2009/09/12(土)10:24
「友愛」・仏革命では・・・
鳩山由紀夫代表のキャッチフレーズは「友愛」だという。爺さんの鳩山一郎の時代から鳩山家に伝わる家訓の様なものらしい。鳩山由紀夫氏自身がこの「友愛」という言葉をどう解釈して使っているのか真意を測りかねている。 政治家が「友愛」という言葉を使うと、どうしても頭を過ぎるのがフランス革命だ。「自由・平等・友愛(又は同胞愛。「博愛」というのは誤訳)」がフランス革命のスローガンだが、ここで言う「友愛」は我々が想像するイメージとは全く違うものだ。「自由」と「平等」という響きが良いだけで現実には相反するこの2つの概念の整合を図る役割を「友愛」は持つが、そこには「民衆が勝ち取った自由と平等を、共通意識をもった共同体として守り団結せよ」という強い拘束性をもった、排他性さえ感じられるメッセージが込められている。「自由・平等・平和」などと「三竦み」の、綺麗事だけで相容れない曖昧な単語を3つ並べて悦に入っている日本人には理解し難い切迫感と強い意思がそこに観てとれる。ここでいう「友愛」は、王政から勝ち取った国家の展望を踏まえたナショナリズムとも称す事ができるものであったのだと思う。
ここでは、一部の人達の誤解を受け易いナショナリズムについて語るのは避けるが、鳩山代表の言う「友愛」が優しいだけの、自分が与えるだけの「友愛」で無い事を祈りたい。国民の要求に一方的にただ答えるだけでなく、国家の代表には理想とされる社会創りの為に、国民に対して「説明」して「要求」する資質が求められる。「要求する国民に要求する」事が出来なくてはいけないのだ。 日本の新しい指導者は「友愛」の名の下に「責任ある」姿勢で「英断」を下せる存在であって欲しいと思う。