セイヤのblog

2015/01/10(土)00:31

古田織部展にて思う(其の二)

思想(37)

利休の死後、秀吉や家康に「国の茶頭」に任ぜられた織部は物理的にも精神的にも「利休の茶の伝承」の不可能性を実感していたと想像します。 其れ故の「織部好」なのでしょう。 一般には商人であった利休が理念に殉じ、武将の織部が現実的な選択をした事を奇異に感じるかもしれませんが、私達が知っている武士道は江戸時代の太平が創った観念的武士道であり、織部の様な戦国武将は形振り構わず戦い生き抜こうとするダイナミズムに溢れていました。超えられない師匠・最高権力者からの重圧・茶頭としての地位と名誉、それに織部の生来の明るく奔放な性質が融合して小堀遠州に繋がる生命力に溢れた「織部の茶」が生まれたのではないでしょうか。 それでも、「茶の湯名人」として栄華を極めた末に師匠利休と同じ最後を迎えるのは、彼なりの「届かなかった憧憬に向き合った殉死」なのだと私は考えたいと思います。 そう考えて改めて異形の茶碗や瀬戸黒織部茶碗を観ると、愛おしい事この上ないですね^^ 実はこうした思いは以前に熊井啓監督の「本覚坊遺文」を観た時から持っていたもので、「歴史」と「権力の構造」に興味の視点が当たりがちな私の手前勝手な考察なので見当違いも甚だしいという可能性があるのでご注意下さい^^; 芸術は只々堪能すれば良いものなので考察など理屈に過ぎるのですが、私は「感性」という言葉が安易に使われ過ぎていて嫌いで、これは政治家が使う「大衆」とか「庶民」という言葉と同じ様な精神性を背景にもっています。 他者が好むから好きに成るのでは無く、自分が何を好み何を大切に思うか其の背景まで含めて考える事は生きて行く上で重要且つ楽しみとも成ると思われます。 ちなみに今回は期間限定の催事ですが、京都には古田織部美術館というのがありまして年内に予定している奈良京都の旅の時に拝観するつもりでいます。 現在「織部と遠州」というイベントが組まれていますが流石に其れだけの為に京都までは行けないので残念^^; さて一通り観終わったのが午後1時半ば。 当初は久しぶりに秋葉原でも歩くつもりだったのですが松屋を出てみると何とも良い陽気・・・急遽予定変更で先ずは日比谷公園の松本楼で腹ごしらえをし、陽のある内に充分皇居を散策して帰路につきました。 色々な意味で清々しい一日でしたね。

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