2012/01/06(金)11:43
戦後日本的「偏狭さ」からの脱却(再UP)
昨年6月に成立した「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員によ
る国歌の斉唱に関する条例」による橋下大阪維新の会と教職員組合等の
団体との反目が続いている。
橋下市長への脅迫の類も多くなっているらしい。
W選挙での争点であった「教育基本条例案」は橋下改革を実効性のある
ものとする為に必須で2月に成立するだろうが、卒業式・入学式と続く
現場での混乱は必至の状況だ。
大阪府の地方条例であり、他県の私が言及するのは顰蹙をかうのかもし
れないが、一埼玉県民として橋下市長と大阪維新の会に「連帯の意」を
表しておきたいと思う。
本来「君が代条例」等は不文律の社会通念として在るのが適当なのだろ
うが、現代日本の状況を鑑みた「逆風覚悟の先駆的英断」であったと私
は評価したい。
そして大阪府民の皆さんには、自分達が選んだ統治責任者が実効力を持
つ事を支援する世論を喚起して欲しいと心願したい。
しかし・・日教組を筆頭とする自称「民主団体」の偏狭な「反戦意識」
と「被害者意識」にはホトホト呆れる。
「君が代を強制されて胃から出血」だの「君が代を聞いて心臓がバクバ
クし、中国人捕虜を銃剣で突くよう命じられた姿が浮かんだ」だのとい
う教員のエピソードを聞くにつけ、洗脳とも言える「彼等に刷り込まれ
続けて来たモノ」の異常性に震える。
戦前戦中の全体主義へのアレルギーが、戦後そのまま「国家という枠組
み」への嫌悪感へと誤変換され、それが自明性に再変換されて今日まで
増長増幅され続けているのだろう。
先の太平洋戦争の悲惨さは語り尽くせぬ程のものであり、日本国民だけ
でなくアジア諸国にも大きな不幸と苦痛を齎したのは事実だ。当時の我
が国のガバナンスの在り方には猛省が必要なのも当然だが、講和条約が
締結され独立国となった日本国は、新たな枠組みでの「国家という認
識」と「愛国心」を全体主義から取戻し、次世代の希望となる社会を構
築しなければいけなかったのだ。
それを阻害し続け、今日の歪んだ国家感を形成した元凶は何か。
右左という思想の分かち方は幼稚で抵抗があるが、利便的に使えば、
右派的「皇国史観」や「神国思想」と、左派的「被害者意識」やユート
ピアを夢見続け形骸化した「国家不在の民主主義」の根は同じで、共に
其の「偏狭さ」が思考停止状態を齎してのフィクションであり、日本人
の未来を阻害し続けている。
「君が代」や「日の丸」が戦争をした訳ではない。
国歌や国旗に血塗られた負の歴史が無い国が幾程あろうか?
それでも、その負の歴史を背負った殆どの国が、国民国家として在り続
けようと一本の旗と、一遍の詩と曲の本に集い、伝統を守りながら試行
錯誤を繰り返しているのだ。
悲惨な戦争の象徴的記憶だけを簡単にリセットし忘れようとして、根本
の思考を非現実的に浅くする手法は、逆に振れた時に再び全体主義への
傾倒を招く危険性がある事を自覚しなければいけない。
教員が国旗・国家に反目する姿勢は生徒から見れば「思想の押し付け」
でもある。
憲法19条を盾に争い最高裁で敗訴した教師は、生徒の19条の権利と自
分の其れが相対的な関係である事を心得るべきだ。双方の権利を最大値
には出来無い。
「日の丸」と「君が代」を、現代日本の平和の象徴とする気概が無くて
何の教師か!!
何の日本人か!!