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1977年頃のディスコのお話

2005年09月05日
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1977年大晦日は、SOUL馬鹿一筋で生きて来た委員長のひとつの節目でもあり、新たなチャレンジへ向けた78年の幕開けとして記念すべき日でもありました。

Tomorrow USAの年越しパーティーはドンちゃん騒ぎで盛り上がり、その勢いは衰えることなく深夜番の委員長を筆頭にムラちゃん、シゲル、バンドごっこで大活躍したKGとI君、更に委員長に憧れる山形出身のウェイター小鷹君、その先輩の増田君などと連れ立って明治神宮へ初詣に出かけることになったのでした。
USAグループ一行は、閉店間際のドサクサに紛れて手当たり次第におねーちゃんに声かけまくってナンパ合戦です。初詣の帰りにあわよくば姫始め、などという不埒な下心ミエミエ、神をも恐れぬ不届き者の罰当たり、しょーもない奴らでした。
委員長はといえば、実はしっかりと最近ナンパしたばかりのおねーちゃんC子をこの初詣に誘ってあって、何とか素晴らしい新年を迎えようと企んでいたわけです。

ところが閉店時間を過ぎ、そろそろ出発という時間になってもC子は現れません。
うーん、結局今年も女運はダメかぁ、とやや落ち込んだ委員長ですが、正月気分の盛り上がりの勢いは最高潮に達していますから、店に居残ったおねーちゃん数人を引き連れ、とにかく全員でしゅっぱ~つ!ということで、新宿駅から代々木に出て明治神宮参拝へと向かったのでした。
午前6時、未だ薄暗い参道を、寒さにもめげずぞろぞろと人ごみの中を一団は進みました。お賽銭を投げる神社の境内は、もうとにかく人だらけでお金を投げ込む順番待ちのような有様でした。
ようやく自分たちの番に来た一団は、せ~の!の掛け声と共に一斉に機動隊に向けて百円玉を投げ込んだのでした。拍手を打って各自それなりの祈願をしたわけですが、委員長はもちろん「早くこの生活苦から脱出できますように」という切実な願いを百円玉に託したのでした。
さあ、お参りが済んだらあとはどっかの屋台で一杯やって盛り上がるぞぉ~ってなもんで、一団は代々木方面へと向かいました。
参道の周りは屋台がずらりと軒を並べ、さすがにお正月の賑わいを見せておりました。
行き交う人々もみな完璧に出来上がっていますから、ちょっと油断をするととんだトラブルに巻き込まれたりしてしまいます。
特に、おのぼりさん系の兄ぃなどは、これだけ盛り沢山のジャンルの人を見ただけで興奮しまくってしまいますから、わけもわからず暴れたりします。
年初めから大トラ、大化けで大怪我したり、檻に入れられたり、ニュースになってしまう人々も少なくありません。もちろんニュースになるくらいのトラブルはかなり大きなモノですから、小さなトラブルならあちこちで起こるわけです。
火事見て興奮する奴とか、群集を見て興奮する奴とかは、そのほとんどが自分を見失うことにかけては天下一品、大凶を背負った性格ともいえます。
こういう人達は、「誰か俺を殺してくれ~」とか「誰でもいいから俺を殴って止めてくれ~」とかわめいて歩いているようなものですから、どのみち長生きできるような人生は歩めないでしょう。

さて、委員長の一団も、KG、I君、小鷹君、増田君、総勢5人がアフロ頭、しかも中のひとりは大胆な金髪メッシュ入りで目立ってますから、誰かに絡みたくてウズウズしているあんちゃん達にとっては格好の餌食そのものでした。
KGが空いているオデン屋の屋台を見つけて「ここ空いてますよ~!」と一団を呼び込んだところで、数人の少年ヤクザのご挨拶を受けることになりました。
どうも、自分ら以上に目立つ委員長たちが気に入らないようです。
向こうも女連れならこちらも女連れ、まさか喧嘩にはならないだろうとタカをくくっておりましたが、どうも向こうは正月早々人気者になりたがっているようでした。
早速おとなしそうなKGが因縁コカれていまいます。

「おまえ面白い頭してんなぁ、男か女かどっちだぁ?」

無視するKG。
更にあんちゃんは委員長たち一団に向かって挑発します。

「なんだぁ、オカマの集まりかぁ?」

正月早々弱っちゃったなぁ、ってことで、「触らぬ神に祟りなし」って感じで無視してオデン屋の屋台に腰をかけます。

「シカトしてんじゃねーよ」

どうしても遊んでもらいたいようです。
あんちゃんはKGの前に立ちふさがって脅しかけます。
どう考えても多勢のこちらに分があるにも関わらず、屋台の前まで乗り込んでくるところをみると、よほど軟弱な一団に見えたのか、あるいは皆で袋叩きにでもされたいのか、トラブルメーカーのあんちゃんが吹き上がってこちらの顔ぶれを舐めるように見渡しました。
一瞬全員の背中に戦慄が走りました。
しょうがねぇな、と立ち上がろうとした委員長を飛び越えて、あんちゃんは坊ちゃん顔のシゲルを見て凄みます。

「何見てんだ、テメーこの野郎」

静かに立ち上がったシゲル君はゆっくりと屋台から離れて言いました。
「てめぇの顔があんまりみっともねぇツラだから見てんだよ」

「なんだぁ、この野郎」

思いがけないシゲル君の言動に驚いたのはあんちゃんばかりではありません。
オデンの鍋を前にして座っている一団の誰しもが意外な展開を見守っていました。
あんちゃんはシゲル君の背後から肩を怒らせて声を張り上げました。

「やんのか、てめぇ」

あんちゃんの仲間の少年ヤクザ二人が後を追います。
屋台から数歩離れたシゲル君は、後ろから首を振りながらついていくあんちゃんの方にゆっくり振り返りざま、いきなり右フックを喰らわせたのでした。
あんちゃんの顔面が真横に飛んだと同時に、膝からがくんと落ちてその場にドサっと倒れこみました。
冷静なシゲル君は少しも興奮した様子もなく、足元に転がったあんちゃんの後ろに呆然と立ち尽くす仲間二人に対して軽くワンツーのポーズ、無言でにやりと笑いました。

屋台に座った委員長他一団は、顔だけ外側に向いたまま少年ヤクザ二人同様呆然と成り行きを見守っていました。
シゲル君の足元で白目を剥いて口から泡を吹いているあんちゃんを見て、仲間二人は言葉に詰まった様子で倒れたトラブルメーカーを抱き起こして、引きずるように連れ去っていきました。意識の戻ったあんちゃんは自分に何が起こったのかも分からぬまま、ややロレツの回らない口で何かを唸っていましたが、仲間二人が足早に引きずって行きました。

屋台の一同、首だけでシゲル君の姿を追っていきます。
シゲル君は何もなかったように屋台の長椅子に腰かけて一言。

「熱燗にしようかな」

KGが講釈をたれます。

「シゲル君ボクシングやってたんですよね」

一同無言で頷いて納得です。

「モロに入っちゃったからなぁ、今のフックは。ちょっと可哀想だったかな」

おとなしい顔して恐ろしい奴です。
KGが更に調子付いてMCを入れます。

「シゲル君の弟さんも中学から番張ってたんですよ。兄弟で恵比寿ジョーカーズでしたから」

以前のパラキン事件でのシゲルの迫力を知っていた委員長は殊更納得しました。

「余計なこと言うなよ」
シゲル君が静かな口調でKGを制します。

「一度弟さんにも助けてもらったことがあるんですよ」

意外?という顔でシゲルがKGに聞きました。

「マサルに?」

「ええ、前に僕が先輩から毛皮のコート借りたとき、汚れたからって5万弁償しろって脅されたことがありまして、そのときマサルさんが間に入ってくれたんですよ」

「へ~え、マサルがねぇ」

「まあ、まあ、とにかく今日は正月なんだから、まずは乾杯!おめでとうございます」
と委員長の音頭で乾杯。
1978年の始まりも波乱含みのスタートです。

タコやハンペンなどをかじりながら一杯やった一行は、それぞれのお正月を楽しむため帰途につきました。
あたりもようやく明るくなり、周りを見渡すと益々正月気分に沸く元旦の明治神宮でした。
委員長は小田急線なのでここで皆に別れを告げ神宮の参道を、参宮橋駅方面へ向かって歩き出しました。
初詣で歩いてきた道を再び逆行していく委員長、その前方にモロに委員長好みの南方系髪の毛チリチリ女が歩いてくるではありませんか。
しかも委員長の顔を見ています。
おっ~と、なんとそれはC子ではありませんか。
一瞬委員長の頭が炸裂したのは言うまでもありません。

「ごめんね、友達と一緒にいてちょっと間に合わなかったんだ」

そう言って委員長の顔を見つめるC子。
言葉に詰まる委員長。
まさに運命の出会いでしたね。いくら何でも話が出来すぎだろうって?
でもこれは実話なんですよ。何かの縁があったんでしょね。
こいつぁ~春から縁起がいいぜ。
この年一気に舞い上がっていく委員長の忘れられない元旦、1978年の幕開けでした。






最終更新日  2005年09月22日 15時22分06秒
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2005年09月04日
ディスコ親爺の昔話もとうとう100回目を迎えることになりました。
これもひとえに本人の努力の賜物、皆様にはお礼の言葉もございません。
ございませんので言いません。(すんませ~ん、綾小路キミマロさん、パクりました)
いやーしかし、よくもまあこれだけ書くことが次から次へと出てくるものだと、当の本人も飽きれかえっている始末です。
言うなればそれだけ真剣に道楽に打ち込んだというか、人生賭けて遊んだと言うか、馬鹿なことばかりして楽しかった時代だったということの証でもあります。
とは言うものの、これらの話の全てが貧乏自慢と申しますか、馬鹿自慢の話ばかりで、どう考えてもまともな生き方であったとは到底思えませんが、どんなにくだらないこととはいえ、なんにせよ自慢のできるものがあるということは素晴らしいことでもあります。(なんのこっちゃねん)
これだけムチャクチャな生き方をしてきた割には、結構フツーの親爺になった(でもないか)今の自分を思うと、ことさらに可笑しさがこみあげて参ります。
まさに「親は無くとも子は育つ」の言葉どおりです。(ちょっと意味が違うと思うけどなぁ)
幼い頃から言われ続けてきた、「そんなに遊んでばかりいると立派な大人になれないぞ」とかいうお説教にもメゲズ道楽道を貫いて遊び倒してきた委員長の人生訓でもあります。
確かに立派な大人にこそなれませんでしたが、ろくでもない大人にもなってないところをみると、どんなにデタラメな生き方をしようが、まあ言うなれば本人の意思次第でフツーの大人くらいにはなれるということですね。
まあ、何を持って「立派な大人」というのかわかりませんが、少なくとも手鏡で女の子のスカートを覗いてみたり、女子トイレにビデオカメラを隠したりするような立派な大人にはなれなかったことがせめてもの救いです。
現在道楽道を突き進んでおられる若手の皆様、なんにせよほっといても歳は取れますし、最低でもフツーの親爺くらいにはなれますからどうぞご安心下さい。

もちろん道楽者がフツーの大人になるためにはそれなりの苦痛や苦労も伴いますが、少なくとも人の倍以上は楽しい思いをしたことと引き換えにしても損はなかったのかなぁ、とも思える今日この頃です。
(何が得で何が損かはわかりませんが)
人生には損得で測れる規準なんてもの自体がありませんから、自分の心のままに生きていくことが全てであると断言できます。まして生き方の教科書なんてものもありません。
人間なんてものは息を引き取るその瞬間まで感情があって、喜んだり悩んだりし続けますから、その時代時代で、人の人生が良く見えたり、自分の人生が良く見えたりと絶対的な尺度では測れませんし、一生ひとつの感情で生きているわけでもありませんね。
人が生きていく上で悩むこと、苦しむこと、更に、喜ぶこと、感動することはどの人間にも与えられた共通の機能ですから、良いことばかりで生きてきた人なんてのは存在するはずもなく、また、苦しいばかりの人生なんてのも有ろうはずがないわけです。
ひとつだけ確かだと思えることは、「若さ」とは全ての人間に与えられた唯一平等な「才能」であるということです。どんな人にでも、もれなく付いてくる「才能」、それが「若さ」です。
とにかく「若い」ってことは、もうそれだけで「才能」なんですね。
この才能をどのように、何に使うかはその本人の自由であり、生きている以上例外なく万人が持つ特権なワケです。

今日は何故こんな話をしたかと言いますと、委員長の昔話もいよいよこの「若さ」と言う「才能」が開花する時代に突入しつつあり、まさに馬鹿自慢も頂点を極めていくことになりますが、残念ながらこの「若さ」には賞味期限と言うお約束があるということをお伝えしたかったからです。この「若さ」という「才能」はその人の人生において、一生際限なく与えられているわけではありませんから、本人がどんなに抵抗しようが、しがみつこうが終わりは否応無くやってきます。なんとか誤魔化しながら多少の延長も認められますが、これも言うなれば疑似体験のようなもので、次にやってくる「若さ」という「才能」を持った人と交代する日は泣こうがわめこうが必ず来てしまうのです。
ですから、これからこの「才能」の訪れを待つ人には、このお約束を守って充実した「才能」を存分に発揮して頂きたいと思いますし、すでに賞味期限の切れた「才能」をお持ちの人には、今なお生まれている数々の「才能」を育てる楽しさを知って頂きたいと願っております。
特にこれから続く昔話の後半は、こういった時代との決別、「若さ」という「才能」の終焉に直面していく道楽者の「その後」を書いていきたいと思っていますので、馬鹿を自慢する道楽者が一体どのようにしてフツーのおっさんになっていったかというような真実の告白(笑)、はたまた、大馬鹿野郎が一般人社会への復帰に向けたリハビリなどの大変興味深い(?)内容が盛り込まれておりますので、道楽道を目指す方々にとって何かしらの人生のヒントを示すことができれば道楽者冥利に尽きるというものです。
ということで、道楽者の昔話は続いて行きます。

1977年暮れ、ディスコ業界には新たな旋風が巻き起こりました。
オカマ・ダンスの登場です。
凄いですね~、オカマ・ダンス、初めて耳にされる方には想像もつかないのではないでしょうか。
発祥の地は不明ですが、一般的には新宿ツバキハウスというディスコから生まれたファッションと言われております。
踊り方はいわゆるモデルウォークが基本で、ファッション・ショーでモデルが衣装をまとってステージでショーアップする独特のポーズと歩き方を真似たものです。
当時新宿で一世を風靡した「エル」というニューハーフ?が広めたことからオカマ・ダンスと呼ばれるようになっていきました。彼(彼女)が実際にゲイだったかどうかは知る由もありませんが、男が化粧して踊るところからそう呼ばれたのでしょう。
時代背景にも、ブリティッシュ系ロッカー(今で言うビジュアル系)とか、YMOとか、男性が化粧をする風潮もあり、着飾ってディスコで踊るというひとつのムーブメントが新宿から巻き起こっていったのでした。(詳しくは昔話その86参照して下さい)

DJもこのあたりからちょっとした新風が吹き込んできました。

「さあ、手拍子いっちゃいましょ~う!」(もちろんこれって男性DJですよ)

ってかけ声と共にフロアで踊っている客が両手を挙げて手拍子打ったり、

「さあ、まんなかあけて輪になりましょ~う!」

とか言いながら客を扇動していくという、まるでコンサート会場さながら、まさにライブ風なノリが現れました。
(幼稚園のお遊戯みたいだったですけどね)

このDJの喋り方も、おすぎとピー子風?って感じのやわらかい口調が、フロアで踊るファッションマニアと重なって一種独特のムードを醸し出しました。このあたりもオカマと表現された理由ではないでしょうか。
今までソウルやステップといった輸入文化の上で遊んでいた子供たちが、遂に自力で生み出したというか自然発生した新しい文化がこのオカマ・ダンスでした。
もともと盆踊りとかお祭り好きな日本人ですから、扇動する者があれば団結力は強烈な底力を発揮します。
新宿界隈のOL(今風に言うとデパガ)とか女子大生とかが、このブームに一気に感染していきます。

今でも印象に残っているのが、大橋純子さんの「シンプルラブ」ですね。
この曲で全員オカマ・ダンス(モデルウォーク)してうねるようにフロアーを踊り歩きます。
ここですかさず「手拍子いっちゃいましょう!」なんて煽った日には、全員で両手を挙げて手拍子打って爆発です。
この光景を目にした週刊誌の取材記者が「ディスコという宗教」と表現したのも頷けます。
彼らの目にはこの群集を煽るDJはまさに教祖様に見えたのではないでしょうか。

マニアっぽいオカマ族はそのファッションも益々エスカレートしていき、中近東ファッションや、無機質なテクノファッション、YMOなどが中国の人民服などをアレンジしたアジア系のエスニックファッションなど等、この時期から流行も一色に染まることなく、各自のパーソナリティや持ち味、個性を主張する時代へと変わって行きました。
これらのニュー・ムーブメントに加え、従来のSOUL系ファッション、ROCK系、パンク系なども混じり、まさに新宿は文化鍋のごった煮状態となり、独自の街文化を形成していくことになりました。
当時の一般的なファッションの流れから行くと、女性はニットのワンピースにロングブーツ(踝の辺りがちょっと垂れた感じですね)とか、バギートップなどが主流でした。

音楽の方もごちゃ混ぜ状態、踊る曲全般をひっくるめて「ディスコサウンド」と呼ぶようになったのもこの頃からでしょう。
委員長が特に印象深かったのは、YMOの「コンピューター・ゲーム」という曲がビルボードの上位にランキングされ、これを黒人たちがFUNKYと言って踊っていたことでした。
音は、確か風船を割るゲームのBGMをベースにした単調な音楽だったと思います。
でもビートのメリハリが確かに重くてヘビーな感じで、踊ってて心地よいサウンドでした。
後年、「東風」とか「勇者ライディーン」とかの一大ブームを巻き起こすことになるのですが、その片鱗を見せた一曲と言えるでしょう。

そしてこの77年の年の瀬、メッシュ入りのアフロの委員長はナンパ技術の全てを屈指して新しい彼女を遂にGETしたのでした。
ダイアナロスのような顔立ちをしたカーリーヘアの彼女C子は、委員長のナンパの手練手管の罠にはまり道楽者人生へと巻き込まれていくのでした。
バンド・デビューを目指して大きな夢と期待に胸膨らまた委員長は、しっかりズボンの中も膨らませて道楽者の王道を行く1978年を迎えることになっていくのでした。






最終更新日  2005年09月22日 15時21分44秒
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2005年09月03日
秋晴れの土曜日、派手やら地味やらの混合バンドの一団は赤羽線十条駅に降り立ったのでした。

「いやー、ちょっとやばいんじゃないのここら辺」
やたら興奮する委員長を尻目に、一団は目指す家政大学へ早足で進みます。

「ロニーさん、僕達ってちょっと目立ち過ぎてません?ここらで」
同じく動揺を隠せないKG。

わけもなく多少興奮気味の我らがバンドごっこのメンバーはコンサート会場の教室に到着しました。
いわゆる大学の教室ですが、それとなく飾り物などが施してあり、模擬店風に飲み物なども売っていたりして、ちょっとしたライブハウスといった面持ちでした。
プログラムは4バンドの出演となっていましたが、委員長のバンドは名前がなく、「正宗&ザ・バンド」となっていました。
どーゆーことかムラちゃんに尋ねると、アッちゃんの芸名が正宗だそうで、ロニーズバンドはレパが2曲しかないので、いくらなんでもバンド名はオコガマシイので、アッちゃんのバックバンドということになったようでした。
しかし、アツシ君のセンス、凄いですねぇ、「正宗」って何だか刀匠みたいですね。
岩窟王の方がピッタリと来る感じなんだけどなぁ。
ということで、対バン(対抗するバンドのことです)はフォーク系ポップスバンド、ヘビメタ系(当時はヘビーメタルという呼び方はありませんでしたが)ロックバンド2組、そして我らがロック&ソウルバンドの4グループが演奏を競い合うのでした。(笑)
教室の裏の通路のようなところが楽屋になっていて、ここで皆持参したそれなりの衣装に着替えます。
アッちゃんはいつもの赤のボタンダウンのシャツから青のボタンダウンに着替えます。
(ほとんど意味がわかりません)
H氏はなんと昇り竜の刺繍の入ったガウンを羽織ります。
さらにミニアフロのカツラにサングラスとかなりの入れ込みようです。
その姿に一同「おおっ~」と声が上がります。
「昨日吉祥寺で見つけて買って来たんだよね。これでかなりソウルバンドでしょ」
と、かなり自信アリの表情です。
シゲルは大人しいアイビー系でしたが、シャツを脱ぎTシャツの上に委員長が着てきた革ジャンを羽織って襟を立てます。
大人しい顔立ちながらもしっかりとした体格に革ジャン、Tシャツはそれなりに雰囲気が出ます。
ムラちゃんは黒のフレアーに黒のシャツ、サテンの黒ジャケットに黒のハンチングと黒ずくめのブラックマンですが、ちょっと間違えると変質者の親爺になりそうです。
そう言って委員長がからかうと、「いっひっひひー」と妙な笑い声を立てて怪しい目付きをして見せるムラちゃんでした。
そしてドラムスの石○君といえば、
「ボクは特別衣装にはこだわってませんから」
と、相変わらずの白ワイシャツに白の綿パン黒の革靴です。
そっちがこだわらなくてもこっちがこだわってるんだけどなぁ、とやや不服な委員長でした。
委員長はもちろんラメ入りのジャンプスーツです。
脇役ダンサー二人は主役の委員長を盛り立てるため、チョイ地味なお揃いのジャンプスーツで準備万端整っています。
さあ、いつでも来いってな感じで気合が入りますが、さすが主催者である企画委員会が知り合いの強みで、委員長たちのバンドの出番はもちろんトリになっています。

ちなみにこういったアマチュア・バンドの競演とかコンテストってやつは、リハーサルの音出しの段階でほとんど勝負がついてしまいます。
アンプの調整やPAのセッティングで1曲演奏すれば、大体どの程度の腕前かはわかってしまいますから、ちょっと気の小さい奴らだと本番前にビビって帰っちゃったりする場合もあったりします。
このあたりがアマ・バンドは実に面白いですね。
ファッションとか楽器とかでハッタリかましたりしますが、実際に演奏してみればその実力は一目瞭然、本番前にランキングは決まってしまうわけです。
さて、我らがアッちゃんバンドはどうだったかというと、まずメンバーの異様さとアフロ三人組みに威圧されて、フォーク系は当初よりビビリまくり、本来イケイケであるはずのヘビメタ系ですら、親爺だの若いのだの頭がデカイだのが入り混じったこのバンドの醸し出す異様な雰囲気に少々恐れを抱いているようでした。
さらに、リハーサルの音出しが始まり、次々とバンドが調整のための演奏を開始する中、なんと我バンドの若手ドラマー石○君はステージの真ん前のイスに寝転んでいるではありませんか。
これにははっきり言って委員長も驚きました。
まるで対バンにケンカを売っているような態度です。
しかし、その態度たるや、挑発というよりは明らかに相手にしてないといった風の、完全に舐めきったものでした。だってこいつ本気で寝入っちゃったんですよ。
頼もしい奴っちゃなあ。
委員長はこの時から彼の根性に一目置くようになりました。
金髪振り乱してガンガン音鳴らすメタルバンドの真ん前で、いびきかいて寝てる18歳の少年なんて想像を絶する登場の仕方です。
ルックスはイマイチかもしんないけど、たいした根性者だぜこいつは、ってなもんで、ムラちゃんはもとよりシゲル君も彼の度胸を認めざるを得ませんでした。
さあ、我らがアッちゃんバンドのリハはアッちゃん一人に任せて、あとのメンバーはかなり適当な音出しで余裕をかまします。
とは言うものの、やはりドラムはバンドの要、基本的基本ですから、ちょっと叩けば実力は歴然とします。さらにシゲルのチョッパーも軽くベンベンと弾いただけですが、すでに回りを威嚇しています。
さらにアフロ三人衆は何もしません。マイクのテストとポジションを確認しただけで終わり。益々妙なバンドは不気味さを漂わせています。
一体、何なんだよこいつらは~、みたいな感じですね。
大体バンドとかショーなんてものは、この始まる前の期待感とか不安感があってこそ本番が生きてくるものなんですね。
期待はずれってこともありますが、見るものの理解を超えた所にこそ面白さがあるわけです。(そうなの?)

さて、いよいよライブハウス模擬店の開演です。
まずはちょっと若手のメタルバンドからスタートです。
ナリからして結構真面目なコピーバンドといった感じで、技術的にはまあまあでしたが、面白みのないアマチュアっぽいバンドでした。
身内が数人見にきていましたが、開演はちょっと可愛そうなくらいがらんとしていました。
続いてフォーク系バンドの登場です。
4人組みで、アリスみたいな感じのグループでした。
やりたいことは判るが実力が伴っていないといった感じです。
コーラスなんかも入れて頑張ってはいるのですが、自分たちが目指しているものと現在の実力とが噛み合っていないステージでした。
理想は高く持った方が良いので、まあそれなりに頑張って下さいってことで、おつかれさんでした。
このバンドは傾向的にも同大生徒には比較的好評で、それなりにファンのようなグループが見に来ておりました。
(しかし、ディスコっぽい演出って、誰が言い出したのでしょうか、よくわからないですね)
次はがらりと代わってちょっとプロっぽいハードロックバンドの登場です。
先程の若手メタルバンドと比べてチョイ歳喰った感じですが、金髪ヴォーカルにバックは革ジャン系のいかにもといったバンドです。(いわゆるボンデージ系みたいな)
ばぁあ~ん! おっといきなりツェッペリンから入ります。
ちょっとハイトーンは苦しかったし、ドラムも結構シャバダバでハシリ気味です。
途中にレイジーが出てきたのにはちょっと意外でした。(後のラウドネスですか)
ということで観客もそこそこ30人ばかりで埋め尽くされ(?)、いよいよアッちゃんバンドの登場です。青のボタンダウンシャツに黒のスリムジーンズ、妙な助平サングラスをかけた正宗ことアッちゃんはエルク社製のSGを引っさげてダミ声でシャウトします。
オリジナルなんで、聴いている方もようわかりませんが、それなりにニューミュージックというかフォークというか、まあこんなもんかなぁ、って感じです。
そして委員長のソウルバンドが華やかにエンディングを飾ります。
はっきり言って、見に来ているお客の顔ぶれ見て冷め切っていた委員長でしたが、そこはそれ、だてにディスコでメシ食ってきたわけじゃありませんから、ベシャリも入れてウケ狙います。

「みなさんこんにちは。新宿ディスコバンドのみずぼうずです(なんじゃそりゃ)」
その昔、委員長の同級生にみず坊と呼ばれる個性的な奴がいて、突然そいつの顔とアッちゃんの顔がダブってしまい、つい口からでまかせ、DJ得意の饒舌なハッタリが次々と飛び出してしまいました。

「今日の会場は超満員、席の無い方はどうぞ前の方に詰めて下さい。これを我々の業界ではチョーマン大入りと呼んでおります」(言ってる本人も何だかよく分かりません)

「今日はこのステージのためにカムチャッカ半島よりダンサーズ約2名を連れてきております。それでは聴いて下さい、郷ひろみの曲で男の子女の子!」
(ドドン!とここでスネアの音とチーンとシンバルの音が入ります)

肉まんドラマー、石○君わかっとるやないけ。って感じでコミックバンドのノリそのまんまでしたが、この程度のジョークで大うけの家政大お嬢様女学生の心をしっかりとつかまえた委員長のバンドの演奏が始まりました。
泥臭いFUNK ROCKのTHANK YOUながら、踊りが珍しかったのか、どこまでマジだかわからないようなバンドの雰囲気が面白かったのか、観客は手拍子打って大喜びです。
殆ど歌など入っていないインストもんのようでしたが、無事終了。

「お楽しみ頂きましたみずぼうずのコンサートも残念ながらお別れの曲となりました」(会場大爆笑)

ヘイヘイ、フィーオーライッ、(ワンタイム)アッ!
ブレイクでダンサー全員ストップモーションからロボットを踊ります。
馬鹿ウケ!
調子づくダンサーズもブレイクを増やしていきます。ツータイム、スリータイム、フォータイム、ってことで会場からも声が掛かります。全員でアッ、アッ、アッ、アッ!

更にここでメンバー紹介が入ります。
キーボード、ミスターH!
H氏も乗り易い人でした。お尻でキーボード弾いて馬鹿ウケ。昇り竜のガウンが揺れています。
ベース、ゲルシー(シゲルの反対ですね)
チョッパー炸裂、まるで空手チョップです。フェンダー社製プレッジョンが唸ります。
ギター、ちゃんムラ(ムラちゃんの反対ですね)
なんと更に悪乗りムラちゃん、ギターソロのまま裏の楽屋に入って非常口を閉めてしまいました。ギター音だけが会場を駆け巡ります。(爆笑)
最後は肉まんドラム小僧、ミスター石○!
いやー、凄かったですね。ここだけマジでミュージシャンでした。さすがに対バンのメンバーとかも目を丸くしておりました。テクはとにかくプロ並です。
最後は会場も一緒になって大合唱!
最後のブレイクで全員がストップモーションでエンド。
馬鹿ウケ、大拍手!いやーマジで受けました。
まあ委員長にしてみれば毎日お店で仕事してるのとあまり変わりなかったんですけどね、一般市民にも通じる技だったということを認識したコンサート体験でした。
おかげで、翌日の打ち上げは噂を聞きつけた学生がどっと押し寄せ、冗談抜きで教室は人で溢れかえりました。
しかし、たった2曲の持ち歌(歌じゃねーよなこれは)でこれだけ沸かせたのですから、妙な自信を持った委員長とムラちゃんでした。
ちなみにこの学祭にはウェストロードブルースバンドなどが別会場でライブをやっておりました。
ということで一気にバンドへの夢が花開いた一日でした。

あれっ、今日はオチがないの?
もちろんあります。
キーボードH氏の昇り龍のガウン、アンプの上に載せっぱなしにしていてちょうどお尻の部分がこげてしまいました。翌日の尻弾きキーボードではこの焦げた穴で、またまた笑いを取ったH氏には頭が下がりました。
もうひとつ、会場を後にしたバンドの面々、駅に向かう道すがら、案の定サンペン襟章の少年たちと遭遇、小さな紙くずをアフロ頭に投げ込まれた委員長以下3人でした。
さすがに十条、噂どおりの街でした。






最終更新日  2005年09月03日 09時04分56秒
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2005年09月02日
さて、家政大の学祭コンサート・ライブに向けて一気に盛り上がる委員長とムラちゃんのバンドごっこは、ついに第一回目の練習へと突入したのでした。
練習スタジオはお馴染み下北沢駅南口「WHO’S WHO」です。

メンバーは、シゲル(ベース)、ムラちゃん(ギター)、H氏(エレクトーン)、ロニー(パーカッションと歌)、KGとI君(ダンサー兼コーラス)、アッちゃん(ギター&ヴォーカル)というオリジナル・メンバーに加えて、ドラムス担当のトラ(エキストラの意味ですね。要は代役)は、なんと二人も来てしまいました。
これはあまりにもムキになってメンツ探しをしたせいで、ムラちゃんの方のツテで呼び寄せた学生ドラマー18歳と、アッちゃんの方のツテを辿ってきたおっさんドラマー30歳が、双方の確認を取らぬまま召集されてしまったのでした。
一応、バンドというか出演者はアッちゃんと委員長の二組ジョイントになるので、ドラマーは双方のバンドで交代しよう、というような流れになりました。

練習の方は、アッちゃんのオリジナル曲5曲と、ロニー&ダンサーのコピー曲2曲の合計7曲が演奏されることになったのですが、やはりオリジナル曲は大本になるしっかりとした原曲がないわけですから、その場で適当に編曲を兼ねて仕上げていくというアマバンドにしては結構ムボーな試みでもありました。
でもって、結局のところアッちゃんの練習で、ほぼスタジオの予約時間は手一杯になってしまい、委員長の方の練習は後半の約15分程度となってしまいました。
とは言うものの、委員長の選んだ二曲ともワンコード一発の全編アドリブみたいな、まるで委員長の性格そのまんまですから、練習と言うより顔合わせのようなものです。
ところが、この練習時間終了間際の音出しで、見事ロニーズバンドのコンセプトはバッチリ決まったのでした。
まずはシゲルの迫力のあるチョッパーベースに18歳の学生ドラマーの湿り気のあるスネアの音がビシバシと入り、ムラちゃんのチャカポコギターが絡み、更にH氏のエレクトーンがワンコードならではのリズムがビートを刻み込んでいったのでした。
そして委員長の歌です。

Thank you for let me be myself again!

お~っと、いきなりサビから入ります。
って、いい加減ですねぇ、歌詞なんかまともに覚える気ありませんから、サビの繰り返しです。ワンコードのリフにワンフレーズのコーラス。なんのこっちゃねんって、これがロニーズバンドです。
まあしかし、全体のアンサンブルといい、ビートといい、それなりのダンスバンド風な感触はつかめました。

「ロニー、歌はこれだけなの?」
ムラちゃんが半ば飽きれた様子です。

「だって、時間なくて歌詞覚える時間無かったし・・・」

あとは踊ってごまかすからみたいな屁理屈で無理やり納得させた委員長でした。
ということで、時間切れ。練習曲はたった1曲にて終了です。
明日もう一度練習ということで、スタジオは今日の倍の4時間を押さえて解散。
新聞少年アッちゃんも意気揚々と引き上げていきました。

「あのドラム小僧はめっけもんだったかもしれないよ」
ムラちゃんが委員長にボソッと呟きました。

「ありゃ、使えるよ。若いけど腕は確かだね」
そう自信たっぷりに言うムラちゃんでしたが、委員長にはルックスがいまいちってことの方が気がかりでした。プロ・ミュージシャン目指すために大学も夜間に行っているという、18歳のドラマー石○君はかなり本気な職人タイプのミュージシャンでした。
ニキビだらけの丸顔で白ワイシャツに白の綿パン黒の革靴、ドラムを叩いているとき以外はなんの変哲もないタダの学生という風貌です。
委員長は今のメンバーで自身のバンドを想像したとき、これはかなりのファッションセンスの手直しが必要だなぁ、と溜息が出たくらいでした。
現在はどうか知りませんが、当時のアマチュア・バンドなんてのは多かれ少なかれこんな感じで、腕のあるやつは音楽一本にのめり込んでて容貌等はお構いなしか、カッコばかりに気を使って腕の方は全くダメというような二者択一でした。
ですから、ルックスが良くてテクがあるなんてバンドが現れれば、すぐにでもデビューってな時代でもありました。裏を返せば、結局バンドマンなんてのは、なかなかうだつの上がらない世界でグダグダしているのが殆どだったわけです。

当時、チャーが颯爽とデビューしてきて話題になりましたが、「どちらかと言えば、テクよりルックスで集めました」と彼も公言していたように、その当時ルックスまで重視したバンドはいなかったということです。

翌日、第二回目の練習に行ってみると、30歳のおっさんドラマーは来ていませんでした。
時間がもったいないので、今回はロニーズバンドの仕上げから始めようということになり、早速昨日のおさらい「THANK YOU」をやることにしました。
今日はダンサーズの振り付けも入れようってことで、ステージングなどもシュミレーションしながら結構ノリノリで終了。
もう一曲の方、JBのI Feel All Rightもサンキュー同様ワンコード一発、アドリブだらけの曲ですから、単純にノリだけの練習です。
ただ、この曲は仕掛けがありますから、委員長のベシャリをかましながら進行していきます。

ヘイ、ヘイ、アイフィーオーライッ、(ワン・タイム)アッ と歌って、スネアが一発スコーンと入ってブレイクです。
Are you ready, next? Two Time! などと委員長のベシャリが入ります。
委員長の両脇を固めるダンサーズ、KGとI君が客席に向かって二本指を立ててアピールします。
ヘイヘイ、アイフィーオーライッ、(ツータイム)アッ、アッ と歌ってスネアが2発、委員長とダンサーは2回ブレイクして止まります。ここでロボットを見せます。
「さあ、次は3回、行きますよ~」
てな感じで客席と掛け合いをしながら進めていくわけですが、ブレイクは何回までとか、踊りは何分とか、そういった決め事はまったくなしの出たとこ勝負。
いい加減の極みですね。でも、ムラちゃんの言うとおり、この石○君のドラムは、委員長の指示通り気持ちよく引っ張ってくれます。
練習とは言いながら、皆踊りが面白いのか、リフのビートが心地よいのか、結構本気で遊んでしまいました。
結局、2曲じゃ間が持たないだろうからということで、メンバー紹介をここに入れようと言うことになりました。各自好きなだけアドリブ入れてよし!ということになり、それぞれがアピールを宿題として考えてくるということで練習は終了。
ムラちゃんの心配をよそに、これでももう完璧と豪語する委員長。

「ムラちゃんはちょっと考えすぎなんだよ。心配ないって。だてに毎日こんな仕事してんじゃないから、お客の心理はよくわかるから」
ってまったく理屈にならないような屁理屈で押し切ってしまいました。

さて、アッちゃんの方はと言うと、相変わらず30歳のおっさんドラマーは現れません。
結局石○君が通して引き受けるということで、後半はアッちゃんバンドのリハーサルを2時間近くやって練習終了。

多少荒削りだけどこのまま本番と言うことになりました。

「あのおっさん(ドラマーのことですね)ビビッっちゃったんじゃないかな。18歳の凄腕ドラマーに」とムラちゃん。

「ボクも彼(石○君です)の方がやりやすかったですね」とアッちゃん。

「顔は肉まんだけどね」とシゲル君。(厳しい評価?)

ということで、いよいよこの異色バンドのデビューです。






最終更新日  2005年09月22日 15時19分29秒
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2005年09月01日
中央線武蔵境に住む夢見る新聞少年との出会いは、委員長に人生の奥深さと音楽の持つ神秘の世界を垣間見させてくれました。
さあて、どうしたものかこの話。
当時「学祭」といえばアマチュア・バンドの登竜門というか、1年に一度の売名行為のチャンスです。(昔はストリート・ミュージシャンなんていなかったし、チャンスは非常に少なかったですからね)
1回でも多くの学祭のステージを踏むことは、それだけ話題に上るチャンスを得るということですから、アマバンドの多くがこぞって実行委員会に売り込みにいったり、コネを使って何とか食い込もうと凌ぎを削ったりもしていました。
そんな当時の状況の中で巡ってきた出演依頼ですから、何とか形にしたいムラちゃんと委員長はあーでもない、こーでもないと無い頭を捻りつつ思案しておりました。
早い話、新聞少年を利用して自分たちの売名行為に利用するってだけのことなんですが、いずれにせよ肝心のバンドがないことには何も始まりません。

バンマス兼マネージャーのムラちゃんが現状を語ります。
「スーベはシゲルがいるだろ、ターギはオレがやるとして、あとはタイコがいればとりあえずバンドにはなるけど、鍵盤がないとまずいよなあ、やっぱり」

(注)バンド用語はすべて反対読みになります。
スーベ→ベース、ターギ→ギター
タイコ→ドラムス、鍵盤→キーボード全般を指します。

「でもさ、ムラちゃん、こっちでメンツ全部揃えるんだったら何もアツシ君いらないんじゃない?」
委員長の素朴な疑問です。

「それはそうなんだけど、この短期間で、ロニー、一体何曲レパ作れる?」
(レパートリーのことですね)

「う~ん、そうかあ、五曲も仕上げらんないだろうなあ」

「そうだろ。だからアッちゃん(アツシ君のことですね)とのジョイントはどうしても必要なんだよ。それに彼の場合はコピーをやらないってところが魅力なわけよ」

「なんで?」

「オリジナルだったら上手い下手は聴く人次第でしょ。もちろん演奏の上手い下手はあるけど、楽曲自体比べようが無いんだから、俺達にとっちゃこれほどやりやすいパートナーはいないわけじゃん。しかもレパは250曲もあるんだから」

「なるほど、そこまで考えていたんだぁ。さすがムラちゃん、だてにドンバでシーメ喰ってきたわけじゃないね」
(注)ドンバ→バンド、シーメ→めし

というわけで、ドンバ根性出し丸(バンド根性丸出し)せこい策略をめぐらせて、何とか学祭への出演を実現しようと一生懸命なムラちゃんに改めて尊敬の念を抱く委員長でした。

「ところでロニーの方はどうなの?歌って踊れるソウルバンドって言うからには、せめて3人は踊れるコーラス部隊を作らなきゃ絵にはならないよ」

「歌はともかく、踊れるヤツなら声かければすぐ集まるから大丈夫」
(え~と、誰にしようかなぁ)

とは言ったものの、バンドのステージとなると見栄えだけじゃなく、かなり踊れるヤツを連れてこなけりゃなんないなぁ、とやや不安になった委員長でした。
こうなりゃ手っ取り早い方法で、後輩のKGを巻き込んじゃえってなもんで、早速KGを呼び出しました。もちろんコイツもしょーもない道楽者ですから、1年ダブって高校へ復学はしたものの、アフロ頭のままで登校して結局は3ヶ月も経ずしてクビになるという頼もしい後輩でした。
委員長のお呼びがかかり、待ってましたとばかりに新宿に馳せ参じたKGでありました。
たった1回の学祭のために今更委員長自らメンバー探しも鬱陶しいので、あとのメンバー探しはKGに任せ、委員長はムラちゃんとバンド集めに奔走したのでした。

前回のDJバンドで登場したドラムの小熊君をあたってみましたが、秋口から冬場にかけては焼き芋屋さんで稼ぐから遊んでる暇はない、とあっさりお断りされてしまいました。
(屋台の石焼き芋売りですね。冬場は相当な稼ぎになるとのことでした)
ミュージシャンってのもなんだか地味ぃ~な人生なんだなぁとつくづく思った委員長でした。代わりに、SONYに就職が決まったというムラちゃんの元バンドメンバー、H氏がエレクトーンならばという条件付で参加を申し出てくれました。
これでドラムが見つかれば取りあえずは何とか格好がつきそうです。
こうなったら手当たり次第に声かけまくって、誰でも良いから引っ張ってこようということになり、新聞少年アッちゃんにも「少しは手伝えよ」みたいなプレッシャーもかけ、ドラマー獲得に全力を注いだのでした。

学祭のコンサートと言っても出演バンドは幅広く、会場も幾つかの教室や屋外に設営されるので、1時間も演奏できれば良い方で、名前の売れていないグループだったら30分かそこらでどんどん入れ替わっていくようなパターンが一般的でした。
もちろん体育館とか運動場あたりに設営するステージの場合は、かなりメージャーなバンドをトリにして、前座は部外者ではなく大抵その学校の同好会とかが仕切るので、これは中々出演が難しいわけで、今回の出演依頼もROCK同好会による教室でのコンサートでした。
教室に作られたステージですから、小さなライブハウスみたいなもんで、収容人数は50人入れば満席と言うようなこじんまりしたものです。

KGがI君というアフロ頭の少年を連れてきたのは、委員長がKGに指令を出したわずか翌日でした。
「踊りはともかく、ルックスが良くて背丈が揃うヤツを連れて来い」という委員長の命令に従ったKGは、言いつけどおり背丈の揃ったやや童顔の少年を見つけてきたのでした。
どうせ歌や踊りを満足に仕込んでる時間なんてないんだから、取りあえず見た目でハッタリかますしかないと判断した委員長でした。
どっちにしろ主役はオレだし、両脇を固めるだけの出番なんだからたいした期待もしていませんでした。(道楽にもかなり年季が入ってきたこのころでしたから結構生意気ですね)
そんな手はずを委員長がシコシコと整えている間に、ムラちゃんのところにはドラマー見つかるの連絡が入り、それなら早速練習に入っちまおうということで、またまた下北沢のスタジオに集合となりました。
ところで委員長のソウルバンドのレパは何になったのでしょうか。
英詩を覚えるのも面倒くさいし、歌って踊るとなるとあまり長い歌はダメだろってことで、委員長がシゲルと相談して見栄えだけで勝負できる曲を選んだのでした。
しかしホントに根がいい加減ですから、ステージ上がりゃどーにかなるだろくらいのもんで、テキトー極まりないですね。

でもって課題曲は、スライ&ファミリーストーンの「THANK YOU」です。
シゲルも自分の見せ場はチョッパーしかないってくらいに入れ込んでましたから、すぐに決定です。それでも1曲じゃまずいんじゃないの、ってことで、もう1曲はジェームス・ブラウンのライブアットアポロからの「I Feel All Right」を選びました。
凄いですね。この曲は歌というよりも、ほぼお客との掛け合いみたいなもんで、「ヘイヘイ、フィーオーライ、ワンタイム!」って叫んで1回ブレイクが入るって単純なものです。
で、段々数を増やしていって「ツータイム、アッ、アッ」、スリータイム「アッ、アッ、アッ」とか言う感じで、お客とのやり取りをしながら盛り上げていくわけです。
実際ライブ盤でのJBは、曲と曲の間にアドリブ的に入れてステージ全体を盛り上げるために使っていたのですが、委員長はこのアドリブをメインに持ってきちゃったんですからもうデタラメもいいとこです。
もちろん、SOULの神様JBを歌うなんてのは百年も早いわけで、歌というよりアトラクションみたいな感覚で選曲したまでです。
委員長の頭の中では、このブレイクに合わせてロボットでも見せてやればお客が喜ぶだろうと、ディスコならではの趣向で観客を完全に舐めきった演出を思いついたのでした。
とにかく目立って、客がよろこびゃ良いんだろう、みたいな典型的道楽者根性出し丸ですね。






最終更新日  2005年09月22日 15時19分10秒
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2005年08月30日
ようやくダンサーから脱却し心機一転、ディスコDJそしてSOULバンドへの道をひた走る委員長の身の回りも新しい環境が整いつつありました。
大学の文化祭、いわゆる「学祭」へのバンド出演の依頼が、相棒のムラちゃんのもとへちょろちょろと舞い込んで来る季節となりました。
とは言うものの満足なバンド活動などしていない二人ですから、直接の出演依頼など来るはずもなく、すべてはムラちゃんが出入りしていた三鷹のフィルモアという楽器店経由で回ってきたものでした.
(正直言って、三鷹だったか武蔵境だったか覚えがないのですが、当時その界隈のアマ・バンドにはかなり有名な楽器店だったように記憶しています)
時代の流れからいっても、当時のディスコ・ブームはもの凄かったですから、たとえ「学祭」と言えど、ちょいと目先の利く実行委員会あたりともなれば、ディスコ・パーティとか模擬店みたいなものを企画するのは当たり前で、そうなると本職のツテを頼らざるを得ません。そんな学生やらアマバンドが出入りするフィルモアの常連だったムラちゃんが、歌舞伎町のディスコで仕事をしているという噂を聞きかじった店員がある一人のミュージシャンを紹介してきました。

待ち合わせの中央線武蔵境駅前に降り立った二人。アフロ頭のド派手な委員長とハンチングを被った地味なムラちゃんの前に現れた男は、やや長身長髪、黒のスリムジーンに赤のボタンダウンシャツを羽織った一昔前のROCKミュージシャン風のむさ苦しい奴でした。

「こんにちは、○○アツシです。ムラ○さんですよね。こちらはロニーさんですか」

ちょっとハスキーな声に特徴がありましたが、どうもうだつの上がらないアマチュア・バンドという感じのアツシ君は、花の都新宿のディスコからやってきた二人を伴って徒歩数十分の自宅へと案内してくれました。

「XX新聞武蔵境販売所」の看板のかかった店の横を通り抜け、裏手にあるアパートのような下宿らしき一室に通されました。
四畳半ほどの部屋はその半分が土間のような段になっていて、高い段になっている方は畳張り、低い方は板の間という妙な造りでした。
アツシ君は委員長とムラちゃんを高い方の段に座らせると、自らは板の間にイスを持ってきて腰掛けました。

「フィルモアの△◇さんから聞いていると思いますが、実は僕の友達が家政大学の文化祭でコンサート企画をやってまして、僕のところに誘いがあったんですが、僕自身バンドを持っているわけではないので、一緒にやってくれる人を探しているうち、ムラ○さんを紹介されたっていうわけです」

「一応話は聞いてますけど、ディスコ・バンドをやるわけですか?」
ムラちゃんがマネージャーっぽい話をします。

「いえ、それは僕の友人の企画で、どうせやるならディスコ風にできないかって言ってきたもので、それでフィルモアの△◇さんが、それならちょうどイイのがいるってことで」

「で、どんな音楽をやられているんですか?」
あまり期待はできませんが、恐る恐る聞く委員長でした。

「ええ、僕自身は特にこれっていうジャンルはないんですけど、どちらかと言えばROCK系ですね。フォークっぽいのもやります」

「たとえばどんなのやってるんですか」

「あの、基本的にコピーとかはやったことないんです。全てオリジナルで自作です」

「それってシンガー・ソングライターってことですか」

「まあ、一応」

これは驚きです。一体彼がこの妙な部屋でどんな曲を紡ぎだしているのか、大変興味のあることでした。
アツシ君は古いカセットデッキ(昔はテレコみたいなのなかったからね)を運んできて、かなり年季の入ったテープをガチャリと入れると再生ボタンを押し込みました。

ジャーン、ジャーン、ジャジャジャッ、フォークギターのコードが流れ出し、続いてだみ声のハミングらしき歌が聞こえてきました。
本人がギター1本で弾き語りのような歌を録音してあるだけのものでした。
なんと表現してよいのかわかりませんが、とにかく雰囲気だけは独自のセンスが感じられます。

「歌詞は付いてないの?」
しばらく黙って聴いていたムラちゃんが訊きました。

「ええ、これは今作曲中の試作なんで、まだ詩がないんですよ」

ふ~ん、なるほどと頷くムラちゃん。
「で、オリジナルって何曲くらいあるの?」
更に質問を重ねます。

「そうですね、中学生の頃からのものを入れると250曲はあると思います」

「250曲!?」

これはまたまた驚きでした。
こんな座敷牢みたいな部屋で250曲もの作曲をしていたなんて、まるで岩窟王のようなヤツです。

「詩がついているのを聴いてみたいんだけどなあ」

ムラちゃんがそう言うと、黙ってカセットテープを止めると座敷の奥に置いてあったフークギターを手に取ったアツシ君でした。
(おっ、生演奏かい?)

「実は今度の学祭で演ろうと思っている曲なんですが」
と言って、ギターを弾き始めました。

8ビートのボサノバ風のコードが刻まれて、アツシ君が歌い出します。

「やさしくボクを包んでくれる~ この街の夜景~」

うーん、何処かで聴いたことのあるような無いような不思議なメロディーが座敷牢に響きます。
しかし、彼の声はちょっと特徴があるというか、個性的というか、中々面白いものはありました。
歌い終わったアツシ君。
「もうちょっとファンキーなのもあるんですけど」
と演奏続行を促しましたが、遮るようにムラちゃんが言いました。

「まあ、大体感じはわかったけど、編成はどうなってるの?」
(何の感じがわかったのでしょうか)

「ええ、できれば最低でもコンボは欲しいですよね」

「えっ、欲しいって、メンツは揃っているんじゃないの?」

またまた、驚きです。
バンドを持たないと言っても、出演依頼を受けた以上は寄せ集めでも何でもメンバーを揃えるのは常識です。

「いえ、ですからムラ○さんに相談してみようと思って△◇さんにお願いしたんです」

「そうは言ってもさあ、俺達だってバンドを持ってるわけじゃないし、そんなにすぐにメンツ揃えられるほど顔も広くないしなぁ」

ちょっと困惑した感じのムラちゃんでした。
しかし、本番まであと2週間ほどしかないってのに、バンドはない、メンバーは揃わない、しかもディスコっぽいことをやりたいなどとのたまうシンガー・ソングライター、この岩窟王は一体何者なのでしょうか?
顔を見合わせ言葉に詰まるムラちゃんと委員長。
と、そこへ母屋の方から声が聞こえます。

「アツシ~!時間だぞぉ!」

「ムラさん、すみません、配達の時間なんでちょっと行って来ます。2時間はかからないと思いますから、よかったら待っててくれますか?」

が~ん! 岩窟王は新聞配達を生業にしていたのでした。
衝撃を受けた二人が早々に引き上げたのは言うまでもありません。






最終更新日  2005年09月22日 15時18分39秒
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2005年08月29日
1977年10月 委員長にとっては忘れることの出来ないある出会いがありました。

Mama, Do you remember~母さん、ボクのあの帽子どこへいったのでしょうね~

そうです、角川映画第二弾「人間の証明」のロードショーです。

実は、委員長はガラにもなく親孝行のつもりで、映画好きの母親を連れてこの映画を見に行ったのでした。しかも委員長の働く新宿歌舞伎町東宝会館です。
当時1階の映画館前にはビルのテナントの写真が貼ってあったのですが、そこにはなんとアフロ頭の委員長の勇姿、DJ姿の特大写真が掲げられておりました。
別にそれを見せたくて連れ立ったわけではありませんが、わが息子のお調子者姿をその目で見て、ああ、もうこの子を止めることは誰にもできないと悟った母親でした。

さて、映画は森村誠一原作のサスペンス・ドラマで、人間愛の奥深い葛藤を描いた話題作でした。当時乗りに乗っていた故俳優松田優作主演、三船敏郎、岡田茉莉子他豪華キャスト、さらにニューヨークロケまで敢行した角川映画の超大作でした。
ストーリーは敗戦直後の混乱期に生まれたいわゆる「戦争の落とし子」、GIベイビーを核に、高度成長期を背景として財を築いたファミリーが織り成す悲しい人間ドラマでした。
そして、悲劇のヒロインを演じたのがジョー山中で、サウンドトラック主題歌も歌っていました。映画のテーマとなった親子の愛の物語を、偶然とはいえ母子家庭の委員長親子が見たというのも何かの縁だったのでしょうか、この詩は委員長の心の奥底に染み込んできました。原詩は西条八十の麦藁帽子という詩がキーワードになっているのですが、失われた母子の心を歌うジョー山中氏の声は、魂の雄叫びのように今でも印象深く心の中に残っています。

かぶれ易いことにかけては天下一品、道楽者の委員長はその日からすっかりジョー山中にはまり込んでいってしまったのでした。
その昔、フラワー・トラベリング・バンドというグループで活躍していたジョー山中氏ですが、辛うじて委員長の記憶にあったのは「メイクアップ」と「さとり」くらいのもので、単なるROCKバンドの位置付けでしかありませんでした。
さっそく彼らのレコードを手当たり次第買い漁って聞きまくる委員長でした。
映画の大ヒット、主題歌の大ヒットでレコード会社もここぞとばかり、古いアルバムを続々と再発していきました。

ジョー山中のルーツはここにある! みたいなキャッチ・コピーでほぼ全盤復刻です。

そして委員長の頭に衝撃を与えたアルバムが「タイム」でした。
アメリカのタイム誌の表紙をかたどったアルバムジャケットには、アフロ頭のジョー山中氏が刀を持って立つ凛々しい姿が映っていました。
しかも、アフロは耳の上あたりから両脇に金髪のメッシュが縁取りされています。

これだ!これこそオレが求めていたフィーリングだ!(やれやれ、何度目でしょうかこのセリフ)

早速近所の美容院に飛び込んだ委員長でした。
翌日、トゥモローUSAのDJブースに金髪メッシュの入ったアフロ男の登場です。

しかし、このフラワー・トラベリング・バンドってのは、時代に埋もれた凄いバンドだったのですね。デビューアルバムの帯にかけられた内田裕也御大のコピーが凄いです。

「どこかのバカヤローが小原庄助さんみたいなロックだと言った。みんなが今、その小原庄助さんをこぞって取り入れている。聞けFTBの叫びを!」

デビューアルバムはブラックサバスのコピーや、朝日のあたる家などのリメイクが混ざったちょっと雑なアルバムでしたが、全編英語という、当時の日本のロックバンドではまず考えられないデビューの仕方でした。
全アルバムを聞いてみて感じたのは、音楽性もさることながら、彼らが持つそのファイティング・スピリットが全編満ち溢れていたことでした。
まさしくアウトローの持つ攻撃的なパワーがレコードに注ぎ込まれているのです。
それにしてもジョー山名氏の金属音にも似たあの声、特に突き抜けるハイトーンは鳥肌が立ちました。こんなスゲーバンドが日本にいたなんて、本当に驚きでした。
SOUL馬鹿一筋で来た委員長は、ここで本当の意味での音楽への開眼をしたわけです。
委員長の心の目を開けてくれたジョー山中氏との衝撃的な出会いでした。
(大げさではありません。不良少年の集大成。ROCKの根源がここにあったのです)

そして、この映画にはもうひとつの因縁が隠れていました。
映画の大ヒットと共にテーマ曲「人間の証明」をスローナンバーとして使っていた委員長に、同僚ブラザー・ジョーが言ったのです。

「素晴らしい歌だ。ハートが伝わる。彼がこれほどのシンガーだとは思わなかった」

「へぇ、ジョーは彼のこと知ってるの?」

「ああ、最終オーディションまで一緒だったからね」

「えっ!?」

驚きましたね、なんとキャラクター・オーディションがあったなんて。しかも同僚のジョーが出ていたなんて初耳でした。
すかさず根掘り葉掘り聞き出す委員長には更なる衝撃が!(ってガチンコじゃないっての)
オーディションには相当の数の黒人やら黒人のハーフが来ていたそうで、最終選考に残ったのが3人、ジョー山中氏、ジョー・サンダース、そしてもう一人はあのジョニーだったと聞かされた時は本当に驚きました。
ヤツはこんなところで勝負してたんだ、としばし感慨深い気持ちで一杯になりました。
ジョーいわく、彼はだいぶいい線いっていたが、演技にまだ多少の照れがあったので落とされた、と言う話でした。
じゃあ、YOUはどうだったの?と聞くと、笑ってごまかしていましたが、どーも年齢で落ちたのではないかと思いました。当時すでに30は越えてましたからね。
まあ、しかし自分の周りの人間が見えないところでメージャーを目指していたなんて、こりゃあ侮れないと感じた委員長でした。
オレも頑張らなきゃいかんぞーという感じでしたね。
とは言うものの、何をどう頑張れば良いのか、焦りばかりがつのっていく毎日でもありました。

そんな委員長のせめてもの慰めは仕事後のムラちゃんとの与太話でした。
ムラちゃんの歩いてきたバンド人生は委員長にとって刺激になる話が多く、未だ自分の知らないバンドの世界は妙に好奇心を掻き立てるものでした。
高校生のころアマチュアバンドのコンテストで準優勝を取って以来、プロを目指したものの人間関係の難しさや、好きな音楽をやりながら生計を立てていく難しさ、結局はアマともプロともつかない中途半端な状況にいる苦しさなどなど、委員長が体験してきたDJやダンサーとは比べ物にならないほど生活感のある実体験を聞かされました。
また逆に、委員長の経験してきたディスコとアウトローの話は、ムラちゃんにとってはやはり未知の世界の出来事として興味深く聞きこんでくれました。そんな二人の馬鹿話は毎晩繰り返されていくうちに、中途半端な人生の上にいる二人にある共通の想いが芽生え始めていたのでした。

「こいつとなら、なんか新しいことができそうだ」(また新たな勘違いが生まれただけです)

お互いの不完全燃焼に終わった中途半端な夢を繋ぎ合わせれば、ひょっとして何か新しい人生の突破口が開けるかもしれない、そんな漠然とした期待感を抱いた二人でした。
(馬鹿が二人寄っても馬鹿が増幅されるだけで利口にはなりませんね)
そんな期待感が高まっていく二人の前に、委員長のライバル、あのジョニーが現れたのでした。
九州のディスコから再び新宿へ帰ってきたジョニー。
彼らがダンサーデビューしたバンド、BIBのヴォーカルとして復活してきました。
委員長の顔を見にトゥモローUSAに立ち寄ってくれたジョニー、久々の対面でした。
そしてお互いの顔を見合わせたとき、思わず笑い転げてしまいました。

二人ともアフロに金髪のメッシュが入っていたのです。
オレたちゃやっぱり永遠のライバルだぜ~。
ようし、今度はバンドで勝負だ。
久しぶりにジョニーと二人で踊り明かした新宿の夜でした。






最終更新日  2005年09月22日 15時18分16秒
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2005年08月28日
さて、ビッグ・トゥゲザーと合併したトゥモローUSAは10月に入って、またまた大変動って、ちょっと大げさですが、ついにダイタン商事は解散となり、トゥモローUSAは江川店長が社長となって「小林商事」の経営となりました。
糸数支配人は店長へと昇格し、江川さんこと小林さんは直接の現場指揮から退き、社長業に専念することとなって行きました。

そして10月から、システムも本格的に大型店の特色を出し始めていきます。
平日の客の入りでは、360度開放型のダンスフロアはガラガラ状態が目立ってしまうという欠点を補うために、入り口から向かって正面にアコーディオン・タイプの鏡を取り付けました。週末の混雑時はオープンしてフロアを全開にできるカーテン・タイプの鏡で、高さ4m長さ25mの大型鏡で、更にこれをスクリーンにしてフィルムを上映するようにしました。
料金は平日、男性\1,870女性\1,540で、毎週月曜日はバンザイ・ディスコデー男性女性共に\800、毎週水曜日はウーマン・ポテト・ディスコデー男性\1,000女性\500という独自のシステムを打ち出しました。
更にポテト食べ放題、水割り・ジュース飲み放題の話題付きです。
当時はまだ、バイキング・スタイルは主流にはなっておらず、先陣を切ったインディペンデント・ハウスが注目されてはおりましたが、各店このスタイルを模索していたような状況でした。恐る恐る始めたような雰囲気が覗えますね。フレンチ・フライド・ポテトが食べ放題、水割りとジュースだけ飲み放題という限定付きフリードリンクも試行錯誤といった感じです。しかし、この水曜日の女性500円は大当たりしました。とにかく平日水曜日だというのにもの凄い人だかりでした。売上こそ上がりませんでしたが、これは大当たりで、女の子が集まればほっといても男は集まるって、典型的な客寄せで大成功を収めました。
(これって、アメリカだったら人種差別で訴訟の対象になりますね。女性が男性の半額って何の根拠も無いんですから)
「水曜日はユサ(常連はUSAを皆こう呼んでました)でナンパ」が合言葉のように、とにかく水曜日は土曜日にも劣らず大盛況。溢れんばかりのおねーちゃんに群がるアホな野郎がどんどん集まり、すっかりお馴染みイベントとなりました。
イモ食って酒呑んで踊ってイイ気持ち~って、こうなってくると他店も追随してきます。
この後ディスコが食堂と合体されていくわけですが、あの頃の熱狂は踊りだけではなかったような気が致します。

さて、新生トゥモローUSAの販売戦略はこれだけではありません。
なんとラジオ番組を作ってしまったのです。(っていうか番組スポンサーになったんですね)
深夜の時間帯でしたが、ラジオ関東で毎週日曜日30分のディスコミュージックを主体としたジュリーの番組がスタートしました。毎回ゲストを交えてディスコシーンの話題を提供する番組でした。ゲストはもちろん日本フォノグラムの渡部氏他業界の方々です。
CMには委員長や従業員代表などもコメントしたりして、それなりに業界では注目を集めたりしました。常連の中には毎回録音して保管してたヤツもいましたね。今風に言えばヲタク系ですか。ジュリーの親衛隊みたいなのもいたなぁ。カワイコちゃん系お嬢ちゃん女子大生が多かった。
この時点で、ディスコDJ業界ではジュリーが頭ひとつ飛び出したわけです。
勿論こうなってくるとレコード会社の面々もジュリーに対する態度が変わってきます。
当然厚遇されますから、本人もメージャーの仲間入りみたいな感じになっていきました。

幻のDJバンドの後、本格的なメージャーデビューを飾ったジュリーと委員長の関係は、このあたりからちょっと噛み合わなくなっていきました。
別段、委員長はラジオのDJ目指していたわけではありませんから、ジュリーのステーション・デビューは仲間として誇らしかったし、チームUSAとしてもチーフDJが番組を持ったということがひとつのプライドでもありました。
ところが、このあたりからジュリーのわがままが次第に目に付くようになっていったのでした。相変わらず日本フォノグラムでのバイトを名目に遅刻常習。店内に開設した輸入盤の販売コーナー。これは歌舞伎町白馬車のチーフDJ・渡辺たかし氏とジュリーが始めた輸入レコードの販売店でした。さらにディスコ・プロモーションの代行などをレコード会社各社から請負いはじめ、思いつくまま手当たり次第にコトを起こしていくジュリーに皆振り回されるようになっていきました。

こうなってくると、これらのシワ寄せはリトや委員長にくるわけで、ジョーはこういった事情には一切関知しませんから、遅刻すればその穴埋めはリトか委員長がしなければなりません。初めのうちは友情めいたものもあり、引き受けていましたが、度重なってくると次第に不満も募ります。特にリトなどにしてみれば、仕事を世話してくれた恩人ですから、まず断ることはできません。委員長にしてみても昔からの付き合いだし、本人がどんどん売り出しているのだから、手伝いは当たり前とも思っていましたが、休み返上してまで無理を通すジュリーに多少は苛立ちも覚えていました。

委員長もこのころは、DJスタイルがようやく深夜番なりの形になり始めていたし、ジュリーの手伝いの傍らムラちゃんとのバンドごっこもそれとなく続けていました。
また、プライベートでは道楽の不始末にまったく懲りない委員長は、彼女のドリーから愛想を付かされ結局フラれてしまい、多少フラストレーションの溜まった状態でもありました。いい加減に目を覚まして落ち着きなさいよ、みたいに言われたのですが、これからはバンドだぁ~などと、またまた夢みたいなことを言い出す委員長を尻目に、さっさと子供を卒業して大人になっていってしまった彼女でした。
いや~、女は強いし、割り切りも早い。委員長は結構ショックだったんですけどね。
同じ夢を見れなくなったというか、まさしく愛想付かされたみたいな感じでした。みじめ~。
(あなたは少女の時を過ぎ~って歌のセリフみたいな感じですか)

こんな状況でしたから、度重なるジュリーのわがままも遂には堪え切れずに対立してしまったのです。長い付き合いだった分、多少険悪な対立関係にもなりました。
というのも委員長は元来道楽者ですから、人がどう思おうが、何をしようがあまり関係ないといったマイペース型なのですが、リトやジョーからもジュリーの横暴さを聞かされると、友人として情けないというのと、義侠心みたいなものが頭をもたげてきて、つい大きなお世話を焼いてしまうことになったのでした。
オレしか言うことができない、そう勝手に思い込んだ委員長はジュリーを呼びつけて説教をかましてしまいました。しかも、リトやジョーの実情を引き合いに出したものですから、ジュリーもこれには激怒して反駁してきました。

「オレは自分のことだけじゃなく、USAや皆のことを考えて業界の関係を作っているつもりだったのに、そんな風に思われていたのならもう金輪際一緒には仕事したくない」

「ジュリーが思うほど、皆業界の関係まで期待してないし、自分たちの生活を犠牲にしてまでジュリーをカバーする必要はないと思う」

一旦マイナスの方向に歯車が回りだすと、箸の上げ下げさえ腹立たしくなっていくのが人情です。お互い子供のようなものですから、突き詰めるところ意地の張り合いになってしまいました。
委員長としてみれば、やりたいことやるなら人に迷惑かけずにやれよって思っていたし、ジュリーにしてみれば多少なりとも皆のことも考えつつ手を広げているのに、まるで嫉妬されているようで困る、みたいな感情が先立っていました。
根は悪気ないんですけどね、軽いから、思いつきで突っ走るタイプだったから、結構誤解もあったんですね。それにまだ若かったから、責任の重さもあまり感じていなかったのではないでしょうか。
マイペース型の道楽者とアイドル王様タイプですから、うまく理解して共存すれば最強のコンビなのですが、半目に回ると弾け合ってしまい全てが陰陽になってしまうわけです。
生活のリズムも完璧に対照的でした。

レコード業界とディスコ業界の接点に立って上手く立ち回るジュリーは、お店でもメインの時間帯で人気者を演じ、後半の玄人っぽい時間帯でアウトローを気取る委員長は、ミュージシャンの世界へと出入りするようになってゆき、次第に両者の個性がはっきりしてきました。ライバルと言うよりは、お互いに別の道を歩み出したとも言えます。
この頃からお互い満足に口もきかなくなり、お互いの仕事やプライベートに関しても一切触れなくなっていきました。
委員長はムラちゃんとバンドごっこへの道をひた走り、ジュリーは業界から表稼業への転進を目指して突っ走りました。
ジュリーは地下から表へ、委員長は更に地下深く潜る、というような感じで相反する動きでもありました。
手堅く足固めしていくジュリーと、一発大穴狙うロニーみたいな感じでしたね。

今あらためて冷静に振り返ってみると、二人の根本的な野心というか本質は「貧乏生活からの脱却」だったわけで、行き方こそ違うものの人間として奥底に流れるものは同じだったような気がします。
学歴もなく、世間一般で言う家柄もなく、親の縁に薄く、生活が立ち行かなくなる将来の不安が常に心の片隅に息づいていて、それはひとりで生きて行かねばならない孤独さだったのかも知れません。
突き詰めて言えば、自分以外は信じられない人間不信のようなものだったとも言えます。
とは言うものの、それだけ冷めていたかと言えばそうでもなく、お互いお人好しなところも随分有り、結構くだらないことでよく騙されたりもしました。
敢えて言えば、委員長の方が金銭に対する執着心が多少薄かったせいか、遊び人みたいなろくでもない人間ばかりが集まってきていました。類は類を呼ぶってやつでしょか。
反面、ジュリーは当時からしっかり貯金とかしていたし、車なんかもローンで買って頑張っていましたから、遊ぶ余裕なんてのはありませんでしたね。まあ強いて言うなら女遊びくらいかなぁ。なくて七癖って言いますから、人間は何か弱点がありますよね。






最終更新日  2005年09月22日 15時17分51秒
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2005年08月27日
熱狂と興奮のDJバンド。たった1日、というよりたった数十分の出来事でしたが、それはやはりDJとは違って自分で演じる楽しさと、観客を乗せる醍醐味はステージに立った者にしかわからない魔法のような快感を共有した素晴らしい体験でした。
ひょっとしてバンドでメシ喰っていけるかも、少なくとも皆の心の中にはこんな甘い誘惑が芽生えたのではなかったでしょうか。(よくあんだよね、こういう勘違いってヤツが)
多かれ少なかれ、バンドをやりたいなんぞというヤツは皆同じです。
この一瞬の快感に導かれて人生の落とし穴にハマって行くのです。

まずはムラちゃんが結構その気になってしまいました。
今回はシゲル君という若手が登場したために、自身はステージに立つことは叶いませんでしたが、本人は未だ現役でベース弾いてましたから、チャンスがあればもう一度みたいな気持ちは少なからず抱いておりました。
次に委員長がその気になっていました。
やっぱりバンドだなぁ~としみじみ思っていたのでした。
ダンサーもDJも所詮は人の褌でメシ食ってるだけじゃないか、という常々抱いていた本質的な疑問の答えを見出したような気持ちになっていたのでした。
人の創った音楽をネタに商売しているだけじゃ結局メインの座を得ることはできない、そう思うのは当然です。ダンサーもDJも、自分ひとりでは決してメインのステージには立てません。そう考えると、やはり音楽のメインステージは、自分で演奏して自分で歌うことのできるバンドでしかないのです。
更にジュリーが軽いノリで調子コキます。

「面白いじゃん、全員DJでバンドやるなんて、まず今までにないじゃん」

アイドル系王様タイプですから、バックバンド+ジュリーの構図はすでに本人の頭の中では出来上がっています。
さて、現実的に中核になるのはリトとレビンですが、共にプロとしてやってきて一応は結論を出した二人ですし、日本で生活していく難しさも彼らなりには熟知しています。
いや正直言って、委員長やジュリー、ムラちゃんなどよりもよっぽど人生について真面目に考えているし、そのための生活設計みたいなものも彼らなりに持っています。
当然答えは「遊びならOK」です。当たり前ですよね。こんな子供の夢のような話に、今更簡単に乗るわけもないし、人一倍生活かかってますから。
はしゃぎまくったジュリーはどうも納得できないようで、なんとかムラちゃんに喰らい付いてしぶとくねだります。
ムラちゃんはジュリーのアイドル性を普段からかなり評価していましたから、本人がそこまでやる気があるならいけるんじゃないかと考えました。
相談を受けた委員長は、「オレは踊って歌えるソウルバンドにしたい」と更に子供の夢のような話で駄々をこねます。

「それを実現するためにもバンドのキャリアを積む必要があるだろ」

みたいな説得をされ、それも一理ある、と上手く丸め込まれてジュリーとロニーのバンド構想がスタートしました。リトとレビンはあきらめて、ムラちゃんがまたまた自分の昔のバンドメンバーに声をかけてメンツを揃えることになりました。
お調子者のジュリーは早速お店でベシャリをかましてしまいます。

「トゥモローUSAから夢のDJバンドが結成されました。バンド名はザ・ドリーム」
(くっさ~、ドリーム?高校生バンドだってそんな陳腐な名前付けねぇぞぉ~)

まったく、この鈴木のしょうちゃんは昔からこんな感じで、すぐ感情で先走る傾向がありました。逆に言うと、このあたりが子供っぽさの残るところで憎めないところでもあったのですが、歳を取っていくに連れて、こういう性格が他人には誤解を招くようなことになっていったりしたんですね。
それとネーミングのセンスは昔から「無かった」ですね。

ということで、ドリームの第一回練習は前回同様下北沢のスタジオで行われました。

メンバーはムラちゃんの元バンドの中核的人物だったギタリスト・ヨンタナ(サンタナに似てたからそう呼ばれてました)、ドラムは小熊君、ベースはシゲル、結局ムラちゃんは自身のパートを譲ってキーボード(シンセ)を担当しました。そして委員長のギターとジュリーのヴォーカルで6人編成のバンドでした。

課題曲はディープパープルのブラックナイトとブラザース・ジョンソンのゲットザファンクの2曲。(スゲー選曲だなぁ)
当時は、親指で弾いて小指で引っ掛けるチョッパーベースが注目を集めていた時期ですから、シゲルもチョッパーはかなり派手にバチン、バチン入れてました。
で、何故ブラックナイトかっていうと、ジュリー君のヴォーカルはどちらかというとハイトーン(決してメタル系ではありませんよ、単に声が高いって言う意味です)だったので、まずSOULには向いてませんから、取り合えずハードロックやってみようよ、ってなとこでした。
Get the funk out ma faceにしてもさほどヴォーカルが強調される曲じゃなかったし、なんかソレっぽい曲を入れなきゃロニーがイジケルだろって、ムラちゃんは中々の苦労人でしたね。
さあ、練習日、やっぱりジュリー先生は遅刻です。
やっぱりなぁ、って思いつつも、30分ほど皆で音合わせ等をしていると、「ごめんごめん、ちょっとフォノグラムでつかまちゃってさぁ~」っていつものジュリー節で登場です。
バイトしててDJしてバンドまでやれるんかい、って皆の不信感をもろともせず、早速練習開始です。一応歌詞カードなんぞを持参したジュリーですが、実際に歌ってみてちょっとは気が付いたようです。こりゃ遊びじゃ出来ないなって。
委員長は約1年程前、三鷹のスタジオで自分の実力を思い知らされたあの苦い経験を思い出しました。

「まあ、最初だからこんなもんだよ。練習あるのみ、練習だよ練習」

委員長は自らの体験を踏まえ、そう言って励ましましたが、ヨンタナがぴしゃりとクギを刺します。

「もっと自分で歌いこんでこなきゃスタジオ代がもったいないぜ」

グサッ! あ~、あの三鷹の悪夢が再び蘇ります。

「まあ、もうちょっと自分で自信が持てるようになってからだな」

追い討ちをかけます。(って当たり前のことを正直に言ってんだけどね)

「ちょっと選曲も悪かったかもしれないね。もう一度考えてみよう」

ムラちゃんがそれとなくまとめます。(大人だなぁ~)

ということで、バンド結成の意気込みも虚しく、意気消沈してトゥモローUSAのお仕事に向かうザ・ドリームでした。
なんにせよ、新しいことにチャレンジする気持ちが嬉しい委員長は、ダンサーズの経験も生かし、あまり焦らずに練習を積んでいくしかないだろうなと思っていました。
一番良い練習方法は、やはりどこかのハコに入って毎日演奏すること以外にないと思っていました。ダンサーズも結局は実演、ステージを繰り返すことによって緊張を保ちながら踊りが仕上がっていきます。バンドだって同様ですから、毎日の繰り返しの中でチームワークも整っていくものだと悟っていました。(継続は力なりって言いますよね)
この点はムラちゃんも同意見で、ある程度の音がまとまったら、どこかのハコにもぐりこむことを考えていました。

実はこの話が持ち上がったときからすでに、大まかの構想と危惧していることなどもあり、仕事の後、深夜喫茶で始発待ちをしながら、そんな話に明け暮れていた委員長とムラちゃんでもありました。しかしながら、いつもぶつかる問題は、果たしてジュリーが今の生活を捨ててまでバンドをやるかどうかということで、この点は二人ともやはり疑ってかかっておりました。軽い気持ちで考えているだろうことは判りきっています。
そして今日初めての練習を終えてみて、あらためてその疑念が強まりました。
それならそれで、自分たちも含めた回りの人間が本気になる前に辞めておいた方が良いのではないか、というような話も何度か出ましたが、中々に辛抱強いというか苦労人といおうか、もう少し様子を見ようというムラちゃんの言葉に、そうまで言うならと従わざるを得ない委員長でした。

ところが翌日、出勤してきたムラちゃんの顔色が酷く悪く、更に重い言葉で「後で話がある」と委員長に告げると、その日は仕事中ほとんど口をききませんでした。

さて、いつもどおりマジソンのハンバーグ・ステーキセットをパクつく委員長を前に、メシも食わず真剣な顔のムラちゃんが淡々と語り始めたのです。

「実はさ、今日仕事に来る前にジュリーに呼び出されてさ、色々聞かされたんだよね。自分の人生についてとか生活についてとかさ」

「ふ~ん、ジュリーって昔からきっちり貯金とかしてるもんね」(そーゆう話じゃねーだろ)

「でさ、結論から言うとさ、バンドは辞めるって」

「良かったじゃん、本人から言い出してくれて」

「それはそれで良いんだけどさぁ、なんかこう筋が通っていないっていうかさ」

「筋って言うと?」

「バンドなんてさ、所詮、実生活とはかけ離れたところから始まってるわけじゃない?だからやりたいかやりたくないか、好きか嫌いか、以外の選択というか理屈はないわけでしょ」

「うん、そりゃまぁそうだよね」

「だったらさ、生活がどうのとか、人生がどうのとか、聞きたくなんかないし、辞めたいってだけでいいじゃん」

「それだけじゃないの?」

「みんなには続けて欲しいとか、裏方で応援するとか言われるとさ、俺達は一体何なんだって思うわけよ。本人がヒーローになりきってるわけ。自分が抜けても皆で頑張ってくれみたいな話になってさ」

「ふ~ん。まだ一回しか演ってないのにね」

「オレさ、なんかそこで吐き気がしてきちゃってさ」

「あはは、ムラちゃん、結構神経細いんだね」

「なんかさ、ずしんと重いんだよ。今までに無かったタイプだから」

「ムラちゃん、オレなんかもうジュリーとかれこれ3年一緒にやってんだよ。大体何考えてるかくらい見当付くし、そんなに真剣に考えてたらこれから先付き合っていけないよ」

「でもさ、あれだけはしゃいでてさ、たった一日でこれじゃね、人間性疑うよ」

「人間性って言われると、俺も疑わしいけど、俺達だけでやればいいじゃん。そのうち、一緒にやっとけば良かった、って思わせてやればいいじゃん」
(う~ん、この展開って過去にもあったような気がするなぁ)

ということで、まさにドリームはナイトメア悪夢となって終わりました。
翌日、何事も無かったように明るく響くジュリーの声がトゥモローUSAのダンスフロアに響き渡っておりました。
「歌舞伎町はど真ん中、東宝会館7階、アメリカンディスコ・トゥモローUSAからお送りしております。お相手は新宿のジュリーこと鈴木昇二でお付き合い下さい」






最終更新日  2005年09月22日 15時17分29秒
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2005年08月26日
(昨日の続き・・・デス)
というわけで、ジュリー以外の面々はパラキンのバンドの皆様に頭を下げて「機材お借りします」と殊勝な態度でステージに上がります。
なんといってもジュリー先生はオオトリですから、余裕のご出陣です。
「アンプのチューニングはいじらないでね」と注意を受けた面々、パラキンのバンマスがマスターボリュームを低くしていったことを見逃さなかったムラちゃんでした。
そりゃ、どんな素人かわかりませんが、金貰ってる自分たちよりフロアを沸かされたりしたらプロの面子がなくなります。たとえ姑息な手段と言われても、なんらかの小細工はしていくのはあたりまえです。
ちょっとした音合わせの間に全員のアンプを見て回ったムラちゃん、しっかりといじくって調整を施します。

ハウスパーティーですからもちろん常連も数多く、DJがバンドをやるなんて企画は盛り上がらないはずがありません。
メンバーの顔ぶれを見ても期待は高まっていきます。
アフロ頭にジャンプスーツの委員長、まさかキャロルを演るとは誰も思っちゃいませんね。ショーなんてものはこの裏切りが結構起爆剤になったりするんですよね。(ほんとかよ)

オープニング、どっか~ん! 
LONG TOLL SALLYからメドレーROCKIN’ ROLL MUSIC!
リトがぶちかましてレビンがつなぎます。
いきなりのロックンロールに会場は「おお~っ」という感じで一気に盛り上がりました。
続いて委員長の雄叫びです。「かっわいいーあの娘はルイジアンナ~」
(なんだよ、あいつアフロのくせにキャロルかよ、などの声が聞こえますが関係ナイ!)
「も一度おどって、も一度やらせて、お願いだっかぁら~」
(ってちょっと下品だけどウケましたねえ)
さあここでトリのジュリー登場。
素肌にジャケット羽織ってソフトまでかぶってます。
もう完全に沢田研二入ってますねぇ~。
小娘軍団みたいなのがキャーキャー騒いでおります。
(まあ、どのみち余興ですから)

危険な二人~時の過ぎ行くままに、でチークを踊らせて、マイク持ったジュリーがすかさずノーガキをたれます。
「本日はトゥモローUSA1周年記念パーティへご来場下さいましてありがとうございます。僕らDJ一同これからも頑張りますので応援して下さい。ではもう一曲みんなで踊って下さい。ジョニーBグッ~ド!」(世界はボクラのために~みたいなノーガキですね)
どっか~ん!!ラストはジョニーBグッドでグチャグチャです。
リトは興奮してマイク持ったままフロアに飛び出て、客と踊りながら歌いまくります。
(さすがプロです、つぼをちゃんと心得ています)
委員長も調子くれてギターを肩からはずしてダンスフロアーに飛び込みます。
(なんだよ、アフロのくせにツイスト踊ってるぜ、と言う声も聞こえますが、気にしな~い)
ゴーゴー、ゴージョニーゴゴゴー!
ダンスフロアー大合唱の渦です。
ギャオー!演ってる方も踊ってる方も皆頭のヒューズが2~3本飛んでます。

戦い済んで日が暮れて・・・・。
パラキングループのボーヤ連中が機材撤収に入ります。

「あいつら勝手にアンプいじりくりやがってよぉ、素人のクセしやがって」

プロよりウケたのがちょっと気に入らないようです。たぶん親方たちにも八つ当たりされたりしたのでしょう。オメーらがもうちょっと客を乗せて躍らせなきゃダメだろ、くらいに言われたのではないでしょうか。
そんなパラキン小僧たちがブツブツ言いながら機材を運んでいます。

「本当、トーシロのくせに調子にのりやがってよ、まったく、やってらんねぇーよな」

搬送中のエレベータ前ですれ違った委員長とシゲル君の耳にはしっかり届いています。

「何だぁ~、なんか文句あんのかこの野郎」
すかさず絡んでしまうお調子者の委員長でした。(まだまだ若い)

ドキっとして小さくなるパラキン小僧4名。

「おめーらなぁ、新宿でナンパすんには十年早ぇんだよ、田舎のデスコとは違うんだよ、ここは」

ずぼし!とばかりに委員長に下心見透かされたパラキン小僧たち、ちょっとムッとした顔で委員長を睨んで搬送の手を止め身構えました。

「あれっ、何かな、その態度は」
(と突っ張るものの、4人じゃちょいとヤバイかなぁ)と視線をシゲルに送ります。
と、シゲルが委員長の前に立ちはだかるように出張ります。
「カッコつけんのも良いけどな、殴られんのは痛ぇぞぉ、にーちゃん」
ちょっとファイティングポーズ入ってます。
(大人しい顔してるクセにダイタンなやっちゃなぁ、こいつは)

チッと舌打ちして機材運びに戻るツイスト野郎たち。
(あー良かった、ちょっとだけ冷や汗出た、4人じゃちょっと危なかったなぁ)
別にケンカが強いわけでもないのに後先考えないですぐ調子コク性格の委員長は、これが原因で時々痛い目にあったりしていましたが、それよりなにより、シゲルのこの余裕には驚きました。

「シゲルってそんなにゃみえなかったけどなぁ、ツッパリだったんだぁ」

「そんなたいしたもんじゃないですよ。ただ目の前で生意気こかれたらね、ちょっと黙ってらんないでしょ」
(口調が穏やかなんだよね、こいつは。だから不気味ってのもあんだけど)

とにかく、へえーっ、こんな隠し芸があるんだぁ、と見直した委員長でした。
恵比寿生まれの恵比寿育ち、お坊ちゃまみたいなこのシゲル君が、実は元ボクサーでジョーカーズ出身という恐ろしいヤツだと知ったのはこの年の暮れ、皆で明治神宮へ初詣に出かけた時のことでした。
いやーホント、人は見かけによらないってのはまさにこのことです。






最終更新日  2005年09月22日 15時17分06秒
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