。
とにかくこのヒットは凄かったですね。メガヒットなんてもんじゃなかったですね。どこの店に行っても絶対にかかっていましたし、とにかくみんながみんな踊っていました。シングルリリースはGet Down Tonightに続くセカンドカットだったんですが、シングルバージョンじゃお客が納得せず、こればっかりはアルバムのロングバージョンプレーでした。
とにかく躍りやすいマイアミサウンドは、このポイントという踊りと相性が良かったのでしょう。






最終更新日  2005年09月22日 12時13分51秒
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2005年06月26日
1975年の夏も終わり、V-oneの仕事にも慣れ始めたころ、委員長の前に旧友が一気に現れ始めました。
高校時代からのバカ友、井の頭線三鷹台駅前の酒屋の次男坊は、新しい彼女を連れて客としてやって来るようになりました。
その次男坊の地元中学の同級生ケイゾーも、ようやく新しい職場に落ち着き、スネさんを伴って遊びに来ました。もちろんS子も一緒です。
ちなみに、この三人が遊びに来た日に客同士のちょっとしたケンカがあったのですが、なんと止めに入って裁いたのはS子でした。ケンカの当事者同士もスゴスゴと引き下がるほどの迫力に、今更ながら頭の下がった委員長でした。
「あたしさぁ、小さいときからお祭り好きでさぁ、神輿担ぐのも大好きなんだよね。でももうそろそろ落ち着かなきゃいけないでしょ、ハハハ」って言ってる矢先の出来事でした。

更に、ビバヤングのDJマチャアキが新宿のジュリーこと鈴木昇二君を連れてやってきました。
博多からジャズドラマー目指して上京してきたマチャアキですが、ここらで一念発起、ミュージシャンの夢は一旦あきらめ、事業家としての出発を試みたのでした。
その相棒がジュリーで、新宿の仲間を集めて企画会社を立ち上げたとのこと、まずはそのご挨拶と、第一回企画として「パーティ」を主催するための会場にV-oneを使わせて欲しいとのお願いに来たのでした。
まんざら知らない仲でもなし、マチャアキは梅ちゃんに頼んで格安パーティ会場の提供を受けたのです。
そこで久々にマチャアキと再会した委員長は、マチャアキの誘いにこころよく応じ、この時はじめてジュリーこと鈴木昇二と出会いました。

「俺達みたいなモンでも集まれば何かできるはずだ」
(若い頃は誰でも一度は経験ありますね)

(しかしバカがいくら集まったところでカバにもなれません。ゴホン、失礼)

そう熱く語るマチャアキに道楽者のバカ一同は感動し、夢の世界へ一直線。
怖いもの知らずの若者はいつの時代でも、それが無謀な生き方だと判っていても夢見ることに憧れます。(何の根拠もない夢なんだけどね)

“総合企画 ひとやすみ”
社長○○マサアキ  副社長鈴木昇二

あとのメンバーも、ディスコDJや喫茶店で働く新宿の仲間が集まっていると聞いて、委員長も異常に興奮しました。オレも入れてくれぇ~ってなもんです。
もちろんケイゾーやヒデトも、元来お調子者の道楽者ですから、それなら俺らも一枚乗るぞってなことで、すぐに話は進みます。
酒屋の息子だけは現役の大学生、ちょっと大人の彼女もできたせいか、今までに無く落ち着いた態度で、「しっかりやれよ」みたいな生意気こいて、この日を境に道楽者の仲間からは外れていきました。(それがあたりまえなんだけどね)
そしてこの時、マチャアキからジョイ吉野が目黒のディスコでDJデビューした話を聞いて、「なにぃ~」と益々燃え上がる委員長でした。
どういう経緯でたどり着いたのかは知りませんが、目黒のファンキーホースという店でDJを始めた吉野、後輩ながらあっぱれという気持ちと、先を越されたという複雑な気持ちでした。この時の委員長は、別段DJを目指していたわけではありませんが、相変わらずディスコでウェイターをやってる自分がひどく遅れをとったような気がしたのです。

総合企画ひとやすみ主催
「愛と夢を求めて~ディスコパーティ’75」

なんだかよく分からないコンセプトですが、都会で生活する寂しい若者のための楽しいパーティの場を提供するって、今風に言うと「合コン」ですか。そのまんまですね。
要は「出会い」を求めている若者を集めて、酒飲まして躍らせるって、委員長が高校生の頃からやってるパーティ屋ですよね。
単にプロが仕掛けただけのことで、中味にたいした違いはありませんが、なんつってもそりゃディスコの従業員やDJがパー券売るんですから、あっという間に完売です。
委員長にしてみりゃ、そんな金儲けとかより、また新しい道楽者に出会えるってことの方が興味深くて、「ひとやすみ」の溜まり場であった歌舞伎町DJ喫茶「白馬車」へ出入りすることの方がとても刺激的でした。

白馬車は、歌舞伎町一番街のコマ劇場寄りにあるビルの2階にあった喫茶店で、3階は同伴で、いわゆる深夜喫茶と呼ばれる24時間営業のお店でした。
この店の特徴は、店の中央部にサテライトがあり、ラジオさながらのディスクジョッキーが入っていたことでした。もちろん、マチャアキやジュリーもここでラジオDJ目指して修行を積んだ場所であり、当時はラジオのジョッキーを目指すアマチュアの登竜門のようなお店でした。この店の支配人をしていたフジワラさんという年配のおっちゃんが、マチャアキとジュリーの話に興味を持って、それならオレにも一口乗せてくれってな話から、次第に仲間が増えていったというような経緯でありました。
コトの発端は、仕事帰りの始発待ちにこの店を利用していた同業者が、深夜のDJを通じて顔見知りになり、愚にも付かない夢を語っているうちに本気になったというような、典型的な道楽者の戯言、ヤマ話だったわけです。

集まったメンバーは、当時スキャットのDJだったイサムちゃん、クレージーホースのDJ高橋さん(この人がV-one出身だったと後で聞かされて驚きました)、ムゲンの渡辺さん、トゥモローの池ちゃん(この人もV-one出身だった)、あとDJ見習いのような若者数人(いつの間にかいなくなちゃったケド)、などが毎晩白馬車に集まっては愚にも付かないヤマ話に花咲いたのでした。
そーいえば、ビバヤングの兄貴、オオイケさんも一時ここに顔出していましたね。
マチャアキの見習いみたいなことして、白馬車のブースで皿回したりしてました。
ほんの一時でしたが、更正しようとはしたんでしょうね。
まあとにかく、何が起こるかわかりませんが、時代もまさにディスコブーム真っ只中、わけもわからず明日に期待する、あのワクワクした感じってのは、そう簡単には言葉で現すことはできません。一体何が起こるんだろう、何が始まるんだろうっていう時代への期待感は、若さとともに大きく膨らまずにはいられませんでした。
このときジュリーは吉岡さんから輸入盤仕入れてディスコに卸す仕事を始め、K観光グループチェーンを皮切りに新宿の大方のディスコと契約を結びました。
ジュリーは当時からメージャー目指して頑張ってましたね。
とにかく生活設計というか、生活観というか、委員長たち道楽者と違って随分と大人に見えました。(同い年だったんですけどね)
レコード屋さんにも興味があったようでしたね。
委員長は、この人はレコード屋さんで身を立てるのかなぁ、なんて思ったくらいでした。
DJだ、ダンサーだ、SOULだFUNKYだ、花だ提灯だと戯言をコイる委員長たちと比べて、貯金だ、確定申告だ、と難しいことを良く知っている人だなあ、と思っていました。
DJもうまかったですね。当時からディスコというよりラジオDJっぽかったですね。
トークっつうかおしゃべりが非常にうまかった。
糸井五郎さんに相当心酔していたし。
白馬車に集まる連中のほとんどが、始発まで「おいちょかぶ」で興奮する中、ジュリーは黙々とDJの勉強してましたからね。ホント、偉いやっちゃ、みたいなね。

さて、そんな新しい時代の幕開けを期待していた委員長に、ついにヨーパンもどきの彼女ができたのです。
茶髪のアフロで長身の彼女はGETの元常連、V-oneに入社したばかりのツトム君やケン坊の知り合いということで、女友達と遊びに来たのでした。
新しい踊り「レゲエ」も知ってるし、フロアではやたら目立つ彼女でしたが、どう見ても不良まるだし、ヨーパンもどき、まず普通の人は手は出しませんね。
顔立ちは、そうねぇ、研ナオコ系みたいな感じかなぁ、黒人ぽかったよね。
ツトム君が冷やかし半分で委員長に言ってきました。

「あいつ、男探してるらしいぜ」

どういうつもりで委員長に言ったのかはわかりませんが、委員長がすぐに立候補したのは言うまでもありません。
ツトム君、驚いた表情で、「マジかよ」、委員長「マジですよ」、そうか、わかったってなことで、その場でお見合いです。
言葉はあまり交わしませんでしたが、“決まり”です。
まわりのやつらは皆、「へえ~」ってな感じでした。
確かに個性的な彼女でしたが、委員長の潜在意識の中に残っている、ビバヤングのリンダ嬢を髣髴とさせるフィーリングに重なったのです。
ドゥリーシルバースプーンのバンプミーベイビーのジャケットに写っているアフロLADYに良く似ていましたね。(おかげでV-oneではちょっとHITしました)
恋に落ちた委員長、遂にSOUL SISTERをGETしてSOUL MAN“RONNY”の誕生です。
好きなことをしてメシを食う人生の始まりです。
SOUL SISTERの名前はDORI/ドーリー。
後で知ったことですが、
彼女は超ど近眼、
メガネはかけていませんでした。(^、^;






最終更新日  2005年09月22日 12時13分31秒
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2005年06月25日
しかし、どこに行っても必ず道楽者はいるもので、V-oneにはビバヤングとはまた一風違った道楽者がおりました。
V-oneの道楽者、DJエディとテリーの二人とは割とすぐに馴染めましたが、ラリーとはさほど打ち解けるほどの仲にはなりませんでした。
後で知ったのですが、ラリーはあの関西弁のおっさん“ベル”と一緒に大阪からやってきたそうで、年齢も委員長よりはちょい上でした。
もひとつ驚いたのが、ベルは元板前で、このV-one にもしばらくの間厨房で働いていたとのコト(いやーなんかしら縁があったんやねぇ)、なんでも、ベルはフライ用の油を温めるため火をつけたまま買い物に出てしまい、キッチンで小火を出してクビになったという強烈なエピソードの持ち主でもありました。
ひょっとして、あの時ビバヤングに来たのは職探しだったのかなぁ、などと思ったりした委員長でした。

さて、委員長も仕事中に堂々と踊りの練習に励みつつ、だんだんとV-oneテイストに馴染んでいったのでした。
ところが経営者側としてみれば、体制建て直しのために人事異動を行ったのですから、今までどおりのやり方がそのまま続くわけがありません。
キャバレー上がりの支配人梅ちゃんは、しばらくするとホールでの踊りを禁止し、ビバヤング仕込の顧客サービス(サパーのマナー)を徹底させるような指導が入りました。
今までのやり方とは正反対のキャバレー(軍隊)方式になれば、従業員全員が叛旗を翻すのは目に見えています。
まずターゲットとなったのは、キャバレー上がりの長髪にーちゃん。
しかしこの人、なんでディスコなんかに就職したのかよくわからないあんちゃんでした。
喫茶店にでも行ってりゃ良かったものを、なんだか気力の無いこんにゃくのような性格でした。
で、結局は梅ちゃんに怒鳴られてクビ。
何が理由で怒鳴られたのかも正直言って思い出せませんが、支配人室で梅ちゃんに怒鳴られて涙流しながら退店していったことだけがはっきりと記憶に残っています。

続いてラリー。
彼の場合はちょっと陰湿で無口な方でしたから、梅ちゃんを無視することで抵抗しましたが、結局は自分から辞めていきました。
辞めるときのラリーは、梅ちゃんに最後の復讐、怨念の一発というかイタチの最後っ屁というか、梅ちゃんの晩飯の味噌汁に小便入れて飲ませちゃったんですから、いくらなんでもやり過ぎと言うか、ひでぇ奴でしたね、まったく。

さらに厨房のチーフ、見た感じは青年サラリーマン、どう見てもコックさんには見えない長身の無口なお兄さんでしたが、誰が教えたのか仕事中にシンナーを吸わせたもんだから、厨房でラリって座り込んじゃった。
もともと梅ちゃんとは肌が合わないチーフでしたから、たまたま厨房に入ってきた梅ちゃんに怒鳴りつけられて逆上、目の前にあった包丁を握りしめてキッチンのカウンターをくぐろうとした途端、そりゃもう、もの凄い勢いで梅ちゃん厨房から飛び出して行きました。
誰もが内心「ざまーみろ」ってな感じでしたが、この時の逃げ足の速さは天下一品、たいしたもんだと感心した委員長でした。
この梅ちゃんですが、外見は勝新太郎を二回りほど小さくしたような体つきで、顔はまさにネズミ顔、チョット見た感じは強面やくざ風ですが、意外と小心者のアホなおっちゃんでした。もともとはN観光の車輌部、運転手あがりですから、人を使う仕事にはあまり慣れておらず、ビバヤング時代も店長あっての支配人ってな役どころでしたから、元々は頭に立つタイプの人じゃなかったんですね。まあ、それでもワカバヤシ主任という温厚な部下が居たので、なんとかかんとか支配人で収まっていたわけです。
これで厨房のチーフも居なくなり、残されたのはDJエディと委員長の社員二人、テリーとM浦さんのバイト二人、これにレジのおばちゃんとワカバヤシ主任、梅ちゃんの7人となったわけです。

当面、厨房が居ないと営業になりませんから、階下のキャバレー・クインビーでアルバイトをしていた台湾人留学生の若者を引っ張り上げ、あとは社員募集をかけたのでした。
ここでやってきたのがアイザワ君という18歳のアフロ小僧でした。
特別SOULかぶれってコトでもなく、単なる目立ちたがりのアフロ少年でした。
使う方にとってみれば新人の方が随分と使いやすいわけで、過去の悪い習慣を一掃して体制を立て直そうってなことでした。
そんなある日、委員長を訪ねてもうひとりのアフロ小僧がやってきたのです。
久我山のバカ軍団のひとり、ヒデトでした。

フロントでしょぼくれた顔をして立っていたヒデト、委員長の顔を見るなり今にも泣き出さんばかりに懇願してきました。

「XX君、突然で悪いと思ったんだけど、怪人二十面相クビになっちゃって、家賃とかの支払いもあるし、ここで使ってもらえないですかね」

たった一度、極悪少年フクシマに紹介されただけのヒデトでしたが、こうまで思いつめて訪ねてきたのだからなんとかしてやろうと、義侠心に熱い委員長は(そうかぁ)店に招きいれ、厨房でメシを食わせてやったのです。

「ハラへってんだろ、まあメシでも食えや」

一時は自分も同じようにして、ワル仲間にたかったことのある委員長でしたから、ヒデトの気持ちが痛いほど良くわかりました。(そんなおおげさなことでもないケド)
そこで、ワカバヤシ主任に事情を説明すると、ちょうど募集もしてることだし、頭もアフロならちょうどいいだろうってことで、就職が即決しました。
これで新制V-oneのアフロ三馬鹿、いや三羽ガラスが揃ったのでした。
これで何となく店の体制も整い始め、N観光の社員教育に則った営業が始まりました。
そうこうしているうちにアイザワ君が来なくなり、代わってちょい年配のツトム君とケン坊と呼ばれる二人組が入社してきました。
スリーピースの背広をビシっと着こんで、見るからに水商売って感じの二人組でした。
話を聞けば、ジ・アザーやクック、ニック&チャッキーとは遊び仲間、委員長たちにしてみれば新宿の先輩みたいな二人でした。実際のところは、半年間の食い繋ぎで就職したらしい二人でしたが、これでどうやらお店の人事体制もすべて入れ替わったことになり、益々梅ちゃんの天下となっていきました。

委員長二十歳の夏もあっという間に終わり、そろそろ季節は秋口、10月に入ろうとしていました。
この時のV-one の黒人DJは、カーターという小柄な男がメインで、時々カーティスという大柄な男との二人が横田基地からアルバイトに来ておりました。
カーティスはカーティスメイフィールドに本当に良く似ていて、心の優しい穏やかな男でした。ミュージシャンでもあり、横田ベースの仲間とバンドを組んで、ブラックシープなどにも出演していました。このバンドで、カーティスはトロンボーンとコーラスを担当、そしてドラムを叩いていたのが、後にもんた&ブラザースのドラマーとなるマーティンでした。

彼も、時々カーティスを訪ねてV-oneに遊びに来たりしていました。
このあたりはビバヤングと随分違って、ブラザー達が頻繁に出入りしていたので、アメリカンカルチャーというより、アフロアメリカンについて随分と学ぶ機会が多く、この時のカルチャーショックみたいなものが、委員長をSOULバカの深みにはめたとも言えます。
V-oneでも時々ケンカがありましたが、こういうときにはカーティスがさっと出て行って間に入ります。身長180cmは楽にある黒人に仲裁されれば、まず双方ともしゅんとなって引き下がり、大事には至りませんでした。
このカーティスがよく口癖で委員長に言っていたのが、「ケンカ、ダメ、センソー、モットダメ、Very Very Bad!」でした。
片言の日本語と片言の英語での会話でしたが、彼が語った言葉のすべてが委員長の心に今も残っています。

「自分は人殺しになってしまった。音楽を愛するミュージシャンの自分が、この手で人を殺してしまった。戦争は本当に良くないことだ。戦争は絶対に反対だ。CRAZY!」

このクレージーという言葉は、日本ではジョークっぽく使われていて、さほど言葉の重さを感じませんが、英語本来の意味から言うと、かなりなインパクトをもつ“キチガイ”沙汰です。(英語圏でCRAZYを使うときは注意して下さいね)
彼とはこんな会話を何度かしましたが、後年、たまたま五木寛之の小説を読んでたら、非常に良く似た黒人トランペッターの話があって、カーティスの顔が目に浮かびました。
大変可愛そうなことではありましたが、それでも当時は徴兵制度による召集でしたので、こうした識者も多く含まれていたおかげで、軍の無軌道な行為はある程度抑えられていたのでしょうが、最近は食扶ち確保のための志願者が多いので、常識も教育もないようなならず者も多く含まれているため痛ましい事件が多いのでしょう。

一方、小柄なカーターはちょっとした紳士っぽい感じのいでたちで、FUNKYというよりは日本で言うサラリーマンみたいな面持ちでした。
ところがどっこい、こいつが結構クワセ者で、とにかくドラッグ好きというか、大抵STONEDで、翔んでいない日は無いってくらいのもんで、とにかくEverydayがHappyでした。ルックスもまあまあだったせいか、やたらオネーチャンにも人気がありました。
踊りはメチャへたくそだったけど、かなりのプレイボーイでしたね。
性格も悪くなく、ひょうきんな奴で、仲間内での人気もまずまずでした。
そして委員長は、このカーターから「幸せの煙」の洗礼を受けました。
ある日、カーターが委員長を呼び寄せ、エレベータ横の非常口に連れ出しました。
彼はクリっとした目を大きくさせ、ポケットから白くて細いコヨリのようなものを取り出し、「Smoke it」と言って差し出しました。
委員長は意味が判らずぼやっとしていると、カーターは自分でくわえて火をつけました。
親指と人差し指に挟んだコヨリを思い切り吸い込むカーター、まさに煙をバキュームする勢いです。途端に枯れ草を燃したような独特の香りが漂います。
煙を吸い終わったカーターは火の付いたコヨリを委員長に差し出しました。
委員長は見よう見まねでコヨリを指に挟み、同じように一気に吸い込みました。
吸い終ったと同時に再びカーターがコヨリを奪い取ってもう一服入れ、すぐに火をもみ消して半分になったコヨリをまたポケットに戻しました。

カーターはニヤニヤしてポケットからタバコを取り出し、委員長に1本取るように勧めると自分も1本口にくわえて火を付けました。
煙をゆっくりと吸い込んだ委員長の喉から肺に、さわやかで冷たい空気が入り込み、煙を吐き出した後もその感触が残っています。
手に取ったその長いタバコはベンソン・メンソールでした。
自分の体の中で何が起こっているのか判りませんが、ラリったりしているわけでもなく、意識はしっかりしています。かといって、いつもとはチョット違う、妙な感じでした。

「Get out here」

カーターの声にはっとして一瞬我に帰る委員長。
店内から聞こえてくるダンスビートに体が勝手に動き出す感じで、踊りながらホールに戻る委員長。
Get up and get down, just get on down!

紫の煙~初めての体験でした。






最終更新日  2005年06月25日 15時04分40秒
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2005年06月24日
1975年8月~ V-one で人気のあった曲をざっと振り返ってみましょうか。
ファイトザパワー/アイズレーブラザース、ハッスル/ヴァンマッコイ、愛のディスコティック/タバレス、Shining Star/EW&F、Get Down Tonight/KC & the Sunshine Band、1234ブロウユアホイッスル(笛の音が入ってて、ホイッスルが流行りました)、Keep on Bumpin’/KG’S、Do what you wanna do / People’s Choice 邦題は「ディスコ天国」だったかな。
Super Jaws / Super Jaws スパー・ジョウズってコーラスが入っているだけなんでしたけど、やたら良くかかってました。レゲエで踊るにはピッタンコって感じでした。
たぶんスピルバーグの映画「JAWS」のHITに便乗したディスコものだったんでしょうね。でも、ビルボードのHOT100にもランキングしてましたから、ディスコヒットには違いなかったですね。
ちょっとアップビートのDance dance danceもよく聞きました。(カルフーンってグループだったとかな)
お馴染みコモドアーズもマシンガン、スリパリー、サンクティファイドと立て続けにシングルカットされました。ちょっと異色なのはリトル・ビーバーのパーティダウンでした。
JAZZっぽいラテン系チャチャで、なんとベースはあのジャコパストリアス、ブルース&JAZZの世界ではちょいと知れたギタリストだったらしいんですが、渋かったですね。大人っぽくて、フロリダのバーあたりでかかりそうなアダルトな雰囲気が最高でした。
あと記憶にあるのは、ヘルプレスリー、エキスプレス(BT Express)、JB’sモノレール(これもエキスプレスに対抗してJBが作ったんですね)、ジャングルジャズ(KOOL&The Gang)はジャングルブギのニューバージョン、スピリットオブザブギと立て続けにヒットしました。このアルバムは本当に良く出来たアルバムだったと思います。

委員長が働き始めた頃のお客は、まだウォーターゲートやオールドマンが主流で、いわゆるツウは新しい踊り「レゲエ」に挑戦していました。
そういえば、BT Express のエキスプレスを踊るときは、ウォーターゲートで手をくるくる回したり、首を振ってみたり、適当なバリエーションが入っていましたね。
ジャングルジャズはジャングルブギと重ねてプレイしたりしてました。
これって今にして思えば「つなぎ」だったのかなぁ。
お客にはウケてましたけど、ちょっとピッチが違うから苦しかった。
ファンキーフルーツなんかもこの曲でみなよく踊ってましたね。
ところで、このファンキーフルーツって日本製だったんですよね。
当時の委員長もてっきり黒人が持ってきたものだとばかり思っていましたが、それにしちゃネーミングが変でしたよね。いくら黒人がFUNKYだからって、フルーツまでファンキーにするこたぁねぇだろみたいなね。
踊り自体は確かにSOUL TRAIN GANGなどが踊ってましたけど、なんていう呼び方していたかは不明ですね。
確か、全日本ディスコ協会主催のファンキーフルーツ・コンテストなんてのがありました。
はっきり覚えていませんが、結構それなりの人たちが出て盛り上がったようです。
吉野が憧れていた赤坂マンハッタンのジョイ・ジンが割とうまかったですね。その弟子みたいなジョイ吉野も中々うまかった。
V-oneではテリーがよく踊ってました。ロボットとかと組み合わせて結構面白かったなあ。
あとラリーもよく踊っていたけど、彼の場合はなんか自己満足ってな感じでイマイチでした。そして、このラリーに手ほどきを受けたM浦さんのファンキーフルーツも凄かったですね。
本当におサルのシンバル人形みたいだったなあ。
手振りの後、ジャンプしながら後ずさりするっていうのが、当時の一般的な振りだったんですけど、この後ずさりがなんとも凄くて、動物的というか歌舞伎的というか言葉ではいかんとも表現しがたい光景でした。
それでまた、DJエディやテリーがM浦さんをノセるもんだから、ショータイムでご披露となります。ここまで笑いものにしていいのかなあ、とも思いましたが、本人が全然そう思ってませんから手がつけられません。

ヴァンマッコイのハッスルもちょっとした人気でしたが、この踊り「ハッスル」もどうやらビクターレコードとディスコ協会の企画モノだったようですね。
当時のFUNKサウンドの中にあって、ちょっとエレガントな曲で異色でした。
そういえばチャイニーズカンフーなんてのもありましたね。
これはステップで踊ってました。でも、もうこの当時はいわゆるステップは古いタイプの踊りで「懐メロ」扱いされてましたから、新曲とはいえお店(DJ)には結構煙たがられてたのも事実ですね。カタにハマらず自由に踊ろうよってな流れになってきてました。
ちなみに「レゲエ」も「ハッスル」も、委員長が始めて見たのはエンバシーのフロアでした。
このころ、エンバシシーはSOULエンバシーと名前を改め、店内改装、ジェイルのような檻に囲まれたレイアウトにイメージチェンジしていました。
以前のような客席とフロアが重ならず、ダンスフロアは檻で囲まれた四角のハコのような中に独立して作られてありました。
新装オープンの噂を聞いて早速出かけた委員長、なんとそこにはビバヤング時代に一度顔を合わせた、あの関西弁のおっさんがいるではありませんか。
ネームタッグには「ベル」と書かれていて、「あんときはほんま助かったわ」とお礼を言われ、エンバシーにちょいとした知り合いができて嬉しかった委員長でした。
そして、そこで見た新しい踊りが「レゲエ」と「ハッスル」でした。
パートナーと向かい合って、4拍子で左右に歩きながら腰を振る「レゲエ」は手をモンキーダンスのように肩から上、腰の辺りでふりながら踊ります。
ハッスルは文字通り早足ステップで踊る、チャールストンのような踊りでした。
委員長は、フロアで忙しなく足を動かしているブラザーを見て、隣に居たブラザー&ヨーパンに聞くと、特に決まったステップではなく、とにかく“ハッスル”するんだそうで、なんかよくわからん踊りでした。
後にエモリさんのイラスト図解入りで、男女ペアでジルバのように踊る「ハッスル」が紹介されたときは、なんかちょっと変な感じがしましたね。
こんな踊り、エンバシーで見たことないなぁ、って感じでした。
これもビクターレコードとディスコ協会の創作ダンスですね。
(これはあんまり流行りませんでしたね。日本じゃまだまだペアで踊るっつー意識が低かったから、男は女とちゃらちゃら踊れるかい、ってスタイルが多かったですね)

今日は当時のHITを紹介したので、最後にこの当時の委員長のお気に入りをご紹介しておきましょう。
それはなんといっても、KOOL & the Gang “SPRIT OF THE BOOGIE” ですね。
タイトルチューンはもちろん、JUNGLE JAZZ、Mother Earth, Winter Sadness,と全曲フルに使えて、アルバムコンセプトもしっかりしていました。
とくにB面トップのマザーアースは、まさにKGサウンドの決定版って感じで最高です。
ブレイクに入るカウベルの音がまろやかで、日本の木魚みたい音色とそのタイミングが踊ってて快感でした。
さらにスローナンバーのウィンター・サッドネスは、ご存知サマー・マッドネスの続編です。
Summer Madnessはシンセのみのインストですが、Winter Sadnessはヴォーカルが入ってて、後半のシンセとギターのからみが、まさに冬のイメージを奏でていて、これこそしっくりと腰を絡めてチークを踊るにはピッタシでした。JAZZの雰囲気が大人っぽかったし。
残念なことにこのアルバム、USAではCD化されておらず、日本のみの発売です。
70’sファンの方には是非お薦めの1枚です。(なんだかライナーノートみたいだな)
スローでもう1曲だけ特筆したいのが、コモドアーズの”This is your life”ですね。
これも後年のThree time lady やEasyへと続くライオネル・リッチーのヴォーカルがかなりねちっこい初期のHITでした。
ということで、今日はちょっとマニアっぽい話になりましたね。(^0^)






最終更新日  2005年06月24日 14時38分12秒
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2005年06月23日
本気で仕事を探す気があるのか無いのか、はたまた本気で働く気があるのか無いのか、一向に落ち着きのない無意味な毎日を送っていた委員長のもとに突然、極悪少年フクシマから耳寄りなニュースが飛び込んできました。
N観光の人事異動で、新宿西口にあるV-one(ビバヤングの姉妹店でブイワンと読みます)に、ビバヤングの支配人梅ちゃんとワカバヤシ幹候(主任に昇進)が配属になったとのことでした。
このワカバヤシ幹候は、歌舞伎町ノックアウト事件でドロップアウトしてしまったオオイケ幹候の同期生で、九州大分から上京してN観光に就職した23歳の若者でした。
これなら顔見知りだし、今更新人として見ず知らずの店に入るよりは気が楽だったので、早速小田急線に乗って新宿西口V-oneに出向いたのでした。
当時のディスコでもV-one はSOULっぽさでは結構有名で、従業員は全員アフロ、フロアでも正々堂々(?)と踊っても良い(ビバヤングじゃ仕事中の踊りは厳禁でした)、そんな話は以前からも聞いていたので、こりゃ楽しそうだとワクワクして出かけたのでした。

小田急ハルクの並び、坂の途中にある小さな雑居ビルの4階がファンキーディスコV-oneでした。
エレベータを降りると入り口から左曲がりの細い通路になっていて、抜けると切符売り場のようなレジ窓口があり、ここで入場券(1ドリンク付)を支払って中に入ります。
店内は六本木メビウスに大変良く似た造りで、縦長の先にダンスフロア、中央が客席、奥が楕円形のボックス席、そしてドリンクカウンターの前に小さなスタンドバー・カウンターがありました。
DJブースはビバヤングと同じタイプのアクリル製のカプセルブース(これもメビウスとほぼ同じ)で、照明用の調光卓が組み込まれてありました。
ダンスフロア正面には大きな鏡が一面に張られており、これもメビウスの真似かなぁという印象で、メビウスと違っていたのはダンスフロアが横長ではなく縦長だったことです。

早速、支配人の梅ちゃんと面接、ワカバヤシ主任にも挨拶をして、明日からお仕事です。
委員長の場合は自宅からの出勤ということもあって、終電に間に合う12時までの勤務を了承してもらいました。
当時の水商売ってのは、ほとんど田舎から飛び出してきた若者(?)ばかりでしたから、通常は寮に入るのでまさにタコ部屋そのもの。自宅から通う社員なんてのは少なかったわけです。タコ部屋に押し込めて12時間労働ですから、生産効率は非常に高かったですよね。寮住まいしてる奴らには労働基準法なんて関係ないですからね。下手したら犯罪者だったりすることもありますから、文句言って自業自得になるよりは、とりあえずメシ喰って生き延びた方が良いということです。
仲良しコンビのケイゾーも、時を同じくして吉祥寺の喫茶店に入り、料理学校~バーテンダー・スクールという具合に、不良少年の更正パターンを歩き始めました。

さて、この時のV-oneは、キッチンのチーフ、バーテン兼ウェイターのあんちゃん、これにDJのエディと名乗るO君の3人が正社員で、あとは親父くさいアフロのラリー、ひょろっとしたテリー、やたら歳食った文化服装学院生徒のM浦さんのバイト3人、そしてワカバヤシ主任と支配人の梅ちゃんというメンバーでした。
実はこのV-oneには、以前ビバヤングからシラカワ幹候っていうイケイケのおっちゃん(以前のエピソードで紹介した通り、オオイケ幹候と並んでケンカ好きな人でした)が主任として配属されたのですが、従業員と折り合いが合わず、遂には退職してしまったというような経緯がありました。
その頃の主任にH田という男がいて、暴走族の頭だったらしく、店にはそんなのばかりが集まってしまい、従業員を入れ換えたというような話も聞きました。
確かにこのH田元主任は、後に歌舞伎町でT会に属するようになり、やはりその道に入っていった人物でした。
おっと、大事な人達を忘れておりました。
レジのおばちゃん(実はこの人N観光社長の実妹さんでした)、黒人DJのカーターとカーティス(二人が交代で横田基地からバイトに来ていました)、この3人もV-oneのスタッフでありました。

初出勤した委員長はこれらの顔ぶれを見て、自分が期待していた店とはかなり違っていたのでがっかりしました。唯一嬉しかったのはホールが小さくて、あまり駆けずり回ることはないなぁ、ということでした。なんせ、ビバヤングの頃は満員満席になると、そりゃもう重労働というか、ホール駆けずり回ってましたから、それに比べりゃビバヤングの三分の一ほどの店なんで、たとえ満席でも楽勝ってなもんでした。
ということで、正直言ってこのころのV-oneはもう末期的な状態を呈していて、バイト二人とDJの三人が何とかV-oneカラーをひきずっているだけでした。
まあ、考えてみりゃ、支配人の梅ちゃん、主任のワカバヤシさんなどは典型的N観光社員ですから、キャバレー色丸出しでありました。
V-oneも開店当時はそれなりのコンセプトでスタートしたようですが、どうも途中から従業員が暴走しだして手がつけられなくなり人事異動となった、というような話も聞かされました。委員長がビバヤングにいるころ、このV-oneのH田という主任と当時の渡辺支配人が一度たずねてきたことがあり、その時そのH田主任が委員長のアフロを見て、ウチに来ないかなと声をかけてきたことがありましたが、今にして思えば、確かにこのH田主任、アフロはアフロだったんですけど、不良少年御用達の45度銀縁メガネなどをかけており、SOULというよりは族って感じの風貌でした。

そんなこんなで委員長が入った時には、ファンキーディスコというにはかなり酷い状態であったことは間違いありませんでした。従業員も皆が皆てんでんばらばら、ただ出勤してきて働いて帰る、ってな感じで、多少はビバヤングでキャバレー教育を受けた委員長は、管理もきちんとままならぬ統率のとれない状態を目の当たりにして、そのあまりの酷さに驚いたものでした。
だからといって、先頭に立って一生懸命仕事に燃えるようなタイプではありませんから、それはそれなりに道楽的業務活動を行ったわけです。
そりゃ二十歳になりたての若造ですから、世の中のほんの端っこをかじった程度で社会の仕組みまでわかるわきゃありません。
ただ、今までとはちょっとタイプの違う人たちが多かったので、付き合い方に戸惑ったっていうのが本当のところだったと思います。
ビバヤングでみてきた人たちは、もうこれ以上悲惨なバカはいないってくらいのどーしょーもない不良ばっかりでしたから、V-oneで知り合ったラリー、テリー、エディO君などが、妙にインテリっぽく見えたほどでした。ちょっとセンスが違うなぁって。
そんなこんなで多少緊張しつつも、営業前の点呼では社歌を皆で合唱したり、号令をかけたり、正社員の中ではアフロ頭がひとりだけでなんとなく妙な感じでした。正社員の顔ぶれだけ見ると、ディスコとは程遠い感じがして頭が痛くなりました。
そのうちにバイトのラリーやテリー、DJのO君たちとも話をするようになり、それなりに仕事にも馴染んでいったのです。

ちょっと遊んでいた3ヶ月の間に流行も変わりつつあり、踊りはウォーターゲートからオールドマン、そしてレゲエという新しい踊りに変わっていました。
おサルの手招きのような振りで、四拍子の歩行を付けて腰を振るっつー、今までとは一風変わった踊りでした。なぜレゲエなのかわかりませんが、ブンチャカブンチャってなレゲエのビートから来たのかもしれません。確かにこのころ、ボブマーレーやジミークリフなんかもチャートに顔を出していましたから、新しい風みたいなもんだったのでしょう。
アフロ頭のラリーはちょい大柄、髭づらで、確かに黒っぽい感じはしていましたが、イマイチ愛想が悪くとっつき難い感じでした。
暇さえあれば、レゲエの練習をしていたのが印象的でした。
なんか熊がサル踊りしてるみたいで滑稽でしたね。
ひょろっとしたテリーは、今で言うアメカジっていうのかな、バックパッカーのハシリみたいな感じでしたが、バイト中はイタリアンカラーのユニフォームにニットパンツ、スーパーフライのキャップをかぶったりして、いかにもディスコの従業員ってことで、ウェイターの合間にホールで踊ったりして、ビバヤングとは随分と違う雰囲気にちょっと驚いたりしました。
小柄なDJエディO君はリーゼントにサングラス、オールディズぽいカッコで、GETのDJにだいぶ影響を受けていたようで、かなり日本語のしゃべりを入れていました。
声は非常に良かったですね。低い良い声してました。

そして、もうひとりのバイト、この人ほど委員長の人生の中で強烈なインパクトを与えてくれた人はおりませんでした。年齢不詳、経歴不明、性格温厚、なんと表現してよいかわかりませんが、とにかくその当時、委員長から見たら相当な年上、おっさんの風格も露にした顔を持ち、新宿の文化服装学院に通い、ディスコでアルバイトなどをしている、とっても不思議な人でした。
更に驚いてしまったのは、V-oneのゴールデンタイムに、なんとこの人のショータイムがあるではありませんか。
チークタイムが終わり、DJエディのナレーションが入ります。
この導入部は笑福亭つるこうの「鶯谷ミュージックホール」イントロです。
開園のブザーが鳴り、お待たせいたしました。只今より開演です・・・・てな女性のアナウンスが流れ、ここでミュージックスタート。
“You are everything I need” アーティスト名は忘れましたが当時のマイナーヒットです。
リズムはチャチャ系のミディアムテンポ、チャカポコギターの入った結構メロディアスなナンバーです。
DJエディのMCが入ります。「お待たせしました、バロンM浦のショータイム!」
そして、そこへカンフーパンツ(裾を絞った武道着)にノースリーブのTシャツ、さらに鉢巻を巻いたMさんが颯爽と登場しました。
客席の常連たちは大爆笑です。
相反してフロアのM浦さん、真剣な眼差しでワケのわからない踊りをはじめます。
ここでまたDJのO君のMCが入ります。

「さー、M浦さん、ターン行ってみよう!」

M浦さん妙なステップでターンします。客席バカウケ大爆笑。
しかしM浦さんの目は出来上がっています。
今度はタンゴのようなステップでフロアを縦横無尽に歩き回ります。
締めくくりは、ジャニーズのような仮面ライダーのようなポーズ、ようわからん踊りで興奮の坩堝、ショーは終了いたします。
客席にむかってお辞儀をして退場。
ステージ衣装(?)から制服に着替えるM浦さんにテリーが言います。
「M浦さん、今日のターン良かったよ」

「ああ、あれは僕が昔モダンダンス習っていたときのステップでさ、ちょっとチャチャとはあうかどうかわからなかったんだけど、試してみたんだ」(試さなくてもいいよ)

目が完全に出来上がっちゃってるM浦さん、更にコメントは続きます。

「僕さ、少林寺もやってたことあるから、今度はオープニングでこのカタを入れてみようと思うんだ」

一体、この笑いものにされているおっさんは何者だろう?
とにかく純粋にショーダンサーを演じている無垢な心というか、ノータリン、いや、ゴホン、失礼、この歳までどういう人生を歩いてきた人なのか、大変に興味のある方でした。
この人のエピソードだけでもかなりの数書けそうですが、驚くことに、この数年後、M浦さん、なんとチェスターバリーのDJになっちゃったんですね。
いやいや、岩をも通す信念というか、心が清いというか、信じて人を疑わない生き方は幸せを招くと言う手本のような方でした。(そうかなぁ~)

あと、ここに登場するテリー氏は今、インターネットラジオ(ファンラジ)ってサイトで当時のDJを復刻させるような放送をやってますから、当時のことに興味のある人は是非サイトへご訪問下さい。






最終更新日  2005年06月23日 09時05分21秒
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2005年06月22日
ビバヤングで皆に兄貴と慕われたイケイケ男のオオイケ幹候、誰もが恋する春先に店で知り合ったちょいと遊びの分かるおねーちゃんにメロメロになりました。
オオイケ幹候は北海道出身、横浜で水商売デビューの後、新宿に流れてきてキャバレーで修行して、ビバヤングに幹候として転属してきたのは22歳の時でした。
林隆三をちょっとせこくしたような面相でやや長身、まあそれなりの黒服で、お客にもそこそこ人気がありましたが、所詮は田舎者ですから、DJのマチャアキや委員長、ケイゾー達のグループの影響をモロに受けてしまい、23歳でSOULの世界に目覚めたわけです。
そんなころ、ちょっと遊び慣れした大人の彼女ができて、ルンルン気分のオオイケ幹候が久しぶりの公休をとって(ビバヤングはタコ部屋ですから休みなんぞは月1回がイイとこでした)、ようし今日は勝負だぞ(勝負下着を着けたかどうかは知りませんが)ってなことで、ちょっとカッコつけて委員長、ケイゾー、吉野のアフロ3人組を伴って、彼女と待ち合わせの歌舞伎町モナミビル7階、ファッションパブ・ノクターンヴェールへと繰り出したのでした。

こじんまりとした店内は中央がダンスフロア、その正面に小さなDJブースがあり、フロアを取り囲むような席は、低めのゆったりとした大人のディスコという雰囲気でした。
店に入ると、既に彼女はボックス席でオオイケ幹候を待っていて軽く手を振ります。
オオイケ幹候は委員長たちアフロ3人組を舎弟のように紹介して、ちょいとした兄貴風を吹かせます。こっちはタダ酒、タダ踊りですから、そりゃヨイショにも力が入ります。
ということでいい気持ちになったオオイケ幹候は放っておいて、3人は早速踊り出します。
さて、オオイケ幹候の存在などすっかり忘れるほど踊り狂っていた3人は、チークタイムの休憩でボックス席に戻ってみると、ぽつんとひとりぼっちのオオイケ幹候に気付きます。既にボトルは半分以上空いており、目の据わったオオイケ幹候からは異常な殺気が漂っているではありませんか。
遊び人の彼女ですから当然夜の知り合いも多く、店内で友達と出会い、そっちの席に行っていたのでした。しかも運悪く相手は男3人組、ナリもちょいとおしゃれな遊び人風ファッションでキマっています。
あー、やだなぁ、この展開、委員長の心配どおりコトは進行していきます。

「オレ、なめられてんのかなぁ」(ヤバイなぁこの感じ)

「ちょっとわからしてやらないとだめかなぁ」(やる気かなぁ)

ここでツッパリ印のケイゾーが火をつけてしまいます。
「オオイケさん、どいつですか?けじめ取りますか?」(何言ってんだよこいつは)

「おお、お前もそう思うか」(話がかみ合ってねぇぞ)

「やっちまいますか」(お前言ってることわかってんだろうな)

ということで、このあたりから踊りどころじゃなくなって、ケイゾーも酒をガンガン飲み始め、イケイケ同士で勝手に盛り上がる困った奴らです。
そんなところに彼女が戻ってきて、さらに油を注ぎます。
よしゃあいいのに、どこぞの店の常連で、どこぞの店の黒服だのと、その三人野郎の話なんぞを面白おかしくするもんだから、いよいよオオイケ幹候の目は三角になっていきます。どうも弱っちゃったね、この人はってなもんです。

三人組が店を出るのと同時に、オオイケ幹候が号令かけて突撃です。
モナミビルのエレベータに無理やり乗り込んで、1階についたとたんにならず者と化すオオイケ幹候。
委員長と吉野はさっとかわします。
あーあ、やな展開になっちゃったなぁ、と憂鬱な委員長に吉野が気楽なことを言います。

「あにきぃ、オレの先輩の店でチャーハンでも食わない?」

この吉野ってやつ、結構こういう面白い芸風があって、危険な目に会うととんでもない行動を思いつくというか、逃げがうまいと言うか、中々の人物です。
コマ劇場の横の食堂ビルに「五十番」というラーメン屋があり、ここにアフロ頭の吉野の先輩が働いていたのでした。
委員長も酔っ払いの喧嘩なんぞに巻き込まれるのはまっぴらですから、すぐさま吉野の提案に賛成し、聞こえよがしに「あー、腹減ったからメシ喰おうっ」とか言いつつ、モナミビルの斜向こうにある「五十番」へと吉野と二人で歩き始めました。
さて、ビルの地下につづく階段に3人を引っ張り込んだオオイケ幹候、意味不明なノーガキを叫びながら、片っ端から殴る蹴るの乱暴三昧。後ろにはケイゾーがアフロの毛を逆立てて仁王立ちしています。
理不尽な暴力の餌食となっている3人こそ本当に良い迷惑で、何がなんだかわからぬまま悪酔いあんちゃんのなすがままです。
委員長と吉野はラーメン屋の先輩にチャーハン二つをオーダーして、店の前で見物を決め込みました。

「なんでオオイケさん怒ってんの?」吉野がたずねます。

「さあ、ヤキモチじゃねぇの」と答える委員長。

そこへ地下の事務室からやたら背の高いおっさんが二人出てきて、オオイケ幹候をビルから引きずり出しワンツーパンチの早業でノックアウト。
ひざから落ちて意識を失うオオイケ幹候。
この大男に立ち向かうケイゾー。
あー、やっぱりバカだねこいつぁ、と心の中で思う吉野と委員長。
そこへオオイケ幹候が夢中になった彼女が制服警官を連れてきて、一気に終了。
大男二人組は、たぶんビルの用心棒だったのでしょう。
おまわりさんに挨拶してその場を立ち去りました。
道路に大の字で転がっているオオイケ幹候を起こすケイゾー。
委員長と吉野もお手伝いに馳せ参じます。
よっこらしょ、とオオイケ幹候を皆で立たせて肩を貸します。
おまわりさんは、「どうした?喧嘩か」と、見りゃわかるだろうって質問をします。
皆に支えられてかろうじて立っているオオイケ幹候、オハヨー、ここでお目覚めです。

「あれっ、どしたの。なんだお前たち何してんだこんなとこで」

おまわりさんも、「大丈夫か、歩けるか。気をつけて帰れよ」って、オオイケ幹候を歌舞伎町のど真ん中に置き去りにして、交番に帰って行ってしまいました。
なんなんだよ、加害者捕まえネェーのかよ、と思いましたが、この被害者も加害者であるし、結局何事もなかったかのように歌舞伎町の夜は更けていきます。(なんだそれ)
数分後、ようやく事態をのみ込めたオオイケ幹候が騒ぎます。

「あいつら何処行った? 逃げたのか?」

こまった兄貴分を抱えるアフロ三人組は完全にしらけております。
「オレにパンチ入れたヤツは誰だ?」

騒ぐオオイケ幹候ですが、誰も答えようとしません。

「オオイケさん、腹減ったからメシでも食いましょうよ」

吉野がなだめるように言いますが、オオイケ幹候、今度は八つ当たりです。

「何でお前たちは暴れなかったんだよ。オレがやられてりゃ飛び出すのが当たり前だろ」

そんなこと言われたって、ビバヤングの店内ならいざ知らず、こんな歌舞伎町のど真ん中で、しかもごついケンカプロみたいなヤツ相手に小僧がよってたかって何をしようが、返り討ちにされて張り倒されるのが関の山です。
まあ、後輩の前で気絶までしてしまったオオイケ幹候の気持ちを考えれば、無理もないのですが、こっちだってこんな酔っ払いのオッサンのために命がけでケンカするほど人間は出来ておりません。

「もういいよ、お前ら帰れよ」

そう言い捨てて歌舞伎町の人ごみの中へと消えていったオオイケ幹候でした。
残された三人は五十番でチャーハンをパクつきながら、吉野と委員長はケイゾーの闘志を讃えました。

「あにき、根性あるよね」

「ありゃ、ビルの用心棒だよな」

「ああ、パンチ早かったし、ありゃケンカのプロだね」

「でもよ、オオイケさん見捨てて逃げるわけいかねーじゃん。こっちも死ぬ気よ」

こんなことに死ぬ気で取り組むなよってもんですが、確かにこのケイゾー、困ったやつですが根性だけはありました。
更にこのケイゾーの根性は、翌日きっちりと証明されることになりました。

翌日は何もなかったかのように出勤した三人ですが、オオイケ幹候は案の定お休みです。支配人の梅ちゃんは大怒りしてます。そりゃ公休日の翌日の無断欠勤ですから、楽しい思いをしやがってこの野郎、くらいにしか思っておりません。

そこでアフロ頭三人組がフロントに呼ばれます。
フロントロビーに出張った三人は予想外の成り行きに驚きます。
そこには昨夜の三人組とその兄貴分のような、玉虫生地のスーツをビシッと着込んだ男が、支配人の梅ちゃんと対峙しているではありませんか。
玉虫スーツの男がゆっくりとドスの利いた声で話します。

「ウチの社員とお宅の社員が昨日もめたらしいんだけど、きちんと説明してもらおうか」

いつものようにおどおどする梅ちゃん。

三人組の一人がケイゾーを指差して「おたくでしたよね、昨日いたのは」と一言。
兄貴分がケイゾーにたたみかけます。
「もう一人いたはずだろ。どこにいんだ」

「今日は休んでるんです」雰囲気に飲み込まれて意外と殊勝なケイゾー。

「じゃ、お前がその当人連れて話しに来い。今夜中に連れて来るんだぞ」

そう言って名刺を一枚置いていきました。
場所は委員長やケイゾーがよく遊びに行っていた、スタッセビルの地下「シェラザード」でした。

早速皆で相談、オオイケ幹候に電話しますが、どうも昨夜の一発がかなり利いているようで声に元気もなく、心なしかロレツが変です。
ビバヤングの支配人梅ちゃんも相談には乗ってくれ、たかがディスコの従業員相手ならたいしたこともないだろう、と最初は突っ張っていましたが、どんな会社か良く知っている(スネさんの先輩とかいましたからね)委員長やケイゾーが、Y組が絡んでいることを話した途端、態度は一変して、「金だな」と結論付けます。

「俺ら金なんか持ってないすよ」ケイゾーが泣きます。

じゃオレが貸してやるからそれで話しつけて来い、ってなもんで、結局一人1万円として3万円(せこくネェか)で詫びを入れる段取りとなりました。
さて、オオイケ幹候は立てませんから、ケイゾー一人で行くことになります。
委員長も心配ですから、「オレも一緒に行こうか」と言うと、「こういうときはひとりで行った方が収まりやすいから」というケイゾー、伊達にイケイケだったわけじゃない、というような面子だけは立てたのでした。

「あにきぃ、ほんとうに大丈夫」ドラマチックになる委員長。

「ちょっとカッコつけてくっからよ、もしオレになんかあったときは、かーちゃん頼むぜ」
それだけは頼まれたくないなぁ、と心で思いつつも、

「そうだよ、あにき、あにきのかーちゃんに頼んでみたらいいんじゃねぇの。先輩もいることだしさ」

「バカ言ってんじゃネェよ、男のケンカに女出せるかよ」

「あにき、かっこいい」

ということで、梅ちゃんに借りた3万円を懐に、単身敵地に乗り込むケイゾーでした。

ケイゾーの話によると、向こうは喧嘩支度で数十人の黒い背広が居た、などと大げさに言ってはおりましたが、3万円で収まったところをみると、案外フツーに示談ってことだったのではないかと思います。
この事件がきっかけでオオイケ幹候は面子を失い、結局は店も辞めプー太郎と成り下がり、挙句の果てに後輩のフクシマあたりとつるんで暗黒外へ一直線、ってよくありがちな転落物語でありました。

いよいよ明日からは新宿西口V-oneデビューに入りますよ。お楽しみに。
もうバイオレンスにもちょっと飽きたからね。
でも、オーバーじゃなくて、当時は本当に喧嘩が日常茶飯事ってくらいで、昔は皆血の気が多かったんですかね。でも最近のバイオレンスとは質が違いますよね。
最近は不良印のステッカーも貼らずに、やくざ以上の無茶をする子供も多くて、まさに狂気の沙汰って感じですね。






最終更新日  2005年06月22日 10時02分07秒
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2005年06月21日
1975年夏、二十歳になったばかりの委員長は自堕落な生活に明け暮れる毎日、バイトで稼いだ少しばかりの金も2回の新島旅行とディスコ通いですっかり使い果たしてしまい、それでも未だ懲りずに無軌道な道楽道を突っ走っていたのでした。
もうこの頃は家にも戻らず、夜な夜なケイゾーのサバンナで寝るというようなフーテン生活を送っておりました。とはいうものの無一文ではゴハンも食べれず、かといってまだ働く気にもならず、思いついた究極の手段が「居候」でした。
その頃、中学時代の同級生が吉祥寺商店街の八百屋で働いており、ケイゾーの家からも近いしこりゃ都合がいいやってなもんで、旧友“てっちゃん”の住む三鷹のアパートへ転がり込んだのでした。
てっちゃんは、通称コマバカ、いや失礼、駒場学園の出身で、高校時代は共に「仁義なき戦い」を見て興奮したバカ友の一人でもありました。
てっちゃんは、高校時代、下高井戸に下宿していたので、委員長は当時の彼女とここによく入り浸っては、同棲ごっこなどやらかしたりしておりました。
そんな仲の二人でしたから、委員長が訪ねていくと、そりゃあもう喜んでくれて、なんなら一緒に八百屋で働けなぞとも言ってくれて、本当に良いヤツでした。
このてっちゃんも委員長と同じく母子家庭の育ちで、中卒と同時に町田の山崎団地(そうです、あの有名な不良の巣窟となった)に引越し、委員長との縁も切れかかったのですが、弟が兄貴以上にしっかりと不良の道に入ってしまい、仕方なく下宿生活、そして高卒で就職という典型的な不良少年の更生人生を歩んでいたのでした。(ほんとかよ)
ということで、一人住まいの寂しさもあってか、委員長の居候を歓迎してくれ、そこは働いている者の強み、とにかくお金がありますから、食べることには事欠かず、挙句の果てはディスコなどへも連れてってくれるし、いっそここでずっと暮らしていこうかい、などと不埒な思いをめぐらす不届き者の委員長でした。

この頃の吉祥寺界隈は、オープンしたばかりのインディペンデントハウス(ここは時間制バイキングシステムという新しいタイプのディスコとして話題を呼びました)、バンド&DJのベルファン(ここはやたら不良が出入りして喧嘩が多かった)、老舗ディスコ城などがあり、三鷹市、小金井市、八王子市、立川市あたりの遊び人が出入りしておりました。
とはいうものの、今ほどの活況さはなく、こじんまりした繁華街ってな感じでした。

委員長は時々デカイ頭を買われて、てっちゃんと一緒に閉店後の八百屋の前で売れ残った果物や野菜を売って小遣いを稼いだりしました。
週に一度、親方(社長)の好意で当日の売れ残りを破格で分けてもらい、閉店後の店頭で売るっつーような力技、テキヤさんのような仕事をしたわけです。
まだアフロヘアが珍しい時代でしたから、おばちゃんとかには結構人気者になったりして、「キャー、これ地毛?触らせて」とか言われて、「そのかわりこのバナナ買ってよ、おねーさん」などと媚売って、それなりに売上もありました。
商店街の店じまいに合わせて八百屋の閉店が8時ですから、7時頃から店の片付けを手伝いながら商売の準備を始めて、閉店と同時にスタート、9時までの1時間が勝負でした。勤め帰りのOLや買い物に遅れてきた主婦などがお得意さんで、傷物の野菜や果物を叩き売る楽しさもまんざらではありませんでした。仕入れ代を超えればあとは全部自分たちの利益ですから、そりゃ売り方にも力が入ります。
まあ、こんな経験も後にDJやダンサーとなった時、ショーアップなどに生かされたわけですね。(そうかなぁ)

夜9時までに売り切って後片付けを済ませ、ディスコ衣装に着替えていざ出陣ってなもんで、稼いだ金はすぐにインディや城、ベルファンなどで浪費するという、江戸っ子気質丸出しの生活を楽しんだのでした。
ちょっとばかり金回りが良くなったという噂を聞きつけると、どこからかともなくバカ野郎達が集まってきます。ケイゾーはともかく、何故かビバヤングをクビになったフクシマやオオイケ幹候(この人もこの頃プー太郎してまして、その経緯もまた面白いので後でお話します)がくっついてきて、三鷹のひっそりとしたてっちゃんのアパートの暮らしは一転してドンちゃん騒ぎのアジトと化し、ご近所の皆様に大変ご迷惑をおかけ致しました。
当時の三鷹って、本当に閑静な町(と言うより田舎)でしたので、やたら目立ってしまったのは間違いありません。
今にして思えば、てっちゃんって本当に人格者と言うか良く出来た友達でした。
八百屋の朝は早いですから、朝7時には出勤です。もちろん1日働いて夜8時に帰宅します。疲れて帰宅すると部屋にはワケのわからない居候がグデグデしていて、メシなど勝手に自炊したり、ステレオでディスコサウンドをガンガン鳴らして踊りの練習、しまいにはアンパンなど喰い始めて、人の家を何だと思っているんだ(何とも思っていませんね)、などと怒りもせず、一緒になって騒いでくれたてっちゃんでした。
さすがに委員長もいよいよ責任を感じて、てっちゃんのアパートを出ることを決断したのです。(ならモット早く決断しろよ)

放蕩生活もここらが潮時です。
そろそろ仕事をしなくちゃなあ、と思い始めたのは委員長だけではなく、ケイゾーも車のローンやガソリン代をそういつまでも親に甘えるわけにもいきません。
まだ夏を残したままの8月、委員長は仕事を探して再び新宿に戻ってきました。
ケイゾーと委員長が仕事を探し始めると、一緒に働きたいなどと言ってフクシマが後をついて回るようになりました。
楽しい職場じゃなきゃイヤだってなわがまま野郎ですから、職探しにしてもどうも真剣さが見られません。
結局は新宿の知り合いのところへ行っちゃ、タダメシ、タダコーヒーなど頂いて、「どっか仕事ネェかなぁ」などと口で言ってるだけで、働く気などあるようには到底思えません。
知り合いだっていい迷惑です。
どうみたって、不良の仲間にしか見えないバカにウロウロされて、メシやコーヒーをたかられるのですからかないません。

このころフクシマは親に金を借りて新宿に近い初台にアパートを借りました。
結局、仕事を探すと言ってはこのアパートに燻って、グダグダするのがオチでした。
そんなある日、フクシマに誘われて「怪人二十面相」というスナックに行きました。
高校生の頃によく出入りしていた、いわゆる50’s、60’sのロックンロール系ファンの集まる店でした。
この店にフクシマの烏山工業高校の同級生(といっても中退仲間)が働いていて、バイトを探しているという話を聞き、二人揃って出張ったのでした。
行って見ると、なんとまたまた久我山のバカ、烏校(カラコウ)の同級生、新登場のヒデトが既に働いていたのでした。
何でも、フクシマと委員長が来る前の日に決まったということで、一足違いでチャンスを失った二人の前で、「ワリぃなぁ」と申し訳なさそうにする童顔のアフロ小僧、ヒデトでした。
仕方なくまたもやフクシマのアパートに戻ってみると、部屋にはオオイケ幹候とヨシワラの二人が、おねーちゃんを連れ込んでアンパンを喰っているではありませんか。
さすがに怒りを爆発させて狂犬小僧フクシマが暴れます。
年下の、しかも元部下のフクシマに「出てけよ、テメー」などと罵られるオオイケ幹候、完全にラリってしまってロレツも回りません。
一時はビバヤングの兄貴と慕われたこの人が、こんな情けない姿になってしまったのは歌舞伎町のノックアウト事件がきっかけでした。
このお話はまた明日。。。。。






最終更新日  2005年06月21日 17時00分36秒
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2005年06月20日
アフロ小僧の新島旅行は、結局なんのこたぁない野郎同士の冴えない旅となりましたが、取り敢えず黒人を目指す二人の肌は少しだけ黒くなりました。
無事本土に戻った二人は、早速色の黒さを自慢しに新宿に出張って、新島「くろんぼ」仕込み(笑)の草履でも踊れるオールドマンをご披露したのでした。

この頃、委員長とケイゾーの二人は新宿ブラックシープよく通っていました。
フロアが三つのコーナーに分かれていて、手すりで仕切られた段違いのフロアがちょっとTVのソウルトレインのステージっぽい感じで気に入ってました。
バンドも週末は黒人バンドが出たりして、かなり黒っぽいイメージの店でした。
新島帰りのアフロ小僧二人組は、早くもここで若いおねーちゃんをナンパしてしまいます。彼女たちは第一期サーファーファッションとでも言うのでしょうか、当時は畳地の厚底ぞうり(雪駄を上げ底にしたようなぞうりですね)にボンタンみたいなダボダボジーンズ、アロハにプカシェルってのがちょっと粋なファッションでした。
ハワイ帰りだぜぇ、みたいなスノッビー・ファッションといったところでしょうか。
そんなナリした二人組を誘って夜のドライブ、羽田空港まで行ったのですが、よく見りゃ高校生に近い幼顔の二人、道楽者とはいえ、こりゃちょっとやばいんじゃないのってことで、この日はこのまま中野あたりまで送ってお別れしました。
特に委員長の場合はソウルシスターを追い求めておりましたし、言うなれば自分たちだって二十歳になったばかりの若造ですから、年上はウェルカムでも年下は子供っぽくてイマイチ気乗りしませんでした。
後にこの子達と委員長は偶然再会することになるのですが、なんとこのときケイゾーはしっかり電話番号などをGETしており、きっちり裏で付き合っていたのです。後でこの事実を知った委員長は、ケイゾーの腰の入ったスケベ根性に感服したものでした。

また、ブラックシープの隣にあったQ&Bにも時々顔を出しておりました。
ビバヤングのチェーンということもあって、親近感があったのか、別段知り合いがいたわけでもなかったのですが、天井の低い薄暗い感じが昔っぽく、大きな鏡も気に入っておりました。
そんなある夜、賑わうフロアででかい顔して踊っている委員長の前に、黒人のハーフのようなアフロ小僧が躍り出てきました。

「あにきぃ、久しぶり~」
おっと、吉野君の登場です。
久々に見るジョイ吉野の顔は、妙に色が黒くて羨ましいくらいの黒人顔です。
それに比べて委員長の新島仕込みの日焼け肌は、まだまだ修行が足りません。

「おめー随分色黒いなぁ」

「俺んち、実家が御宿だからさ~」

「最初見たときハーフかと思ったぜ」

「実は昨日まで大島行っててさ、全身ばっちり焼いてきたんだよね」

く、くっそー、新島の方が大島より遠いのに、なんで負けたんだ、などとわけの分からない地団太を踏む委員長でした。

悔しがる委員長は早速ケイゾーを巻き込みます。
「あにきぃ、俺ら負けてちゃまずいんじゃねぇの」

「負けるって、何が?」

「色だよ、色。何であいつの方が色が黒ぇんだよ」

「なこと言ったってしょうーがねーじゃん」

「もういっぺん行こうぜ、新島」

「あー? 別に日に焼くんだったら江ノ島でも大磯でも良いんじゃねーの」

「だめなんだよ、大島に負けちゃ、新島に悪いだろ」(なんのこっちゃねん)

ということで、わけのわからない委員長の剣幕に押されるケイゾーがしぶしぶ承諾して、新島旅行第二弾が計画されたのです。
ところが、ここでケイゾーの彼女、スネさんも黙ってはいられません。
それでなくとも男好きの疑いをかけられている委員長ですから、二度も二人だけで島に渡るとなると更に疑い深くなります。
ひょっとして女連れて行くんじゃないかとか、やっぱりこの二人できてるんじゃないかとか疑心暗鬼に陥っています。
じゃ連れて行けばいいんじゃねーか、とケイゾーに聞くと、俺だけ彼女連れてっちゃ、あにきに悪いからってなこと言い出して、そうかよ、俺にゃ女がいなくて悪ぅござんしたね、といじける委員長。
そこでスネさんが間に入って、友達連れてくるってなことで話がまとまりました。
またかよっ。
そうです、予想通り委員長のパートナーはS子でした。
しかしよく考えてみれば、この二人、友達が少ないのは当たり前だよなぁ、などと同情する委員長でもありました。(口にしたら絞められてただろうなぁ)
4人で行くと決まったら動きの早いスネさん、早速船の手配からお弁当のおかずまで、夫婦気取りできっちりと仕切ります。
まあ、こっちは日焼け目的だから、誰が行こうが何をしようがしったことではありません。とにかく、よーっく日に焼けるようにコパトーンのオイルなども買い込み、今度こそ黒人になるぞーっと気合の入る委員長でした。

さて、ダブルデート(?)の新島旅行ですが、7月も半ばを過ぎれば一斉に夏休み、ピークシーズンに入りますから船の切符も中々取りにくくなります。
浜松町・竹芝桟橋からの直行便は満席で、熱海からの高速艇しか取れません。(ホントに当時は伊豆七島は人気がありました)
ということで、新幹線で熱海まで行き、1泊して高速艇で新島へという旅程が組まれました。
当日朝は新宿で待ち合わせ、どうせなら午前中に熱海まで行ってその日も無駄なく遊びましょうってなことになりました。
アフロリーゼントのS子は、委員長とケイゾーのお揃いアロハに倣って、不良少年御用達原宿ハラダでスネさんとお揃いのアロハ、しかも上下ペアの甚平スタイル。
アフロ頭二人とこのスケ番二人組、一体回りの人たちはどのように見ていたのでしょうか? 今にして思えば、新宿最強のタッグチームだったような気がいたします。

さて、熱海に着いた一行は、山の上の素泊まり宿に一泊して、翌朝熱海港から高速艇で新島に渡ります。
ところが低気圧の影響か、曇天で風も強く、結局はこの日は海岸を散歩しただけで終わり。翌朝は小雨まで降り出す始末。
不安な面持ちの乗客は列を作って乗船を待ちます。
乗船客の中、一際目立つ委員長たち一行を見つけて声をかけて来た青年がいます。

「また会ったね、僕もこれから行くんだけど、天気悪いよね」
アフロレイキのボーイ長マー坊でした。

「やっぱ、竹芝からの船取れなかったの?」

「いや、僕はいつもこっち使ってんだよね。速いから」

愛想笑いの委員長、こいつ結構金回りいいんだなぁ、と内心うらやましく思ったりしました。

「ところでさ、これ買わない」
マー坊がバッグから取り出したのは、当時大流行のプカシェルでした。

「1本千五百円なんだけど、ロニーだったら千円でいいよ」
おー、きっちり名前を覚えててくれたのかって、悪い気はしません。
マー坊のバッグにはざっと30本近くのプカシェルが入ってます。

「毎週仕入れに帰ってるからさ、まとめて買ってくれればもっと安くできるし、ディスコでも結構さばけると思うよ」

おお、なんとこいつはこの若さで(って歳知らなかったんだケド)、こんなことして商売してるのかぁ、大人だなぁ、なんぞとと感心しつつも、色黒自慢で競い合ってる自分がなんだか非常に子供っぽく思えてしまい、負けずに大人っぽく見せるためにも、その場で1本買ってしまった委員長でした。(きっちりセールスのツボにはまったわけです)
おまけに、隣に居たS子を目ざとく見つけて、「彼女にも買ってあげたら?」などと調子こかれて、なけなしの二千円をふんだくられたのでした。
さらにマー坊、その横にいたケイゾーとスネさんつかまえて、「ジミーもどう?」ってなこと抜かしたもんですから、「えっ、ジミー?ってなによそれ?」ってな具合にスネさんに詰め寄られてシドロモドロするケイゾーも、きっちり2本買わされてしまったのです。
このマー坊ってヤツぁ、本当に大した野郎でした。

お揃いのプカシェルをしっかり首に巻いて船に乗り込んだ一行は、この後更なる災難に見舞われることになったのです。
海は大シケ、危ないからって甲板にも出れず、皆船底の二等船室に閉じ込められたのでした。大波小波に船は揺れ、横になっていてもゴロゴロと転がりそうなくらいで、子供は泣き叫び、大人はトイレになだれこみ、身動きひとつできずに皆まんじりとしているこの船室こそ、まさに黒人が乗せられた奴隷船じゃないか、おお、これこそオレが求めていた本物のソウルマンだあ、などと呑気たれている場合じゃなく、黒い顔を目指してやってきたのに真っ青になってしまった委員長でした。
ケンカ自慢の姐御二人もさすがに船酔いには勝てず、揺れる船室の隅に張り付いていたのでした。
あー、こんなことなら熱海で遊んでりゃよかったなぁ、などとグチを言っても始まりません。ただひたすら到着を祈るばかりでした。

しかし、そこはさすがに高速艇、奴隷たちを乗せた船は荒波を乗り越え、なんとかブザマな姿を見せる前に島に到着してくれました。
桟橋から降り立った委員長はしっかりと新島の大地を踏みしめました。
やれやれ助かった、と気が緩んだ委員長、民宿のおばちゃんが運転する爆音ヘリコプター・ライトバンにトドメを刺され、新宿最強のタッグチームは遂にダウンとなったのでした。
で、結局は3日間ともお天気に恵まれず、委員長の目論みはもろくも崩れ去り、友情の印、白いプカシェルだけが4人の首の周りで輝いていたのでした。






最終更新日  2005年06月20日 15時03分30秒
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